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あさにっき48


おはようございます☀


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責任を引き受けるということは、
大きく深い喜びにつながる。


いつかのある方とのお話の中で、こんな話をしてくださったことを思い出しました。
その時はあまり意味がわからなく、なんか綺麗事言ってるのかな…なんて、少し冷めた目で見ていたんですけど、久しぶりにノートを振り返ると、まさにその通りだなと、納得しました。




「責任を引き受ける」という言葉に、正直ネガティブなというか、否定的な、嫌なニュアンスがあったんです。
責任≒嫌だなぁ
がいつからか頭の中のテンプレートになっていて。

でも、責任って、負わされるものではなく、
「自分で持つ」ものだ
と思ったのです。


自分で責任を持つ!と、覚悟を決めたものには、エラーももちろんあるかもしれませんし、そのエラーに対しても責任があります。
しかし、その分、得られる喜びは深く、大きなものになるのではないでしょうか。
わたしは、そう想像する以外に浮かびませんでした。




こう頭で理解はしても、正直わたしはまだ、大きな責任を避けたいと思っています。
なんとも悔しいのですが、
「その責任を負うことによって後悔したくない」
なんてことを強く思っているんです。



なぜ責任を負うことが後悔すると思っているのか、それはきっと、責任を持つということへのひとつに縛られるイメージが強いからだと思います。

責任を負えば、取り返しのつかないことになるぞ

と、心は常に訴えかけてきます。






しかしよく考えてみても、責任と後悔はイコールにならない。
これは今日、納得すべきな課題に思います。





これが確実に後悔であるのかはわかりません。何かに活きることだってあるかもしれないし、私には知り得ないこと。



後悔をひきづらない自分になっても大丈夫。

大丈夫、焦らないで。
焦るけど焦らないで。
周りと比べないで。周りをコントロールしようとしないで。
そんなことしなくても、大丈夫だから。見つかるから。


良い水曜日を。

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