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あさにっき14


おはようございます。


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妹が、アマゾンプライムのお試しをしていて、一緒に見せてくれます。

ドラマ「僕らは奇跡でできている」の録画が5話からしか手元になくて、1〜4話を見たいみたい…と、ここ数年思っていたので、ようやくみれて嬉しいです。忘れてるところも多かった。


その繋がりで、写真は、リスです🐿






私、最近調べて気づいたんですが、
「エンパス」という自分の個性に気が付いたんです。

https://forzastyle.com/articles/-/56610


エンパスの語源は「共感」。
人の怪我や病状を聞くだけで、私はそこに痛みや不快感を感じたようになります。


ずっとこの特性のことを知らず、私は「人より感じやすいから苦しい。みんなはそんなに苦しくなくて、こんなことで苦しいわたしはおかしいんだ」と思っていました。
まだ、少し思っています。



医療系のドラマ、戦争の映画、動物の死、病気、怪我など…
直接見たものでなくても、人伝に聞いたものでも、いくらフィクションであるとしても、どうしても体が震えてたまらないんです。
自分が「おかしい」と思っていたから、積極的に観て、克服しようとしたこともありました。
昔よりは慣れてきても、心や体がどっと疲れます。


怖いから見たくない、とはまた違うんです。
見ると、自分もそれを体験したかのようになり、トラウマのように頭にこびりつく。
戦争のことなど、もちろん知っておいた方がいいことは、気分悪くなるけどできる時に見るようにしています。
知りたくないわけじゃないんです。


病院で診断されたわけじゃありません。
自分で調べて、近いなと思ったので、
自分の個性を客観的に見ることができるなと思い、自覚することにしました。




弱いのかな?とまだ思うけど、
この個性がわたしの中に強くあると知っているだけで、できないことは任せようとおもえることもあるし、幼い時ほど、自分を責めることもなくなりました。



みんなと同じことできないと、おかしいと思われる、言われる、怒られる、除け者になる、そんな社会で苦しんでいる人は私以外にもたくさんいる。
みんな苦しいです。
ちゃんと、苦しいんです。苦しいです。きっと。



信じられないです。
最近身近にいるある人を観察してます。
いくら「いろんな人の考えを聞いて…」と言葉で言ってはみても、言うことやることはまるで奴隷を操るかのよう。
「できないことはできるようになってください」
できないことは、できることやできる人で補っていくのが、人間関係じゃないのかなぁ。


「できないことをできるようになる」というのは、あくまで本人の意思が必要なのであって、他人が指示してできるものでもない。
本人が「そうなろう」としない限り、その文句は全く機能しない。
少なくとも、わたしはその価値観なんですけど、私より10上の人はもう、ほとんどその価値観はないみたいです。そこにすら気づかない。恐ろしい。
それが継がれていくのやだな。


できない人もいるんですよ。あなたの当たり前はあなたの中の当たり前であり理想。
それを人に押し付けるのは、わがままのように思います。
ちゃんと考えて欲しいな…


少し、最近考えていたことを書き綴りました。



最近の小学一年生が、サイコパスという言葉をよく言うんですよね。
エンパスの対義語がサイコパスらしいので、あんまりそう分類するのも好きじゃないですけど…(人にはたくさんの面がありますからね。ただ、厚いところが個性なだけで。)
あまり差別的に使うことは勧めたくないなぁという、希望があります。笑


今日もできることを、一つ一つやっていこう。
考えたいことがたくさんある。


いってきます!


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