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五行歌と色彩と私

 こんにちは。南野薔子です。
 新型コロナウィルスの感染状況も予断をゆるさない中、水害の発生も。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
 あらゆる問題が、少しでもよい方へ進みますように。そのための有効な対策がもたらされますように。

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 2015年に五行歌集『硝子離宮』(市井社)を出した。そのときに五行歌の会の草壁焔太主宰に跋文を書いていただいた。
 跋文の原稿を見て「そのように書いていただいてありがとうございます」「褒めすぎです」と思うところがほとんどだったのだが、一箇所、あれ、と思ったところがあった。
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 彼女の美意識の選ぶ絵の具は主として黒と銀である。僅かに暗緑と青、深紅を用いる。これが言葉に対する厳しさの証しであるとでもいうように、烈しく禁欲的である。
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 ……そうでもなくない?
 というのは、私は、自分では、色名、あるいは色をはっきり連想させる言葉を意識的に使っているつもりだったからだ。確かに『硝子離宮』に入れた歌の中で印象が強いのは上記文章にある色たちかもしれないが、禁欲的というには、上記記述にある以外にもわりと色名や色を連想させる言葉使ってるんだけどなあ。花の歌ばかり集めた章もあるし(もっともその中で向日葵をモノクロームにしてしまったのはあるけれど)。別に蜷川実花さんの写真のごときカラフルさがあるとは思ってないけれど、それなりに色を配置しているつもりだったんだけれど(使われている色にある程度偏りがあることは認める)。あと、上記文章で「僅かに」とされている青だけれど、今見返してみたら青もしくは青系の言葉がかなり多いんだけれど。
 ううむ。
 しかし、主宰がそう感じたということであれば、私の歌は私が思うほど色彩効果を発揮していなかったということだろう。と思って、上記文章についても特に何も云わずそのままにした。

 まあそれが効果を上げているかどうかはともかくとして、私は五行歌(他の詩歌でもそうだが)を書くときに、色名あるいは色を連想させる言葉を意識的に使うことが比較的多いと思っている。私の場合「イメージを呈示したい」という動機が強いわけだが、そのイメージが視覚的なものである場合、当然「色」は重要な要素になることが多いからだ。
 また「色」という存在自体にも興味があるし、好きだと思う。自然界や、ものの「色」に目をひかれることが多いし、また決しておしゃれな方ではないのだが、外出時の服装や持ち物の「色合わせ」には自分なりにこだわる。色彩検定なんて勉強してみたいとちょっと思ってたり。
 他の人の歌を読むときにも、色彩が感じられる歌がわりと好みだったりもする。

 ひょっとしたら私の歌に色彩をあまり感じてもらえないのは、私自身のイメージも影響してるかなあ、と思ったり。確かに、外出時の着るものとか持ち物とかはモノトーン多い。五行歌の仲間にも「わりあい高確率で黒を着る人」と思われているふしもある。ピンク着てたら「珍しい」と云われたり。ううむ幼少期からピンク(桜色系の淡いピンク)は好きである程度の率で着ているのだが。というかモノトーンが確かに好きだしモノトーン、紺、ジーンズの青、といったところに私の服の大部分があるのは確かだが、でもその中に、どこか一品、ピンクに限らず色物や柄物を入れるのも嫌いじゃないんだが。そういえば『硝子離宮』の装丁もモノクロームにしたからなあ。装丁をモノクロームで無機質にすることで、歌の中の色名あるいは色を連想させる言葉が「差し色」みたいになるといいなと思ってたんだが失敗したようだ。

 だけれどめげずに懲りずに、今後も自分のあらわしたいものをあらわすために、色名や色を連想させる言葉を使ってゆこうと思う。

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