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風風子さん五行歌集『道の草』

 こんにちは。南野薔子です。風風子さんの五行歌集『道の草』の感想です。
 
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 先日、風風子さんから、五行歌集『道の草』(私家版)をいただいた。
 風風子さんと私とは、互いに別筆名で詩も書いている関係で知り合い、直接お目にかかったことはないのだが、たびたび詩集や同人誌を送っていただいたり、また私の方からも自分の創作関連のものを送らせていただいたりしている。
 そんな風風子さんが、昨年末から五行歌を書き始められた。そしてそれをツイッタに上げたものを発表順に百首まとめられたのが『道の草』である。
 風風子さんは、以前から詩においても、いろいろな命の流れ、めぐり、つながり、といったものを感じさせる、深みのある世界を描かれている。命、それはいわゆる生物だけでなく、非生物にも宿るものとして、すべてのめぐりを自らも体験しながらしんとした心で見つめているような。
 そのようなめぐりが『道の草』にもあらわれている。発表順に並べられたものではありつつも、この一冊が一つの連作のようでもある。この中に、流れ、めぐり、つながりが、詩の時とはいくぶん異なった抑揚で満ちている。風風子さんの中で揺蕩っていた言葉たちが、五行歌という新たな流路を見出して流れ出した、という感じがした。
 存在、不在、傷、感謝、こういったものを折り込みながら言葉は流れ、めぐり、いろいろなものをつなげてゆく。
 幾首か紹介する。
 
 さようなら
 得たと思うと同時に失うのだから
 幽霊の
 腕時計の
 針の音
 
 こころの傷の深さは
 いのちの深さと
 つながっていて
 私のいのちを
 育てる
 
 言葉の葬列は
 言葉の魂を愛に返す
 私は
 葬列
 の最後尾
 
 昔よりも
 後悔を
 するようになった
 でも今は 後悔の味を
 味わえるようになった
 
 コーヒーカップを早朝に
 コトン
 と円卓に置くと
 しずけさが胸にしみて
 思いあふれる
 
 道の草に
 光る風
 青く通りすぎて
 魂はほほ笑む
 宇宙とつながっている
 
 そして今回、あらためて読み返して、一部の歌に登場する「鬼」もしくは「小鬼」の存在が印象的だった。鬼とは、忌むべきもの、退治されるべきものとしてよく扱われるし、それゆえに心の中の認めたくない暗く攻撃的な部分などを鬼に喩えることもある。けれど、童話などの影響で、鬼という存在にはどことなくユーモラスな悲哀のようなものを感じることもある。この五行歌集に出てくる鬼は、どちらかというと後者に近いと感じる。ただ後者そのものでもなく、あくまで風風子さんならではの「鬼」だ。それは分身だとか影だとか自我の云い換えとも云えるかもしれないが、そう云いきってしまえないもっと複雑微妙な存在。風風子さんにとってのこの鬼がどういう存在なのかというのはきっと私が正確に理解できるものではないのだろう。ただ、それはそれとして、この五行歌集にあらわれる鬼に、私は私なりのリアリティを感じる。
 
 銀河の岸で
 小鬼の私
 星の亡骸に
 歌を歌う
 「さようなら ありがとう」と
 
 集中でこの歌が今いちばん好きかもしれない。
 今後も、詩とはまた違った抑揚やテンポ感で言葉を紡げる器として、五行歌を綴っていただけたら嬉しい。
 
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 この『道の草』はごく少部数作成ということなので、直接読んでいただくのは難しいかもしれませんが、風風子さんのツイートを辿っていただくとたくさんの五行歌作品に会えます。また別筆名「こしごえ」さんでの現代詩フォーラムにも五行歌作品を掲載されています。よろしければぜひお読みいただければと思います。

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