【小説:SS】見知らぬ国のトリッパー
scene:prologue
──もしも、ゲームこそが総ての最適解だとするのなら。
それは、トレーディングカードゲームと呼ばれるゲームの一種である。
それは、現代的な魔法戦を再現しようとするゲームである。
それは、傷だらけで付箋が貼られまくった醜きバインダーを持つ、人であって人で無きもの。
それは、一つのカードを限界まで使いこなす、人であって人で無きもの。
それは、人で在る前にゲーマーで在ることを選んだ、人であって人で無きもの。
眼差しは凛を纏う刃。
バテンレースの日傘にクロスオーヴァーする、
遠く去りし恋文の華やかなピルエット。
全ての手段を思案せし行使する、その姿は『スペル・バインダー』という。
scene:1
2018年1月8日、その日は珍しく、本当に珍しく関東でも雪が降った。
そこに、小さくも大きくも無いゲーム会社の屋上にて焼酎を呑みながら雪が舞う白い空を見上げている不精ヒゲの男がいる。
「…何しているんですか」とその男を捜していた青年が、またしてもサボりか、というニュアンスと呆れ顔を含めて言った。青年は男の親戚だった。正確には男の甥に当たる。青年はゲーム会社の人間ではないのだが、男はある事情でこの親戚の青年に会社のフリーパスを渡している。そして毎日のように通っている。
不精ヒゲの男はそのヒゲを人差し指で擦りながら口を開く。「空を見ていたんだ。今は星空が見えないね」
空からは雪が降っている。周囲はビルだらけだ。雪はビル風に舞い、男の肩に少しだけ積もっていた。安っぽいコートを着ていなければホームレスにも見える。
「こんな真っ昼間で雪も降っているというのに何を言っているんですかヒデ叔父さん」
今は昼。それなのに雪が降るとは1月の関東では珍しかった。空は雪雲に覆われていたが明るかった。
「こういう時でも星空は確かに在るのさ」
「?」
「今は雪や雲や太陽の光が邪魔しているだけでね」
空からは雪が降っている。青年は横目で空を一瞬だけ見て、視線を不精ヒゲの男に戻した。
「普段エロ話しかしないヒデ叔父さんが言ってもロマンチックに聞こえないですよ」
ヒデ叔父さんと呼ばれた男、焼酎で少し酔っている奥村秀明《おくむらひであき》は、青年の返答に、くっくっく、と一人だけ面白そうに笑い、そして青年とはお互いにまるで違う地点に立っているように微笑んだ。悲しそうにも見える微笑みだった。きっと相手が誰であろうとも同じ事を言うのだろう。理解されるかどうかは別として。その点で浮世離れしていると青年は男にそのような印象を持つ。昔から本当の顔は見せてくれない。もしかしたらこれが本当の叔父なのかもしれなかったが、青年の子供の頃の叔父はバカな事と悪い遊びしか教えてくれなかった。その思い出が邪魔をする。
「現実でファンタジーを見るのは、難しいのかな」
青年は何も言えなかった。言えないほどにゲーム業界に足を突っ込んでいたからだ。青年はゲームと関わる出版の仕事をしている。現実と架空の区別はとっくについているが、ゲーマーである以上、様々なゲームに触れるため物語に移入する感性は人よりも鋭いと青年は思っている。ファンタジーを作り出す立場の人間というのも理解している。だからこそ何も言えなかった。
近年のゲーム業界は大荒れを見せている。主にネットゲーや携帯電話ゲーム関係である。そして録画プレイが流行っている事で今までのゲーム作りの手法が変わらざるを得ないそのような時期でもあった。
「何を言っているんですか。仕事が待ってますよ、僕との」
青年は少し弱いトーンで言った。青年の名は守口久《もりぐちひさし》と言う。この青年が何故叔父と近いのか、それは『スペル・バインダー』というトレーディングカードゲームにあった。叔父が勤めている『ブルーフォレスト社』のゲームの関連本はほとんどが守口が身を置いているインターブレインという出版社で出版される。
こうして叔父と親族というだけではなく『ブルーフォレスト社』とも出版関係で親交があった。2016年、奥村はこの会社で初のトレーディングカードゲームとなる『スペル・バインダー』というトレーディングカードゲームをリリースした。『スペル・バインダー』はこれまでのトレーディングカードゲームとは異質であり、魔法という、これまでのトレーディングカードゲームにて便利なカードでしかなかったものをメインとしたゲームシステムだった。そしてカードは置いといて書籍関係で少々特殊な形、普通の本の形ではなく、小型バインダータイプの本として出版した。何故かと言うと『スペル・バインダー』にはバインダー、その中に挟む『魔法仕様書』という紙がゲーム内で強くなるために必要という特殊な形を取っていたからである。更には携帯端末の使用もシステムに組み込まれているが今は関係ないので省略する。
しかし、一つのトレーディングカードゲーム、それもトレーディングカードゲームをリリースするのが初めてという会社のトレーディングカードゲームで専用のバインダーなど売れてくれない。
バインダーということで購買層の目を惹くだろうが、それだけであり、他のゲームの情報も載せる形で本は発売された。購入者にとっては『スペル・バインダー』より、他のゲームの情報、新ゲームの情報や開発秘話の方が重要度が高い。そしてそのタイプの購入者はトレーディングカードゲームに興味を持ってくれないだろうということは、ずっと前に予測されていた。
出版側ではなく『ブルーフォレスト社』の叔父との話で、売れてくれれば良い、まあ新作の情報を付けたり、あるゲームのカラーコードを付けるから一定は売れるけど『スペル・バインダー』としては売れないかもしれないと話していたのだ。商品となるゲーム『スペル・バインダー』を作る前からだ。3年前の事だろうか。そのバインダーの本が発売されたのが2016年の夏、そして数か月後『スペル・バインダー』のカード類が発売されたのだが、売れ行きはあまり良くなかった。
ただ、少し奇妙なのは、作った本人達は一向にしてそれを気にしていないという事だ。何かを待っているような節があるのだが守口には全く考えが及ばない。しかし事実として現在の所、業績不振なのは変わりはない。
「ああ、そうだったね」と、ゲーム会社の屋上で、焼酎を呑みながら雪が舞う白い空を見上げる、変人の奥村秀明。いらりとする青年こと守口。だが守口はどこかで予感していた。ヒデ叔父さんと呼ぶ、奥村秀明がいつか突然自殺するのではないかと。いつも冗談ばかり言う、だけど話の終わりに遺言のように言葉を語る、その奥村秀明がいつでも自殺しそうで守口はどこか放っておけなかった。
目つきがもう、現実を見る“それ”とは違っている。奥村秀明という人物はその瞳というか目つきのせいで親戚どころか親にも疎まれていた。狂人が見せる目つきと同じだからである。それよりかは理性がある目つきだったが。親戚が集まる行事に、例えば葬式であっても奥村は出席しない。本人は「こんな目をした人間が行けるわけないだろう」と言っていたが。
その寂しそうな顔を守口は知っている。普通に普通の人と混ざれたら良かったのにという顔だった。以前、対人恐怖なんだよと冗談で言われた事があったが、本当にそうなのかもしれない。でなければ、こんなところで一人で酒を呑んではいない。
『スペル・バインダー』のカード類の売れ行きはあまり良く無い。他のゲームで利益を上げてはいるが、恐らくは『スペル・バインダー』の業績不振で近い内に、デジタルゲームの方に戻されるだろう。でも、それにしてはあまりにも、あまりにも余裕過ぎるようにも見えた。
「『スペル・バインダー』が失敗したのがそんなに悔しいですか」
奥村はコーラと混ぜた焼酎を啜る。子供っぽい酒の呑み方と守口は思ったが、大人っぽい酒の呑み方など、仕事上の付き合いでの飲み会の酒しか知らない。コーラと混ぜた焼酎を呑むのはこの人の作法なのだろう。コンビニで買った安い焼酎と安いコーラ、コーラでなくても何でもいいのだろう。その安っぽさが男の人となりを表現しているようだった。奥村は少し笑って見せた。
「失敗などしていないよ」
「売れてないじゃないですか」
「さてね。定義による。最初から失敗するように作られていたらどうだい?」
禅問答のような奥村の返しに少しイラっとする守口。
「犠牲という名の成功ですか」
奥村は守口に眼を向けた。その目付きは鋭く、人を値踏みするようだった。
「まだ『スペル・バインダー』は本当の姿を見せていないよ」
「でも、しかし…」
「数年後に少し状況が変わる」
守口は、この人は何を言っているのだろうと、ぽかん、とその場に立ち尽くすのみで、叔父の肩や髪に雪が積もるのを見て、風邪ひきますよと言ってその場を離れた。酒に酔っているのだろう、酒呑みに付き合うのは不毛だと思ったのだ。付き合ってもよかったが、それには外が寒すぎた。見渡す限りのビル群に雪が降り、ビル風で乱雑に泳いでいる。そして奥村は含み笑いでもう一度言った。「今は星空が見えないね」と。何かを諦めてるような笑みに守口には映った。今は星空が見えないね、その言葉が繰り返し守口の心を刺す。
ゲームとは博打のようなものだ。当たればデカいし、外れたら失敗作の烙印が製作者に押されることになる。『スペル・バインダー』はどちらかというと後者の方だった。トレーディングカードゲームというジャンルだったので開発費込みの大ハズレという事は無かったが。会社側もそのように判断して叔父である奥村を元のデジタルゲーム部門かアーケード部門に戻すだろう。守口は奥村を呼び戻す説得を諦めてビルの中へと戻った。
今は星空が見えない。
芝村め、と奥村秀明は思った。芝村とは男が一度会って殴りたいと思うほどに、簡単に、軽やかに、ファンタジーを魅せるゲームデザイナーの名字である。詐欺師の才能は俺にもあるのだろうかと奥村は自問自答する。
数年前の冬の正月、奥村の故郷である雪が深い東北の某所、各家の部屋の灯りも消された深夜だっただろうか。雪やこんこん、という童謡、正しくは『雪』という童謡があるが、そのように、こんこんと雪が降っていた深夜。近くの自動販売機へと徒歩でコーラを買いに言った時、空は雪だったというのに空は透明に見えた。
自動販売機の蛍光灯や電灯で深い雪が照らされ、周囲が白く見えた夜である。透明ではなかったのだが、透明に見えたのだ。その数日前、インターネットで醜い過去の出来事を晒したところ、芝村という男だけが怒ってくれた。
多分、あの時は怒られたかったのだろう。怒られて、その内容が不器用ながら透き通っていて。まさかインターネット上のやりとりで号泣するとは思わなかった。その時は流石に心が潰れたが、強引に気分を変えようと、ある百合アニメを1話から26話までぶっ通しで見て、その最終回が終わったのが正月の深夜で、甘いものが欲しくなり外に出たのだ。
家の外は綿のように粒が大きい雪が降っていた。深夜の東北の空気は鋭く肺に入り込む。それまで泣いていたのとアニメの見すぎで重たかった頭が、ふっ、と軽くなり、自動販売機でコーラを買った帰り、ふと、歩みをやめ空を見た。雪の雲は厚く、星空など見えない。しかし、その空は透明に見えたのだ。そして気付く。芝村という男が空を透明に見せる言葉の魔術を使ったのだと。
この時ほど空が透明だと思った事はない。物語を描くものにしか察知できない言葉の魔術。自分の醜い過去の暴露の書き込みで、何故怒ったのかわかっていた。怒ってくれる、叱ってくれると、どこかで思っていた。自分より上の、どう足掻いても勝てない人間に怒られたいとどこかで思っていた。騙されたかった。自分を誤魔化して、騙して生きていきたかった。死にたかったのかもしれない。しかし芝村という男の怒りの言葉は騙しながら現実を透明にしやがった。都合の良いファンタジーに縛り付ければ良いものを芝村という男はそうしなかった。
所詮は他人なので真意は分からないが、優しかった事は確かだ。厳しかったけれど。くそ、芝村め、と思うのが作法的には正しい。泣きそうになるほど正しい。あの深夜の事を思い出すと泣きそうになる。今はもうキチガイの目つきになった瞳で関東の雪の空を見つめる。空からは雪が降るばかりだ。故郷の雪に似ていた。
奥村秀明は屋上でコーラと混ぜた焼酎を飲んでいる。奥村は玩具のメガネを取り出し、掛けた。それはちょっとした仕掛けで目の前に立体像が浮かび上がるという子供だましの玩具のメガネだ。ホログラフのようなそういう仕掛けなのだろうが、奥村はこの子供だましの玩具のメガネが好きで一人だけの時はそれを掛けて楽しんでいる。
一人で酒を呑む時はいつもだ。何故なら一人ではないから。
そして何かの呪文のように呟いた。昔作った詩である。
長い黒髪から花の気配は止まず
季節変わりの微熱が水鏡に潜む頃
月明かりに似た金盞の燐火は貴女を探し始める
囃し立てるような鈴の音に かの深緑は厳かに幕を引き
物憂げな枝垂れ桜が 君が春へと永久を誓う
後ろ髪引くは魔の声
眼差しは凛を纏う刃
バテンレースの日傘にクロスオーヴァーする
遠く去りし恋文の華やかなピルエット
四月一日に逢いに来て
四月一日に逢いに来て
くだらない詩だなと思いながらも巡り来る春を想い、奥村は白いため息を桜の色に変えた。
奥村が付けているオモチャのメガネは正確にはAR技術付きのメガネというもので、後に、正確には2035年に『ブラインダー』というブランド名で一般普及と言われるほどヒットする。
scene:2
2040年。
瞼をゆっくりと開くと、そこは、電脳空間だった。
目に映るのはリンクで繋げられた摩天楼のビル群、そのビルの一つの屋上に彼女は立っている。無機質なビルと空だけがある空間。彼女はこの場所が好きだと感じている。風が吹く。それは彼女のアバターの髪を揺らす。その風は実際の生身の頬や髪には当らないのだが、気持ちが良い。
彼女の手には一枚のカード。“アカウント”と記載されている、そのカードを空を切り裂くように投げつけると彼女の目の前の空に様々なデータの巨大空中映像が映し出された。その巨大空中映像は現在のログイン数などを表示している。現在の総ログイン数は238031名。ランクをA以上に検索したなら10316名。
アカウントを証明する音声パスワードをどうぞ、とアナウンスが流れる。別に音声認識パスワードにしなくても良いのだが、彼女はそうしている。彼女はこの瞬間が好きだ。なぜなら現実よりも生きている感じがするから。彼女は少しだけ口元に笑みを浮かべ、自らを誇るように言った。
「私は、私の存在を証明する!」
パスワード承認。
“ファイアフォックスガール”さん、『スペル・バインダー』の世界へようこそ。
彼女がログインした瞬間から対戦申し込みが10を越えた。15、30。彼女こと“ファイアフォックスガール”はこの世界では有名人らしい。彼女は“彼”の名前をその中から探すが、見つからない。まあいい。対戦でもして暇を潰そう、と彼女は考えた。“彼”とは“パンプキンヘッド”というプレイヤーである。彼女はこの世界でA1ランクだったが“彼”はS1ランクであり、『スペル・バインダー』内の神様とも言われていた。そして神出鬼没、つまりいつ現れるかわからないプレイヤーでもあった。それで道化とも呼ばれている。姿を現せば何回か誰かと対戦し消える。しかも8割以上の勝率である。
毎回カードセットと戦略を変えてくるので対策が取れないまま相手は負けてしまうのだ。対戦数が少ないが故にS1だが実力的にはACEランクであろう。戦って見たいと彼女は思う。何故なのか彼女には“彼”が本気じゃないと感じるのだ。
scene:3
未来からシーンは戻り、2013年、秋。
「どうして俺に話が回ってきたんですか」
「いやー、誰もやってくれる人がいなくてねー」
嘘だ、と奥村は思った。最初から話を持ってきたくせに。今、喫煙席で話している相手は渡部敦彦《わたべあつひこ》と言い、奥村の上司に当たる。そして渡部という人間は奇特なところがあった。初老に近い年のせいなのか頬はこけているが飄々とした表情とひょうきんな喋り口で社員どころか会社全体からの評判は良い。
そしてどのような企画であっても通しまくる類稀なる話術を持つために交渉の魔術師と社内では呼ばれている。奥村から見れば魔術師というよりか詐欺師同然である。ジョークも上手く温和というか表情豊かな顔を皆に見せているが、冷たく物事を見つめるという点で奥村と共通点があった、と奥村はそう分析している。奥村とはよく話す訳ではなかったが、話す時はいつも仕事の話だった。おそらく、と奥村は思う。人間嫌いなのだろう。人間嫌いだから飄々としているのだ。そして人間嫌いはどこか惹かれ合う。
喫煙室。渡部は煙草を吸わないが、奥村がそこにいるので会いに来たという形だ。渡部がこうやってわざわざ奥村に会いに来る場合は大抵、禄でもない話になる。
「TCGやりたい奴なんかいっぱいいるじゃないですか」
「それがだね、会社の都合ってやつ? 社運を掛けた、というまあお決まりのセリフを言ったらみんな逃げてったよ」
「まあ市場は盛り上がってるのに、TCG自体は博打打つようなものですからね」
「わかってるじゃない。他社強いし」
「…で、俺ですか」
「そ、君」
「もう開発やっているんでしょう?」
「うーん、それがね難航しているんだよ。真似は出来る。それで勝てるかというとそうでもないんだね」
奥村は煙草の灰を灰皿に落としつつ、「売れないものしか作れませんよ」と言った。渡部の表情は変わらない。
「売れない、か。…個人的には売れなくてもいいんだ、残れば」
この男は卑怯な言い方をする。
「今やってる企画終わったら考えますよ」
「いや、それがだね」
「なんですか」
「2016年中、なんだってよ、発売が、というか開発終了が」
「……」
「来年にはTCG業界に乗り込もうとしてる。人気ジャンルだからと」
「無理に決まってるじゃないすか。メディアミックス関係は?」
「まだ白紙というか何も無し。というか無いだろうね」
「俺は俺の企画で忙しいので、では」
奥村は吸っていた煙草を吸殻に捨て喫煙室を出ようとした。
「君なら何をTCGで表現する?」
この男は卑怯な言い方をする。こうやって話というか思考を引き出すのだ。本当に碌な話じゃないなと思いつつ、憂鬱そうに奥村が「…魔法ですかね」と返すと、渡部はニッと笑った。渡部の挑発めいた魔法だ。この魔法で交渉を成功しまくる事から会社内では交渉の魔術師と言われている。結局やる事になるのだ。
別れ際、渡部がサンプルの他社TCGのカードを渡して、何故、君だと思う? と奥村に聞いてきた。奥村が答えを返せずにいると、渡部が奥村の肩をポンと叩きつつ「みんなの事をよく考えてるからだよ」と言った。喫煙室から去っていく渡部の足取りは軽く、奥村はそこらへんにあった缶コーヒーの空缶を投げつけてやろうと考えた。
喫煙席に坂本が入ってきた。ウチのチームのプログラマーだ。坂本は煙草に火を付けながら奥村に話しかけた。
「なんかあったんすか? 渡部さん上機嫌でしたよ」
「TCGやれってさ。予算未定どころか少ない。メディアミックス無し。再来年まで作れって」
「……貧乏くじもいいところすね。で、…やるんですか」
「企画書テキトーに書いて渡部の顔に叩きつけてあとは逃げる」
「www」
「だって知ったことじゃねえもんさ」
「www」
君なら何をTCGで表現する?
畜生、渡辺めと思いながら煙草が3本目になる頃には、大体の草案が出来ていた。ちょうど良く坂本が居たので聞いてみた。
「お前、RPGの魔法で何が好き?」
「派手なのいいっすね、画面全体が光ってドカーン的な」
「www」
「え、そういうもんじゃないんすか」
「うーん、RPGだとそれでいいんだけど、TCGではそれが難しくてね、カード一枚、演出エフェクト何も無し」
渡部から貰ったカードを坂本にちらつかせて言った。
「イメージしろ!ってやつですか? レアカで誤魔化すしかないんじゃないすかキラ付きの」
「弱いな」
「普通に他が出してるTCG真似ればいいんじゃないですかね? あとスマフォでTCGとか。何か流行り始めてるらしいですよ?」
「うーん」
煙草を吸いつつ無言でカードを見続ける。携帯TCGは論外として。何故論外なのかを正確に言うと簡単に言えば金のやりとりが携帯課金で簡単にでき、絵はデータでいつ消えるかわからず、そのカードの確率はデータなので10秒あればサービス提供側が勝手に確率を変える事ができる。ガチャと呼ばれるシステムだ。そして違法になり携帯TCGのイメージは悪くなる。そういった意味で論外である。渡部から受け取った数枚のカード、そこから魔法のカードを取り出して、奥村は考え込む。
「魔法だけだったらどうかな」
「誰も買わないっすよそんなんw」
それはそうだ。派手ではなく、分かりやすくも無いからだ。プレイヤーは強いモンスターカードで勝ちたいもので、魔法はそれを有利にするカードでしかない。
「カードだけでも、殴りたいというプレイヤーの欲求は捨てちゃいけないよな」
「召喚でドカドカバキバキが流行ですからね」
魔法戦、それをカードゲームで魅せるには。奥村は4本目の煙草に火を付けた。プレイヤーそれぞれの知識・イメージ力しかないのではないか。イラストなどの情報はイメージを喚起させるためにある。電源ゲームのRPGの魔法は売りとして成立している。グラフィック、音、属性効果。金がかかってそうなゲームほど魔法のエフェクトにお金を掛ける。ゲーム雑誌の写真や動画で見栄えが良いからだ。必殺技もそこに入るが。
では、カードゲームでは一枚絵とテキストルールの効果だけである。魔法主体のカードゲームにするには、それで売れるような物を造るには、考えなければならない。キャラクターがいればいい。女の子のキャラクターでそれぞれ属性を付ける。キャラが受ければまあ売れるだろう。しかしそれはあの同人シューティングのTCGと同じになる。
やっぱり企画を断ろうと渡部に電話を入れた、が、留守電モードになっていた。野郎、逃げやがったな。
魔法、魔法、魔法、魔法とは何か。何故、炎や雷の魔法を気軽に撃てるのか。雷など家の近くに落ちたら怯んでしまうほどの音と光を発生する。地割れ、津波、空間を捻じ曲げる魔法。そんな危険なものを気軽に撃てる世界など簡単に滅んでしまうだろう。例えば高位のウィザードを数名、襲撃しようとする街や城から2kmくらい離れた高台に集め、気球のような大きな火球を2km先の建物にぽいぽいとぶつけるだけで建物や生物は一瞬で壊滅する。いわゆるMPとそのような魔法とその使い手、おまけにMP回復アイテムだけ揃っていれば簡単だろう。兵器のほうがまだ可愛い。
100円ライターをカチカチとやりながら、そういう事を考えていた所で、ふと、現代的な魔法戦はどうだろうと考えた。100円ライターの火が揺れる。ちょっとしたイタズラ心で、坂本、と呼んで、振り返ったところで100円ライターを坂本の目の前でカチっとやった。坂本は、うをっ! と反射的に仰け反り、いきなり何するんですか、あっぶねー、と目をチカチカとさせた。
「RPGだと忘れがちになるけど、火ってあぶねえよな」
「……は?」
もう一度100円ライターで火を付け「これの何倍もある炎を出す実際の火炎放射器で襲ってきたらどうする?」と坂本に聞いた。
「そりゃもう全力で逃げまくりますよ」
「うん、そりゃそうだよな」
「つか、何の話ですか?」
「魔法って実はとても危ないものって話」
「ああー、よくある魔法インフレでお前それ一発で敵蒸発するだろ的な。隕石どーんとか」
「そうそう、それでなくとも上から1tありそうな氷がどーんとか死ぬるよな。氷属性ダメージじゃなく物理的に」
「考えてみればそうすよね。俺、雷ダメなんですよ。音が怖いってのもあるんですけど、家の近くに雷落ちてエロゲー入れまくったPC飛んじゃって」
「www」
魔法を現代的解釈する。魔法で世の中の物理現象を再現する。物理現象については基礎的な知識があるなら脳内で再生される。間違っていないはずだ。とっさに浮かんだのはハリウッド映画の爆発シーン。あれは映画的演出だが、嘘を本当に見せるために厳密に作られる。フラッシュファイアやバックドラフトを表現している。フラッシュファイアは建物が燃える事で中の物が燃え、一種のガスのようなものになり粉塵爆発のような爆発の現象。バックドラフトは燃えている建物のドアを開けると可燃性の一酸化炭素と外からの酸素が結びついて爆発する現象。他にも水蒸気爆発や核爆発。爆発には理由がある。地震や津波、降雨、雪崩、雹、雷雨、竜巻にも。
再び、渡部から貰ったTCGのカードを見つめた。要素。要素の組み合わせ。イラストがあり、マークや数値などがあり、テキストがある。約200文字。twitterより少し多いくらいの文章量。問題は要素の組み合わせの魔法で物理現象を再現させるためにはカードに記載できる文章量が制限されている事だった。
どうすればいいのか。喫煙室から仕事場に戻った奥村はふと机に置かれてあった忌々しい仕様書の紙の束を見た。仕様書とは「これをこのように作れ」という指示の紙である。奥村は椅子に座って考え込む。トランプと同じサイズのカード。テキストルールの文字制限があるのなら。簡単だ。外部に移せばいい。
問題はどのような形で外部に移すかだ。
scene:4
2040年。
それは彼女が『スペル・バインダー』に触れる前。
何故、私は私なのだろう。それはこの世の中に私しかいないから。でも、それを証明するのは私しかいない。「我思う、ゆえに我あり」、とは哲学で学んだ。私は女子高生で、それだけでしかない。遠くから見たら、私は単なる若い女の子なのだろう。
「力」が欲しかった。私が私と誇れるだけの。私が私だと証明するために。
学校では生真面目+気が強い+群れるのが嫌いと認識されているので友達がいない彼女は屋上で一人でごはんを食べながら『ブラインダー』で24時間流れているネット動画のCMを見ていた。こういうとき『ブラインダー』は便利だ。気が紛れる。そこに『ブラインダー』対応の『スペル・バインダー』のCMが流れる。それは説明から始まった。
最初に、私達が存在する「現実」があります。
しかし、それだけでは人は生きていけないので人は物語、つまり「架空現実」を作りました。現実とは離れた物語、空想の絵、アニメ、映画、音楽…様々な架空の現実が作られ、そして時は経ち、電子部品の技術発達によりディスプレイの中のデジタルな「仮想現実」が作られました。キャラクターが作られた世界を探検するゲームもその一つですね。
その分野の発展から演算処理の高速化などにより現実と仮想の映像を重ね合わせる「強化現実」が作られました。現実の映像にリアルタイムでそこにはない映像を作り出し錯覚させるもの。そしてこれらが混ぜ合わされた「複合現実」という概念が生まれつつあります。
賢き人々は言います。そんなものに触れても何の意味もなく、ただ時間を浪費するだけだと。本当にそうなのでしょうか。私達は思うのです。それがどのような「現実」であっても「現実」である事には変わりは無いではないかと。私達はこの「現実」を再定義することにしました。「現実」とは「世界」という俯瞰の存在ではなく「個人」という主観の存在ではないかと。
あなたこそが、最後の現実。
『スペル・バインダー』は、あなたの実存を証明します。
scene:5
2013年、真冬。
渡部と不毛なるTCG企画の話をした数日後。 奥村は渡部がいる仕事場に足を運んだ。渡部が奥村を見つけて声を掛ける。
「おう、奥村。答えは?」
まだ仕事を受けていないないというのにこれである。しかも渡部が奥村にTCG誘ってから一週間内に答えを出すと読んでいたようで奥村はムカついた。
アナログなものを作るということであまり広くはない開発室。周りを見てみると全員他社のTCGをプレイしていた。それはそうだ。TCGはプレイしないと面白さがわからない。調査という名の遊び。遊んでいるように見えるが、正しい。まあ給料もらって遊ぶというのはフザけているが、奥村も会社の屋上で酒を呑んでいるので何も言えない。奥村はだまって企画書を渡部に渡し、そして言った。
「魔法の現代的解釈とシミュレーション、それによる教育が“売れない”でしょうが最適解かと」
売れない、という部分をアクセントを大にして言った。最初から失敗しますと宣言するようなものだ。だが、渡部は全くと言ってよいほど意に介さない。どうやら読まれていたようだ。
「売れるように作って欲しいものだけど。ジャンルは…やっぱり魔法か?」
「ええ」
渡部は難しい顔をした。会社のTCG部門を任されたのだからTCGには軽く触れており、魔法主体は難しいと感覚で解っているのだ。
「…勝算は?」
「わかりませんね」
「君がそう言う時は勝算がある時だよ。自覚して無いだろう? しっかし」
「なんですか」
「モンスター出てこないんじゃあ子供向けじゃないね」
「出てきますよ。あと、元から子供向けに作っていません」
「…ああ、子供を外すのか。ふむ、なるほど。携帯、もしくはネットか?」
流石はゲーム屋だ。察しが早くて助かる。高校生の携帯普及率は90%を越えている。それはそれで時代の流れで悲しい事なのだが、90%以上がモバイルネット環境に触れているのは事実だ。コミュニケーションのために持たなければならなかった90%、持ちたくても何らかの理由で持てない10%。身近なデジタルデバイドはここにある。世界を見れば携帯機器を持たない子供など沢山居る。小学生がスマフォ解禁との噂だが、今は無視した。
「そうですね、購買層から子供は抜いています。まあ、これは企画書のラフというかメモですが」
一番上のページには『スペル・バインダー』とある。
「『スペル・バインダー』?」
「ええ。簡単に言いますとゲームで良く使われる魔法ってありますよね。火の球とか」
「ああ」
「火の球を形成して相手にぶつける、それにはまずMPから火を起こして球型に丸めて、相手に投げる必要があります。RPGでは自動ですが。火の球をぶつけて爆発させるには、風、粉塵、熱せられた水蒸気などが要るというか条件下として必要ですよね」
「つまるところ魔法のカスタマイズかな?」
「伊達にゲーム作って無いですね」
「舐めるな奥村」
「RPGでは最初から決められた魔法名があってその魔法を使いますが、その逆、要素を分解、要素を組み替える事でほぼ無限の魔法現象を再現できないかと」
「へえ、炎熱、水冷、電撃、風衝、地殻、金鉱、時空、機構、磁重、聖光、暗黒、幻影、死霊、理言、…か。組み合わせるとなるとデッキはどうなる?」
「いや、もっと読んでから質問してくださいよ」
「君から聞いた方が早いからさ」
「ええと、メインデッキ40枚、サブデッキ10枚~50枚」
「…え、90枚?」
「ま、サブデッキはスイッチのようなものであまり使いませんけどね。メインで属性カードを組み、サブで魔法や召喚カードを組むという分け方ですかね、実際はもっと複雑ですが。TCGプレイヤーは気に入ったゲームならそのカードを買い集めるので、有名なTCGだと千枚以上保有してるプレイヤーもいます。だから最高90枚というのはそんなハードル高くないですよ」
渡部は企画書を読み進める。あ、座りなよ、と渡辺がソファーのほうを指差したので奥村は座った。自然と周囲の視線が集まる。まあ交渉の魔術師とあらゆる意味で謎のゲームデザイナーが企画対談するのだ。少し鬱陶しかったが興味深いのだろうなと奥村はそう思うだけにした。
少し遠くから、あー奥村ー、コーヒーの砂糖何個? という能天気な渡部の声が聞こえたので4つでお願いしますと答えた。そして渡部がコーヒーカップを2つ持って、1つを奥村に渡した。
「コーヒーとかあんま飲めないんですよ」
「紅茶派?」
「いや焼酎派」
「おい」
「冗談です」
渡部が企画書を読みながら言った。
「あー、サブとしての召喚や魔法持ってくるわけか。まだよくわからんが、カードの組み合わせで召喚するという形かな?」
「そうでもありますし、そうでもない、とも」
「間接的だな。普通は最初に召喚カード出して、何らかの方法でパワーアップさせるだろ」
「大体のTCGはそうですけどね。まあ主に魔法対戦なので」
「ふーん、プレイシートが特殊だな」
「ああ、それは魔法陣組み込むためにA4縦の紙を3枚使う形になりましたね。」
「へぇ。まあ枠として楕円形組み込むとスペース取るからなあ。え、魔法陣共有ってどういう事?」
「それはメインデッキから出せる枠数に関係しますね。メインデッキは14種類の属性カードなんですがセクションという2つの区分がそれぞれあるんですよ」
「ああ、書いてあるな」
「となると、枠としては自陣側では不足するんですね」
「ふん」
「これを解決する方法として相手の魔法陣と共有する事で、様々な属性が場に置かれる事になります。利用するもよし、邪魔するもよし」
「で、場のカードの条件満たすと魔法打ったり召喚できるわけか」
「はい」
「えっとさ、この属性カードを一つの魔法にしたほうが良くない?」
「それは考えましたけどコストが掛かります。この方法なら14属性×2区分と細かい要素の印刷でメインデッキのほとんどが出来上がります」
「コストとかお前でも考えるんか」
「考えるってか最適な方法選んでるだけですよ。組み合わせもほぼ無限になる。あ、勝利宣言が相手のHP0と自分のMP0なんです。攻撃ではない魔法を魅せるためですね。逆に大ダメージのMPは少なく自分側にも被害が生じる」
「あ、読み飛ばしてた。ふーん、…て、あれ? この会話前にもしたっけ?」
「いや?」
「うん? なんかデジャヴなんだけど」
「気のせいですよ。痴呆症ですか」
渡部は冗談で奥村の頭を軽く叩いた。奥村は、デジャヴじゃないんですけどね、と心の中で呟いたが口に出しては言わなかった。テイク3。樫木が過去の書き換えを行ってるとは言えやしない。
「召喚は?」
「出す方法はさっき言った通りなんですけど、召喚MPという専用のMPが用意されてます」
「え、普通のMPじゃなくて?」
「レベル制限はありますけど。で、召喚MPの最大値を設定する事によって、小さな召喚獣出すか中くらいか大きいの出してくるかがプレイヤーによって分かれてくると」
「ダメージは?」
「ちょっと特殊なんですけど、ダメージポイントとしては200刻みなんですよ。200、400、800と。そして属性カード1枚に付き200ダメージを示す、という事で200ダメージ受けた場合、デッキから属性カード1枚がダメージ枠に送られる。それで累積1000ダメージ受けると1000ですから5枚のダメージ枠から1枚をダメージカウンター枠に移動、魔法陣の枠として使え、この枠は相手の魔法陣とは共有しない、って感じですかね」
「あー、あー、おい、いっぺんに説明すんな」
渡部はそこらへんにあったカードを取り出し、テーブルの上でつまりこうこうこういう事だろ? とやってみせた。
「まあ、だいたいそんな感じですね」
ふーん、と、企画書を一応最後まで読んだ渡部が、なるほどねーと一拍置いて「デジタルの方が良くない?」と根本的な事を言った。イラつく奥村。
「これからアナログなカード売るって人が…。えーと、アナログだからできるという事もあります。でもその見方は良い所を突いてますね」
「え、やっぱ俺くらいのゲームクリエイターだと他の奴とは違うよな」
「冗談と本気を混ぜないでください」
「ばれた?」
「俺くらいじゃないと皆冗談に受け取らないでしょ。立場とか人気的に。で、半分本気で言ってますよね」
「いいねえ、奥村。俺、そういうところ好きよ」
奥村は渡部から顔を背けてため息を付いた。そして「アナログの『スペル・バインダー』は確実に失敗します」と告げた。
「ん?」
「えーと、一般的なTCGのカード1枚の大きさはトランプと大体同じで約89mm×約58mm、ほとんどがイラストですね。今言った爆発の再現をテキストルールに書くにはスペースがない」
「どうクリアする? って問題だな」
「で、考えたのが貴方が手に取っているそれですよ」
「企画書?」
「ええ。拡張ルールをバラにして売ればいい。一応は魔法仕様書と言っていますが」
「バインダーが必要に…、ああ、それで『スペル・バインダー』か」
「その通り。魔法の法律書みたいなものですよ。所持していれば解釈・使い方の拡張が出来る。そして現代的な魔法戦ですから物理現象知っていれば知っているほど理解が高くなる」
「現代的な魔法戦とは?」
「例えば氷柱を1tくらいに巨大化させたものを魔法で作り、人間に落としたとします。人間ならどうなりますか?」
「あー、死ぬね」
「氷属性ではなく物理攻撃ですよね。火柱があっても溶かせないでやっぱり落ちて死にますよね。火柱の噴出エネルギーにも依りますが」
「あー、なるほど。根本的な。あーあーあー。デジタルゲームで誤魔化してる部分に突っ込むわけか」
「理解が早くて助かります」
「それを再現するゲームですね、言ってみれば。一応、現在のTCGの流れに沿うようにモンスター召喚の要素もありますが」
「現実的に魔法というのを考える、というのが教育の部分か」
「本質ではないですがそうですね」
「なる、ほどね」
渡部は理解しながらも難しい表情を解かない。シミュレーションしているのだろう。そして難しい表情が険しい表情に変わった。
「失敗するね」
「でしょう?」
「バインダーで失敗するな」
「俺もそう思います」
「あたりまえのように失敗を肯定するって事は、何かあるって事かな」
「数年後、2040年ぐらいに『スペル・バインダー』は完成するように出来ています」
「はぁ?」
「電子機器です。AR技術は知ってますよね」
「まあ、大まかな事は知っているけど。資料もらってるし」
「バインダーを使用するタイプのTCGの欠点はバインダーを使用するが故に邪魔になる」
「それはわかる。だからデジタルの方がって言っているわけだけど…って、ああ、分かってきた。カードには書ききれない効果を魔法仕様書だっけ? それに入れて、それをデジタルでまとめるわけか」
「大体パーフェクトな返答ですね」
「どうやって? スマホでも難しいだろ」
奥村はポケットからサングラスを渡部に渡した。STAR1200という製品だ。渡部はそれを掛ける。ARメガネは初めてだったようで、おおう、という反応を見せた。そして外して、へぇーとまじまじとSTAR1200を見つめる。さすがに2040年の『ブラインダー』を見せるわけにはいかない。
「だから2040年ぐらい、か」と渡辺が言った。それにしては具体的な年数だな、と渡部は思った。
「今のARメガネはAR映像を写すためにギミック、この場合は川を覗き込むようなレンズのような物が付いてますが、やがて普通のメガネのようになります」
「そんな開発してんの?」
「これからするんですよ」
…渡部さんが色んなところと交渉して、とは付け加えなかった。『ブラインダー』が開発される2040年まで渡部は家電製品メーカーと交渉を数多くすることになる。
「ん…で、魔法としてはどうなの?」
「属性の中に区分ってのがありましたよね、それでRPGとかの魔法はほぼ再現できるどころかオリジナル魔法も作れます、が、こちらがデフォルトで用意できる魔法には対応として限りがある。バリエーションが多すぎて対応しきれないんですよ。印刷の関係も入ってきますが」
「それをどうするっての?」
「プレイヤーに属性カードの組み合わせでできる魔法を考えて、こちらに送ってもらい反映させるという形が定石ですかね。つまり、炎熱の加熱と水冷の液体を組み合わせれば蒸気ができる。ならば機構と組み合わせて蒸気機関を作れないかと考えますが、公式にはまだ無かったとします。その場合に、こういうのは出来ますかとプレイヤーに送ってもらう。まあラジオでハガキが採用されるものですね。それで新しい魔法を一つずつ作り上げサイトに載せダウンロードできるようにする。企画書の中に魔法要望書の項目を見てください」
「うまく行くのか?」
「前例は無くはないです。特殊な形ですけどね。ユーザーサポートの一つの形です。例えば好きなゲームの公式サイトが毎日更新されたら見ますよね。携帯でも。公式でコミュニティサイト用意できれば最適ですが。TCG関係の掲示板は見ています?」
「まあ、ちらほらとは」
「TCGの公式サイトでコミュニティというのは無いんですよ。それも開発スタッフが関わっているような」
「……確かに無いな。リリースとエラッタばかりで」
「手間はかかりますけど、ユーザーサポートがしっかりしているTCGは生存率、というか息が長い。結局はサポートの問題なんですよ。大会運営もそうですが、ルールに関して強いカードを出したために破綻しているようなTCGは…例えば原作が人気で売れているというものしか生き残れませんね。ついでにいえば原作が不人気のTCGも寿命が短い。メディアミックス無しという条件下だと、いわゆるキャラクターTCGは売れません。原作ありきですからね。だからメディアミックスTCGの人気があります」
「それでこういう作りか」
「仕方ないでしょう。原作あれば俺に話持ってこないでしょうが」
渡部が、ばれたか、という顔で視線を泳がした。
「なので、ユーザーサポート最優先でしか勝ち目は無いですね。なのでユーザーの力を借ります」
「それは考えも付かなかった。作ればいいと思ってたな」
「ユーザーの声に即時反応する公式サイドがあったなら、ユーザーの声に素早く対応する公式なら、好感度は上がります。好感度は信頼度と同じです。信頼ですね、まずは」
「…人件費が掛かるな。人数も」
「知りませんよそんなの」
渡部は奥村のこういう、一見して傲慢なところが気に入っている。破壊者に必要な素質だ。
「というわけで公式でコミュニティサイトを作ります。言うなれば教育の部分がここですね。ユーザーからこれがこうならこうじゃない? という声を集め、形にする。で」
「なんだ?」
「問題なのが、スターターとなるバインダーやカードが売れてくれるかどうかですね、あと魔法仕様書や魔法要望書も」
そう、それは商品として根本的な、売れるかどうかという問題である。
「…難しいな。売れないだろうね、うん、売れない」
「ですよね」
流石はゲーム屋だと奥村は思う。このようなタイプは宣伝が難しい。メディアミックス無し。つまりCMを作ってくれるかも怪しい。そしてCMを作っても効果があるかというと難しい。原作が無いからだ。人気のアニメや漫画がTCGになった、というなら原作の人気で売れる、が、オリジナルの場合は難しい。それも電源ゲームではない。アナログのTCGだ。
例えば「花札」が今の時代に作られ売れるかというと難しい。「花札」は電源ゲームが無い時代、花かるたの派生で生まれ、時代背景から賭博性があり、その印象で売れている。今ではデザイン性も評価されているが、今の時代に作られたのなら賭博性がなく売れるはずがない。「タロット」はアルカナという要素で占いで需要がある。デザイン性も重要で、洗練されている。トランプはゲーム拡張性が高い。だからこそ子供に愛されている。
「ふーむ」
「ええ、それも見越して、手は用意してあります。バインダータイプのTCGは物珍しさから目を惹きやすいですが決定的な売りとなってくれません。逆に足かせとなるでしょう。そこで書籍関係に自分の関係者がいますので表面上は『ライブレ』の情報入れつつ『スペル・バインダー』の情報も入れる。バインダーを売るためですね。そして開発のためにテストプレイヤーをかき集めまくります。人は開発、つまりプロトタイプに弱い。新作のTCGに関われるならテストプレイヤーは集まるでしょう。そして情報を全開放、テストプレイヤーを増やします。テストプレイが鍵です。『スペル・バインダー』は魔法主体なので受け入れられる保障が無い。これをプレイヤー側から見たら、開発中のTCGに触れるという事で興味を持ってくれる人がいる、と信じたい」
「あやふやだな」
「すみません、本当に自信がないので」
「ええと、つまりβの前に未完成のαで客を呼ぶと?」
「ええ」
「難しい事を言うな」
「上手く行く保障はないですが、それは誘導次第ですかね。」
「その誘導がどれだけ難しいのか知ってんのか? それで宣伝は?」
「今は動画サイトもあるのでその辺は少し楽かもしれませんね。現在TCG関係のニコ動の動画数は1400件近く。まだ少ないんですよ。見たときはあります?」
「いや、ないな」
「普通に遊んでる動画やアニメキャラになりきって遊ぶ動画、いろいろありますがCM動画やプレイ動画を流せば少しは目を向けてもらえるかもしれませんね。公式動画作って、コピーして流せばいいだけです。BBSも同様ですね。望みは薄いですが。それと、先ほどの魔法仕様書を2段階くらいに分けています。公式使用できる魔法仕様書とベータとしてフリーダウンロードできる魔法仕様書。コレクター用に豪華な魔法仕様書作ってもいいかもしれませんね。書籍として売るという手もあります」
「つまり非公式というか家で遊ぶ分にはプリントダウンロードして全ての魔法が使える、と」
「プリンターさえあれば、スターターパックだけでもそれなりに戦える。初心者対策です。後は公式戦用に欲しい魔法仕様書を買ってもらうと。まあ、そのような感じですね。バインダーについてはセットで物理現象の基礎や開発者側のインタビューを挟めるっていうのもありますが」
「レアカード関係は?」
「…お望みどおりレアリティつけてますよ。そういう商売ですから」
「ちょっと安心した。でもそうなると買わせるカードやら仕様書やらで使う金額多くないか?」
「それがアナログでのネックな所ですね。でもいいんですよ」
「あ?」
「TCGの楽しみがデッキ構築と対戦だけって物足りないでしょう?」
「言いたいことがよく分からん」
「新しい魔法を作る、それだけで遊べる」
「……1人ぼっち対策か」
「はい。俺、こう見えても孤独な身なので」
「知ってるっての」
「それでTCGってのを遊んだ時が無いんですよね」
「は? え、無い?」
「ええ。だからTCGってのを遊んだ時が無い身としてどうしたら遊んでくれるかという」
渡部は、はー、と、うーん、が混じったような声を上げた。道理で流行のTCGとは毛色が違いすぎるわけだ。でもまあ新しいものはそこから生まれるものだ。でも、やっぱり思う。「大丈夫なん?」と。奥村は100円ライターを取り出し企画書に火をつけようとして渡部は慌てて企画書を守った。
「悪い、悪い」
「そうすか。で、次。問題がバニラカード対策ですかね」
「いらない使えないカードはゴミってやつか」
「いわゆるバニラカードも、魔法仕様書次第で劇的に変わるようにはしています。例えば人に魅せる魔法ならMP多め、水爆や核などの決定的ダメージ当てる魔法ならMPは少なめ。あとさっき言った召喚MPでの制限付けてますが、それでもやっぱりバニラカードは出るわけで。資産ゲー現象は知ってますよね」
「なんとなくは」
「メタゲームとも呼ばれますが、対戦する全デッキに対して有効なカードを入れるためスーパーレアを2枚以上入れる。そのためにスーパーレア手に入れるため買占め、あるいはネットオークションやカードショップでの価値が暴騰」
「最適解が故にそうなるということかな」
「必然的にお金の少ない人は勝つことが難しくなるんですよ。それが初心者と廃人の溝を絶望的なまでにする」
「……」
「まあレアカードが1万からネット取引される時代ですからね。モバイルゲームのカードも2万で売れたりするんですよ」
「へー、今そうなってんのかというかモバイルのTCGで?」
「ええ。それは置いといて。あるカードショップに子供が祖母を連れてやってきた。子供が10万もするカードが欲しいという。そのカードは他のカードショップでは3000円程度で売られているものなのに、店員は祖母と子供にそれを教える事無く10万もするカードを買わせた。祖母が本当にいいのかい、これでいいのかいと子供に言いながら子供がそれがいいというので祖母は10万円でそのカードを買った。実話ですよ。ブログ漁ると出てきます」
「……」
「デジタルTCGではガチャ中毒が出る。だから依存するようにガチャがシステムに組み込まれる。それがTCGの商売。貴方が踏み込もうとしている世界ですよ。TCG担当なら掲示板見るなりネットオークションやカードショップ回ってくださいよ」
「営業ではないんでね。外回りはこの年ではキツいよ」
「まあ、それをどうにかストップできないかと考えていますが…難しいですね。前例が無いので実験的な措置を入れるしかない」
「そう言うって事は考えてはいるんだろう」
「メモとして書いてますが、渡部さんの意見聞きたいですね」
「読んでおくよ」
「全部は数年後のための布石ですよ」
「はん」
「あ、魔法ミックスに関しては渡部さんがこの先作るゲームに応用していいですよ」
「俺もそこだけ使えそうとは思った。つかさ、そこだけでいいんじゃねえのか?」
「俺もそう思いますけどTCGという注文でしょ?」
奥村は軽く笑って渡部がいる仕事場を去ろうとする。渡部が呼び止めるように言った。
「…もう一度聞くが勝算は?」
「未来の技術に期待、って所ですかね」
「…厳しいな」
「もっと正確に言います?」
「なんだ」
「普通のTCGのやりかた、投資金額や運営金額では売れません」
「…聞かなかった事にするよ」
「大人しくモバイルTGC作ってればよかったのに」
「課金ガチャで大儲け?」
「楽でしょ?」
「奥村はさ、そういうの認める派?」
「死ねばいいと思います」
「www」
「しかし現状ではガチャに頼るしかない。ああ、それと、企画会議で通らない事を祈ってます」
「www」
scene:6
つまりは現時点で失敗するものを作れ、か。渡部は髪を掻き上げる。奥村の作るものはいつもバランスが悪い。だが正確だ。アナログでこれを作れと言うのは布石なのだろう。奥村が言う2040年に向けての。失敗が前提にあるTCG。負債も多くなるだろう。成功するイメージが渡部には見えなかった。でもアイツ、奥村には見えているのだろうな、とも考える。全く、奥村は何を考えているのかと渡部は冷めたコーヒーをずずっと啜った。
どう上にプレゼンするか。渡部は奥村案を否定しなかった。それは属性魔法を組み合わせて魔法発動するという部分で他のゲームに応用できそうだからだった。さあ、どう攻めるか。交渉の魔術師たる渡部はプレゼンをシミュレートする。
今回のプレゼンが自分一人だけなのは都合が良かった。合同プレゼンでは会社の体勢から失敗するものにGOサインを出してもらえない。いきなりTCG作れと言われプレゼンでダメ出し、会社とはなんて勝手なのだろう。会社じゃなくて役員どもか。2015年内に作れ? バカか。電源ゲームじゃないから軽く出来ると思っているんだろう。しかし資金を調達するには避けては通れない道だ。だからストレスが溜まる。
渡部という人物はイライラすると、とある声優のCDを聴いてストレスをいくらか緩和させる癖というか習慣があった。音楽プレイヤーソフトを起動させ、音漏れしない高級ヘッドホンを装着、音量最大。つまり渡部が音楽を聴いている=機嫌が悪い、ということでその間は誰も話しかけたりしない。そういう暗黙のルールが会社全体で広まっている。
ブルーフォレスト社内7大不思議現象と呼ばれるその一つである。またその中にはやっぱり奥村のサボタージュが入っている。
奥村も奥村だよ、どうすんだよこれ、と企画書を繰り返し見返す渡部。いや、奥村に頼った俺が悪いのか? 違うな。奥村が今までのTCGと毛色が違うTCGを出すってことは、今までのTCGには派生としての発展はあるけれども未来が無いということか。いや、あいつはそこまで考えない。フィーリングで作るタイプだ。それでいて妙に理に適った物を作りやがる。利益考えないからタチが悪い。
渡部は半分諦めたようにため息を付く。大人とはよくため息を付く生き物である。
奥村が奥村がさっき言った言葉を思い出していた。“新しい魔法を作る、それだけで遊べる”。それは奥村が孤独だからだ。孤独な奴しかそのような見方はできない。TCGの致命的な弱点とは対戦する相手、プレイする仲間がいないプレイヤーが存在するというところだ。そのようなプレイヤーは最初からTCGに手を出さないかデジタルでオンライン対戦するだろう。奥村はそこに手を伸ばそうとしている。なんだかんだで優しいのだ。奥村という奴は。
そしてプレゼンのために何が必要かをノートとPCのメモ帳にガガガガガガガと書き殴りはじめた。最初に書いたのは「一人でも一人ぼっちじゃない」という言葉で、学校でいじめられ教室不登校になった上の娘を不意に思い出して泣きそうになった。学校の事で笑わなくなった娘が「お父さんのゲーム、面白いよ」とTVのゲーム画面を指す。上の娘がやっていたゲームは自分のゲームではなく奥村が関わった音ゲーだった。
音ゲーは基本的にパーフェクトからミスるという作りになっている。概ね“パーフェクト・グレイト・グット・ミス”という判定がある減点方式だ。そこを奥村は“いいかげん”に設定した。“パーフェクト・グレイト・グット・ミス”という表示を出さずに20種類の演出エフェクトで表現したのだった。だからリズム感が無い子供でも楽しめる。娘が奥村が関わったゲームで笑う。そこで渡部は気付く。ああ、優しいな、と。その音ゲーは一般ゲーマーにはヌルいと評価され売れなかったが、渡部個人として、じゃあ誰か俺の娘を笑わせてみろよと思う。奥村が作るものはそういうところがあるのだ。だから俺はお前を気に入っている。
奥村、お前には貸しがあるが、その返しがこれか。よし、いいじゃねえか、失敗してやんよ。やればいいんだろう。
scene:7
奥村は会社の屋上に居た。考え事をする時はいつも屋上だった。煙草は喫煙室しか吸えない決まりとなっていたが、屋上では吸殻を自分で片付ければ許してくれる。たまに焼酎も持ち込む。コンビニで売っている安い焼酎だ。それをコーラで割って呑む。酒を口に入れて呑む時、奥村は視線はいつも空に向ける。
1月だというのに空は晴れていた。その代わり座るところは雪が融けて濡れていたけれど、奥村という人間はそれを気にしない。
どう勝とうか、奥村はそれだけを考える。1年だけの開発期間、予算未定、メディアミックス無しと、どうやっても勝ち目が見えない。勝ち目が見えないという事だけが見えている。という事は、裏返せば何でもやっていいという事だ。反則的なことでも。渡部が俺に企画持ち込んだという時点でそれはわかっていた。TCG開発グループで作れるならとっくにやっているだろう。それが上手く行かなかったという、上手く行っていたのかもしれないが、渡部が言う「残る」ものにはならなかった。
ゲーム屋の理想として10年後も語られるゲームを作りたいというのは本能かもしれない。創作者なら誰でもそのような本能や願望を持っているだろう。
あの人ならどう思うか。トレースする。会った事も無いゲームデザイナーが、苦悩を深くする。おそらく、奴のゲームファンならば会いたがるだろうが、自分は会いたくて、会いたくなかった。この感覚は誰にもわからないだろう。会うとしたら2人だけがいい。ぼそぼそと夢見がちな会話をして、自分だけ酔って、寝たい。そのまま凍死したい。目を瞑ると闇が襲う。醜い過去が襲う。目を向けろ、と誰かが言っているような気がする。でも、もう、眠たい。渡部に渡した企画書のようなメモは徹夜で書いた。それで眠たいのかもしれない。生きたくない、のがこの眠気を起こしているのかもしれなかった。
ああ、余計な事を考えてるなと奥村は思った。昔読んだファンタジー小説を思い出す。ファンタジーになりたかったな、と、途方も無い、夢でしかない事を考えたりした。酔っているのかもしれない。
渡部に企画書のようなメモを渡したはいいが。時計を見る。午後7時を回っていた。今頃はプレゼンやっているのだろうか。通って欲しくは無いなと奥村は憂鬱そうに煙草を咥える。煙草の火が、じじ、と燻って光る。ポケットの中で携帯が震えたので取り出す。渡部からだった。
「おう」
「なんですか」
「企画、通らなかった」
「それは残念ですね」
奥村は物事から解放されたようにほっとしたため息をついた。
「で、こっちは君の名を出したらあっさり通ったよ」
「は?」
「期待されてなかった『ライブレ』で利益だしたからなー、いやー持つべきものは成功者だよ」
「ちょいまて、こら」
「なんだ、こら、とは」
「卑怯じゃないすか」
「卑怯も何もあるか。絶対に売れないと予測されたゲームがニコ動で人気になる時代だ」
「ざけんな」
「ああん、立場的に上司に言う言葉かね」
「降りますよ」
「あ、それは困る」
「えっと『サテクラ』の件は知ってますよね。こっちはそれで忙しいんですよ」
「んなこたわかってる。でも余裕あるだろ」
「ねえよ」
「ええと、山潟県香佐市のデータねぇ」
「…殴ってやる」
「ああ、待ってる。芋焼酎用意してるから」
電話が切れた。あの野郎、本当に通しやがったと奥村はイラつきながらも、こうして今も考えているという事は、心のどこかで通って欲しかったのかもしれないと考える。腑に落ちないのだが、明日から俺どうなるんだろ、と奥村にしては一般常識的な事を考えた。
とりあえずは渡部と酒呑みか。人が嫌いな奥村にとって開発メンバーの飲み会より、人嫌い同士の飲み会の方が気が楽だった。
残り短くなった煙草を深く吸い、吐く。日没の後の冷えた空気が肺に入り込んで気持ちが良かった。というかどうやって自分のPCを探れたのだろうか。パスワードは3重に掛けていたはずだ、と、樫木の事が脳裏を過ぎった。こういう事をやるのは奴しかいない。メタ介入にも程がある。屋上からビル街を見下ろす。あの計画に渡部を巻き込む事になるのかと思いつつ、最初からその予定でいた。
scene:8
奥村への連絡の後、携帯をポケットに仕舞った渡部はプレゼンの疲れからか、椅子に座って、それからしばしの間動けなかった。渡部は煙草を吸わない。上の娘が出来た頃から禁煙しているのだが、今日に限っては煙草が吸いたかった。プレゼンは結局、セールストークを重機関銃のように撃つ力技でねじ伏せた。渡部は通常、定石となるロジックで相手を納得させるタイプだが今回に限っては当って砕けろな勢いでプレゼンをした。
奥村の名前は、奥村には出したと言ったけれども本当は出さなかった。しかし、製作物には根本的に色が出てしまう。自分ではない、奥村の色だ。それで通ったのかもしれない。奥村を引っ張ってくる交渉も意外とすんなり通ったのは、その色というのが見えていたからかもしれない。それはいい。それはいいけれども。
横目で窓の外を見つつ、目を瞑った。プレゼン前、プレゼン材料を集めるために奥村の席に向かったのだが、その時に奥村はいなかった。どうせまた上にいるんだろうと思って、奥村が居ない隙に奥村が普段使っているPCを弄り、何か奥村の恥ずかしいファイルやら出てこないかなと探っていたら東北にあるらしい市の詳細なデータが出てきたのだ。
え、何これ、とその場に居た開発チームのメンバーに聞いてみた途端、その場に居た全員が凍った。相手が同じ地位の社員ならば軽くはぐらかす事も出来ただろうが、上司であり、有名ゲームクリエイターでありゲームデザイナーの渡部である。あの、ダメですよ、としか言えない。渡部はその雰囲気で何かを嗅ぎ付け、問いただした。奥村は何をやろうとしているのか、と。
そして『サテクラ』の裏を知った。あまりにも実現しようがない、とんでもない計画だった。奥村は会社を潰す気でいる。それもあまりにも軽く潰そうとしている。
渡部は奥村の冷たい裏側を見たような気になり背筋が凍った。その場にいる開発メンバーに、冗談だよな、としか返せなかった。知ってしまった。だから疲労が物凄く酷い。あんな企画が通るはずがない、と思いながらも奥村という人間を考えるにやりかねなかった。破壊者は破壊しかできない。パラメータを極端に振り分けたキャラクターみたいなものだ。何を破壊したがっているのか分からないが、とりあえず奥村に話を聞かなければならない。
本当なら楽しく酒を呑み交わすつもりだったが、そうはいかないらしい。だから『サテクラ』の事と東北にある市の詳細データの事を軽く奥村に伝えた。酒の席でこの事を聞くぞ、と。会社が軽く吹っ飛ぶ計画など止めなければならない。そして止められるのは自分しかいない。
scene:9
物語は少々脱線する。
舞台はワールド2:鋼織世界クラスタ。
クラスタは私達が生きている2010年代の日本社会をそのままコピーしたような世界だ。
現実とまったく同じと思って良い。舞台はその時代の、架空のアーケードゲームが中心となる。
2000年代後半からアーケードにてネット接続してプレイするゲームが発生し始めているのは実感として分かるだろう。
ネットゲーム。古くは1974年、32人同時の通信対戦をサポートした「Spasim」というマイナーゲームに始まり、1991年にAOLがサービスを開始した「Neverwinter Nights」、1997年には全世界で300万以上の売り上げを記録した「DIABLO」。
あまりにも数が多いので省略するが、数々のネットゲームがリリース、またはサービスを開始された。
そこから歴史は進み、家庭用ゲーム機でもネット接続が当たり前のようになった。
日本アーケード界では2001年に筐体とインターネットを連携させるシステムが開発され、2002年からはプレイデータの集計やオンラインアップデートのためにネットが使用されるようになった。
2007年になるとPCを含むネットゲームではアクションやシューティング要素を含むものも普通になり──
──ここからが架空の話、鋼織世界クラスタの世界になる。
非常に現実と似ていて、それでいて違うために、長い物語が必要となるがお許しいただきたい。
最初に1つのアーケードゲームについて話さなければならない。
2009年、ネットワークに本格的に対応されたアーケードゲーム基盤ベースにて、ゲーム開発会社であるブルー・フォレスト社が『ラインブレイカー』をリリースするところから物語は始まる。
『ラインブレイカー』とは、自らカスタマイズした機体と武器でネット上のプレイヤーとチームを組み、ただひたすらに戦闘するというシンプルなロボットゲームである。
その『ラインブレイカー』だが、前評判としてはあまり期待されていなかったと思われる。何故ならロボットゲームというのはゲーム業界の新人がよく企画に出すテーマであり、家庭用ゲーム・アーケードゲームでは定番中の定番。それで大ヒットするとは到底思えなかったからである。大ヒットアニメを使ったゲームよりは人気は出ないだろうと言われていた。
また『ラインブレイカー』はクレジットで「ゲーム内時間を買う」というそれまでのゲームとは違うシステムを取っており、1クレジットでのプレイに慣れていたアーケードゲーマーの不安を招いていたというのは事実である。操作形態もPCゲームのようなマウスで操作するというものであり、リリース当初はPCでもプレイできるタイプのゲームを、何故アーケードで金を払ってまでプレイするのかという声が強かった。
10人対10人というのが一つの売り文句となっていたが、PCゲームではそれくらいの人数の対戦は当たり前で、特に目新しい所がない、というのが『ラインブレイカー』に触れる前のプレイヤーの意見だった。
だが、その声は『ラインブレイカー』に触れた瞬間、すぐに覆される事になる。
驚異的な中毒性を持っていたのだ。
同系統のPCネットFPS・TPSよりもシンプルでわかりやすいタッチパネルインターフェイス。それまで必要とされていたストーリーを最初から削り、ネットでのチーム対戦に専門特化。コアという最終撃破目標物を巡っての攻防、プラントという場所の制圧でのエリア内移動。自分のプレイスタイルに合うように機体を改造し武器を持ち替え、ネットワークで日本中に結ばれたプレイヤー達による10対10の即席チーム戦が繰り広げられる。
タッチパネルで指示などを味方に送れるが、チャットの種類が微妙に少ないために味方内での読み合いが始まる。「クレジットでゲーム時間を買う」というゲームにとってデメリットだと思われたそのシステムは、通常600秒だが目標物破壊にて短時間で終了する戦闘の関係で微妙なゲーム時間が残り、時間が足りないがもう1プレイだけ対戦したい、武器や機体を買いたいというプレイヤーの心理を動かし、クレジットを追加させる。
残りゲーム時間との葛藤。これまでのゲームで考えなくても良かった要素が入れられたのである。言うなればパチンコでの「もう千円つぎ込めば大当たりするはず」という金銭感覚の一時的麻痺に似ている。非常に良くシステムが組まれ、それら全てが機能していた。
普通にゲームとして面白く、またアーケードゲームの特性である1プレイ有料と同一基盤と光ネットワークによる同条件がプレイヤーを本気にさせた。
お金が平等でも不平等でも、上手いやつは上手く、下手なやつは下手。
シンプルな原則。これは同一基盤と同じ光回線でアーケードだから出来た事である。人気は瞬く間に全国へ広まった。
同時期、より、2年近く前になるだろうか。2006年の冬。日本にて巨大掲示板群を運営していた管理人がとある動画サイトを立ち上げた。独自とも言える、コメントが任意のタイミングで画面に流れるように表示されるシステムがネットユーザーの中で人気になり、2010年には動画と言えばその動画サイトとまで言われるようになった。
当然ながらゲーム関係も“ゲームプレイ動画”または“ゲーム実況動画”として大量発生する。プレイ動画に関して最初はPCゲームやPCに繋いだ家庭用ゲームが主だったが、その流れでアーケードゲームもハンドデジタルカメラで撮影したものが増殖。
そんな中『ラインブレイカー』を含む2010年付近のアーケードゲームはモニタに繋いで観戦する事を想定して作られており、モニタに繋げられるという事は外部出力ケーブル経由して録画が可能であることを示唆していた。
いつ、誰が、最初にやったのかはわからない。だが。
2010年7月時点、その動画サイトでのアーケードプレイ動画を検索すると『ラインブレイカー』の動画関係はいつの間にか1万を越えていた。2012年には3万を越えている。
これはアーケードゲームのプレイ動画としてはトップとなる動画数であり、1日に20以上の動画が投稿されている。2010年から5年間『ラインブレイカー』がアーケードゲームで不動の地位を築いたのはこのプレイ動画の影響が強い。プレイ動画こそが最大の広告宣伝となりえるからだ。
ゲームに関する情報が、雑誌・掲示板・ブログから動画へと変わっていった時代でもあった。
百聞は一見に如かずであり、百枚の静止画は1つの動画に如かず。
このプレイ動画の発生によって株を下げたゲームも少なくない。ストーリーに重きを置くタイプのゲームはネタバレになるからだ。ストーリーが浅ければ、それだけその浅さが露呈してしまう。
掲示板の登場でもそれは起こっていたが、動画は一発でわからせてしまう威力がある。
『ラインブレイカー』には建前上のストーリーしか無い。だからこそ、プレイ動画が宣伝効果となり得た。
上手い人が次々と動画をアップロードし、動画を見た人がプレイや機体カスタマイズに反映させる。研究は繰り返され、『ラインブレイカー』プレイヤー全体のレベルが急速に上がっていった。
2012年から物事は劇的に変わり始める。
『ラインブレイカー』のバージョンが1.6へ。新たなプレイポイントが追加された。組織的に複数人で動くとチーム全体貢献として3ポイントが与えられるように仕様変更された。例えばコア攻撃を通すのに一人が囮になるというプレイがあるが、その囮役にもポイントが与えられるようになり、敵のほとんどが自チームベースを急襲している時に誰かが敵ベース前プラントを取るとポイントが与えられるように変更されたのだ。
通称プラント奇襲と呼ばれる行為だが、それが味方プレイヤー全員にアナウンスされる。『ラインブレイカー』の10対10の“組織戦”という要素に、より重きが置かれたのである。『ラインブレイカー』はチーム戦であり、決して一人では勝てないように調整されている。また囮プレイでもポイント入る。
そして、プレイヤーの間で幻とまで言われた初期機体ブランドの3段階目が遂に使用可能になった。元々バランスが良いとされた初期ブランド機体の現時点での最終段階。それは他の機体を凌駕する性能を持っていた。
もともと初期機体ブランドを使っているACEランクプレイヤーはこの3段階目を手にして鬼のようなプレイを見せた。
同じ年の冬。
『ラインブレイカー』バージョン1.7へアップデート。
全ての機体パーツ、武器性能、マップ構成が修正対象となりプレイヤーを驚かせた。特に産廃とされていた武器と不人気のマップ構成に大幅な上方性能修正が入った。
目玉となったのは巨大兵器である。バランスブレイクとも言われる兵器を投入したのだ。
BBSではバージョン1.7になってから話題が絶えず投稿され、一方、動画サイトには検証動画が数多くアップロード、そこから新たな兵装戦術が生み出された。
アップされる動画数は更に加速する。バトル動画、検証動画、ネタ動画。
この年、『ラインブレイカー』の関連動画数が35000を越えた。リリースから3年が経っても尚、その人気は衰えずBBSのスレッドは600を突破。リリースから約2年半、プレイヤーの間ではそろそろ『ラインブレイカー2』が出るのではないかと噂される。
1.7からチャットが細かくなった事により指示系統がよりわかりやすくなった。
『ラインブレイカー』は一人でスーパープレイをやって見せても、自チームのコアダメージが大きければ全体として敗北とされる。
そこでプレイヤーが考えたのが、チーム戦、言いかえれば“組織戦”で、どうやって勝利へと繋げるかである。
最初は小さな動きだった。
組織戦に興味を持ったプレイヤー各々が「組織」や「戦術・戦略」に関する情報を集め始めたのだ。ちょうど若い世代の間で「組織」というものに関して注目されてきた時期と重なる。MMORPGで仲間との輪を保つために組織論の基礎をネットで仕入れて反映するという動きが出てきたのだ。
もともと日本人は島国という国柄が影響しているのか、組織で戦った時代、戦国時代や第二次世界戦争を美化する傾向にある。そして日本人の特性として勤勉というのがある。日本が技術大国なのは勤勉さがあっての事だ。
たかがゲームに組織論が反映されても、なんら不思議は無い。当然と言える動きかもしれない。
組織論を覚えたプレイヤーが目覚しいプレイをし、その動画を簡単な解説つきでアップロードする。それを見た別のプレイヤーがまた組織戦について学び、反映させる。
『ラインブレイカー』プレイヤーを中心に、そのような新しい学習の流れが発生していった。
学習は、学習を呼び込む。組織戦そのものから経済へ、戦争へ、各国の時代へ、人物へ。ネット時代だからこそ、ネットの情報は浅いのかもしれないが広範囲に情報はリンクされる。広範囲。例えばウィキペディア日本語版だけでも68万ほどの記事がある。これからもっと増えるだろう。
誰も把握不可能な情報量。それがインターネットにて自宅から、ネットカフェから、携帯端末からアクセスできる。インターネットの情報は言うなれば雑多だ。嘘や事実ではない情報も多い。だからこそ立体的に情報を組み合わせて物事を見る事ができる。インターネットの海へ、雑多で猥雑なる情報の海へ。そして人は情報の海の泳ぎ方を知る。
2000年代、ネットによって人が受け取る情報量が飛躍的に増加した時代。
インターネットは影響を受けやすい未成年、主に高校生や中学生の思考マインドを変えていった。
『ラインブレイカー』はそのようなタイミングで登場した。
もっとプレイが上手くなるように、もっと組織的に動けるように。金は有限。だからこそ学習しなければ。そして、より多くの知識を取り込みたいとするネットユーザー各々によって、ネットを使った新しい学習方法が考え出された。
その結果は、ゲームセンターとは全く違う場所、中学・高校・大学での学力テストに出る事となる。2010年から急速に学力を伸ばす生徒・学生が全国的に発生したのだ。特に進学校ではなく、普通・普通以下の偏差値の学校でその傾向は顕著だった。
一部ではあったが突然の全国学力アップに教育関係者は困惑する。ゆとり教育での学力低下に悩んでいた教育関係者にとっては嬉しいニュースだが、何が作用したのかは謎であり要因を探る事になった。
そして組織や戦術・戦略に関する本などが若い人を中心に売れている事を突き止めるが、購入動機が「ゲームのため」、特に「『ラインブレイカー』のため」というのが多数で、またも教育関係者は困惑する事になる。教育に悪影響とされていたゲームが学力をアップさせたという事実。
教育関係者も半信半疑だったが、テストを重ねる毎に全国平均学力は上がっていき、認めざるを得なくなった。
2018年の少し前だっただろうか。
その『ラインブレイカー』を制作したブルー・フォレスト社内の動きとしては、『ラインブレイカー』企画開発者が『ラインブレイカー2』ではなく次回作となる企画を書いていた。
コードネーム:『サテクラ(仮)』
『ラインブレイカー』の2ではなく『ラインブレイカー』のシステムを踏襲した別のゲームの企画だった。
2015年か2016年に提出する予定だったのだが、その中身は2015年の時点では実現不可能な内容だったため、制作チームが偽の企画書を用意、ブルー・フォレスト社の上層部にプレゼンする事になる。
上層部はリスクの少ない『ラインブレイカー』の続編では無く、後継である事に眉をひそめるが、元々『ラインブレイカー』はそんなに収益を上げないだろうという上層部の読みが良い形で外れて大ヒットにしたこと、『ラインブレイカー』の後継でプレイシステムは基本的に『ラインブレイカー』と同じであること、今度は24人対戦であることを受け、ブルー・フォレスト社上層部は『サテクラ』の企画を許諾する。
24人と言う事は1つの戦闘で一気に3クレジット、300円を24人分奪える。
そして店のスペースに寄るが最大12×2、24台設置可能である。24台と言えばそれだけでアーケードゲーム店が開ける。
『ラインブレイカー』筐体は貸し出し制であり、筐体購入資金は安いが、1クレジット100円に対して30円が掛かる。
簡単な計算をしてみよう。
戦闘に必要なクレジットは1クレジット30円×24人分×1日に行われる戦闘数。
この戦闘数を仮に200とした場合、1日で1440000円が収入として入る計算となる。
1ヶ月で4320万円。1年で5億を越える。戦闘数が2倍なら、3倍ならと考えてみよう。
ゲームセンターが午前10時営業の午後10時閉店として、時間にして720分。1戦闘は約10分。5分以内で終わる戦闘もあるが。つまり少なくとも72回分の戦闘が行われ、クラスが違えば箱と呼ばれるグループも違うので約5倍として360回。360回の戦闘×30円クレジット×24人×12時間=約311万円。それくらいは最低稼げる。それらを考慮すると企画を通さない筈が無かった。
実際、昨年度では赤字決算の一因だったアミューズメント事業が『ラインブレイカー』などのリリースで営業利益を約14億円にまで伸ばした。開発資金は2015年から開発チームに渡る事になる。
同年。山潟県(架空)の中核市である香佐市(架空:人口約60万人)にて大規模な人気同人シューティングゲームの二次創作イベントが3日間行われる。
小規模コミケなどの二次創作イベントなどは各地でたまに開かれていたが、一つの同人ゲームの二次創作のみ、それも3日間連続というのは異例とも言えるイベントであった。山潟県香佐市は表現に関する規制がまだ少ない。これが数多の同人サークルを呼び込む事になる。
数ある同人サークル、全員の香佐市への足、電車・バス・飛行機などを用意したのも功を奏した。また深夜バスのラインや宿泊先のインフォメーションサイトを作り、来客者の誘導を行った。
大都市でさえも人気同人ゲームのみで3日間のイベントを開く事は無いというのに香佐市は実行したのだ。この同人シューティングゲームを知らない開催側は誰もが失敗するだろうと思っていたが、蓋を開ければ来場者数は3日間で延べ43万人。香佐市で毎年行われる祭の観光者数の約3倍であった。
会場はメインである「香佐メッセ」の他、香佐市にあるイベントホール各地などでも行われ、周辺地域の経済を一時的に潤す事となった。イベント開催時は交通渋滞や会場でのトラブルなどが頻発したが、ゲームファンと香佐市住民との交流もまた行われ、香佐市住民はゲームへの理解を深めた。
このイベント効果により、後に香佐市は「エンターテイメント産業特区」として国に申請する事となる。
同年、開発会社であるブルー・フォレスト社がゲーム雑誌やゲームサイトの取材を受け、「これからは新武器や新マップなどの追加はあるが、大幅なアップデートはないかもしれない」と発言。
「『ラインブレイカー』はアーケードであり、新作を期待するゲーマー達のためにいつかは席を外さなければならない」
「最終アップデートはバージョン1.9。予定では1.8は今年の冬、1.9は2年後になる予定」
これが憶測に憶測を呼び『ラインブレイカー2』が出るのではないかという噂が飛び交い、BBSの『ラインブレイカー』要望スレというスレッドでは、何人ものプレイヤーが要望を書き込むという事態が起こった。
公式では炎上というネットでの失言による信用低下スパイラルを恐れ、BBSなどなかったからである。
だが、一人の男がいた。
それはブルーフォレスト社の広報でありながら、2chやニコ動向けに発言してしまう、『ラインブレイカー』担当でありながらヘタレプレイなために皆に愛された、最強の広報担当。
名前は伏せるが、噂では頭に牛の角を付けているらしい。その男が裏で、見えないところで、皆の意見をブルーフォレスト社に繋げた。繋げないまでも皆の意見というのは把握していたのだが、牛の角を付けた最強の広報担当の情熱に負け、本来は数ヶ月先に出すはずの情報を公開した。
この事態に対し、ブルー・フォレスト社は「『ラインブレイカー2』ではないが後継となるゲームは計画されている」とネット上で発言。
そして『ラインブレイカー』後継ゲームについても言及。
──『ラインブレイカー』の後継。『ラインブレイカー』から生まれし異端なる私達の子供。
──私達はその子供に『サテライトクラスタ』と名付けました。
その発言に、プレイヤー達はネット上で様々な反応を見せた。
『ラインブレイカー』がシリーズにならず終わるのは間違いないが、その遺伝子を継いだ後継ゲームが出る。
プレイヤーの反応は割れた。組み換え自由なロボット+アバター+自由なプレイヤーネームを重視するものは『ラインブレイカー』継続派、新しい『ラインブレイカー』の次が見たいものは『サテライトクラスタ』派である。
『ラインブレイカー』継続派としては『ラインブレイカー』は完成しているゲームで、そのラインを壊さなくても安定だからヴァージョンアップは歓迎するけれど、何もかも新しくなるのは不安、という意見が多かった。またPS4で『ラインブレイカー』が出るとの噂もあった。
しかし全体的に見れば1.9を待ちつつ『サテライトクラスタ』を待つという意見が多数派であった。それだけ『ラインブレイカー』がゲーマー達に愛されていた証拠でもある。
『サテライトクラスタ』というタイトルが何を意味するのか、プレイヤーによる予想が始まる。
香佐市での、いわゆる『サテライトクラスタ事件』が起こる前。
『サテライトクラスタ事件』に関しては他の項に書く。
scene:10
企画には2種類あり、自分が望む企画と、望まない企画とがある。企画が通ってしまえば望む望まないに関わらずやらなければならない。仕事とはそういうものである。そして奥村と渡部は居酒屋に居た。
「いやー奥村マジ天使」
「あのそういうネットスラング軽々しく使うのやめてくれませんかね。なるはや、とか大嫌いなんで」
「まあ、呑め。高い芋焼酎なんだぞこれ、好きだろ焼酎」
「好きじゃないですよ。安いから安い焼酎呑んでるだけです」
「あれ、そうなん?」
奥村はグラスの芋焼酎にドリンクバーのジンジャーエールを混ぜて啜った。
「…勿体無いというか、芋焼酎の味を殺しまくる呑み方するよな。旨い?」
「人の勝手です」
「ちょい飲ませて」
「あ」
「うわ、なんだ、甘ったりぃな、糖尿になんぞ」
「そっちこそ飲み会で肝臓やられてるじゃないすか」
「ま、いやー、企画が通って安心したよ」
「…こっちは大迷惑ですけどね」
「まあそう言うな奥村。企画通って喜ばないなんて他の奴に知れたらボコられるぞ。フルボッコ」
「知りません」
「今日の昼、また屋上に居たな」
「さあ」
「『スペル・バインダー』の事を考えていただろう? 企画通るかどうかわからない段階だってのに」
「……」
「どこかでわかってたよな、通るって。だから今不機嫌になっている」
「違いますよ」
「お前は…、どこかで未来を見てる。それも自分の未来じゃなく、誰かの、子供のと言ったほうがいいかな」
奥村は渡部の言いたい事が良く分からないが、『サテクラ』関連に話を持ってくる気だろうなと考えた。渡部は渡部で『サテクラ』の計画を止めに来たのだろう。それくらいは分かっている。奥村は刺身をつつきながら、甘ったるい焼酎を、くぴ、と少しだけ呑んだ。渡部はこのようなタイミングを見逃さない。相手が喋らないタイミングで話しかける。
「お前が作ってきたゲーム、全部プレイしてんだよ。サンプルで」
「買って下さいよ」
奥村は目線を手に持っているグラスからテーブルの端に移した。はぐらかすのがこの場の正解だろうと目付きを緩ませる。その瞬間、渡部の視線が鋭いものに変わった。しまった、気付かれた。
「お前の、なんだろうな、それはどこから来る…思いや考えなのか、ずっと考えてたよ」
「嘘ですね」
「いや、…本当に。ゲームは大人数で作るものだが、核の部分作るやつで味が決まる、この焼酎のようにな」
「美味しんぼで見ましたよ、その焼酎。というか美味しんぼで紹介されてたから注文しましたよね」
「話、脱線させんなよ」
「いや、この焼酎のように、とか言うからですよ」
渡部は無駄な話をしない。大勢の人がいる時はバカ話ばかりするが、奥村と話す時は無駄な話はしない。それはそれで奥村にとっては楽だった。この人になら大丈夫だろうか。何が大丈夫なのか奥村にもわからない。自分の、本当の話は人には通じない。夢見物語のような話になるからだ。酒を口に入れるタイミングが合い、2秒間の沈黙が訪れる。どちらが先に『サテクラ』の話を切り出すのか。とりあえず、自分から話す事にした。
「渡部さん」
「なんだ?」
「例えば、一生懸命作ったゲームが簡単に中古屋に売られたり、捨てられたりしているのを見た時、虚しくなりません?」
「ああ、…その感覚は分かるよ」
奥村は頭を軽く掻いた。
「俺の頭の中にあるのはゴミ処理場なんです。あらゆる物が捨てられる。本、玩具、CD、ゲーム、機械、まあ色々ありますが傷が付いて使えなくなったゴミ。パッケージもびりびりにぼろぼろになっていて。今、数ある音楽CDやらゲームCDやら本やら売られている、その墓場。捨てられてボロボロのぬいぐるみ、壊れて動かないラジコンの飛行機、そういうのが沢山あるような。結局、自分の作品もゴミになって捨てられるだろう、みたいな」
「ふーむ」
「ああ、商品の成れの果てだな、と、思うんです。それで、何故かそこ、というかゴミ処理場に女の子が居てですね、ゴミ処理場のお姫様。まあ妖精みたいなのが、そこで遊んでいるんですよ。ダウンロードの妖精みたいのが。それで、少しだけ、救われるんですね」
「童話のような話だな」
「自分だけの童話です」
渡部は奥村の話で何かに気付く。奥村の作るゲームの芯のようなものかもしれない。
「ああ、それでか」
「?」
「お前が作る物には、なにか、傷があるような感じがするんだよ、障害って言ってもいいのかな」
「誰でも持っているような傷ですけどね」
「いや、違うね。前に英語教育のゲーム作ったろ? 普通なら電子辞書の応用みたいな作りをするんだけど、ギャルゲーのようなストーリーを入れたな」
「まあ、日本人ギャルゲー好きですから」
「モノホンの外国人の少女入れて、お前ニコ動でその子と生放送やってたろ、会社のアカウント使ってさ。会社で大騒ぎだったぞ」
「…あの時ほど渡部さんに頼った事は無かったですね。上手く抑えたでしょう?」
「お前じゃなかったら動かなかったよ。結果的にそれなりに売れたが」
「英語教育ブームというか学習ソフトブームの時で、いくらでも機械的にすることは出来たし、その方が制作費少なかったんですけどね」
「いや…あれは、君だからそうしているんだよ」と、渡部は奥村の事を冗談ではなく“君”と呼んだのは会社で出会って間も無い頃だったなと思い出す。最初から目付きがおかしかった。人を殺したような瞳だった。小さな頃から絶望と戦って、戦って、戦いきれなくて、絶望を取り込んだ瞳だった。若き頃の渡部は奥村のそのような目付きを見て、やっとマシな奴が会社に入ってきたなと思った。人格破綻者。ゲーム会社は壊れた奴の遊び場じゃなければならないと渡部は自分の心の中のゲーム哲学にそのように記している。
「奥村はさ、そういう機械的な言語学習で本当に学べると思ってる?」
「えーと、ケースバイケースですかね。少なくとも単語や文法は覚えるでしょう」
「でも奥村は違うと思ったわけだ」
奥村は少し考えて言った。
「…俺が小学生の時に外国人が転入してきた事があって」
「ふむ」
「フィリピンの子だったかな、結局誰も話しかけず、友達も作れず、その子はまた転校していって」
「へえ」
「とりあえず、言葉よりも相手と仲良くする行動なんじゃないかなってずっと思っててですね」
「なるほど」
「最初は単に普通の学習ソフト作れっていう上の企画ですから、そこから金引っ張ってくるのに苦労しましたけど、『ぼくなつ』の初恋版という線で攻めたら、まあいけましたね」
「なるほど。あのゲームなあ」
「?」
「展開やらエンディングをいまだに思い出すんだよ。まだ小学生の子供が主人公で外人の女の子が家の都合で転校してきてさ、外人の女の子は個人主義の国の子だから孤立して、そこに主人公が関わって英語を覚えるという作りで。やっていく内に女の子も日本語覚え始めて。うん…ラストが良かったね。主人公とヒロインが大人になって子供作っててさ、インターネット生中継使って英語を日本人に教えるって事をやっててさ、俺な、泣いたんだよ」
「www」
「笑うんじゃねえよ」
「すみません。意外ですね、渡部さんが泣くなんて」
「いい意味で脱線してるんだよ。でさ、俺子持ちになったじゃん? 久しぶりにもう一回やったら、もうダメだね、展開知ってるから、途中でも泣くんだよ」
「まあ、あの2人には幸せになってもらいたかった、というのもありますけどね。優しさは忘れないものですよ」
うん、やっぱり奥村だ。お前は俺の娘を救ってくれたんだ。俺にはどうする事もできなくて仕事に逃げていた。
「その前に音ゲーもそうだな。優しいところがあるよ」
「どうしちゃったんですか渡部さん」
ほんとにな。どうしちゃったんだろ、俺は。渡部はうっかりすると涙が出そうだった。今日の夜の天気は晴れだそうだ。星空が見えればいい。都会では月か明るい星しか見えない。渡部は今まで奥村を破壊者だと思っていたが勘違いしていたと気付く。破壊者には変わりないが、ただ単に破壊するわけではない。何かを残す。『ライブレ』はある意味でアーケードでの遊び方を壊した。録画というファクターにてそれまでの遊び方を変えた。こいつは何を見ているのだろう。…なあ、俺はお前が作るものが見たいよ。いつまでもさ。そこに俺がいれば、なあ、世の中面白くなるんじゃないのか。
「黙って聞けよ。で、そこを考える奴ってあんまいないんだよ、で、俺はお前に興味持ったというわけだ」
「どういう繋がりですかw」
奥村は、とうとう来たかと警戒する。どのように話の流れを持っていくか計算していた。
「『スペル・バインダー』通って良かったと思ってるだろ?」
「正直、微妙な気分ですけどね」
「属性の設定見て、ああ、お前だと思ったよ。普通なら光属性は正義、闇は悪とするんだけど、そうしてないだろう?」
「まあ、闇を嫌って欲しくはないなと、それだけ」
「どこか優しいんだよ。だからな、声を掛けた」
「……」
「ああ、それと『サテクラ』の計画書読んだ。裏の方のな」
予想してたとはいえ、いきなりの攻撃に奥村は一瞬だけ渡部の目を見て、しまったなと感じで逸らした。渡部はそれを逃さなかった。この瞬間に渡部の勝ちが決まった。
「本気なのか?」
「……言えません」
「会社、潰す事になるかもしれんぞ」
「……」
「働いているやつの家族の事を考えてるのか」
「……」
「一つのゲーム会社よりゲーマーを選んだという事か」
「…そう、なるんですかね」
奥村がそう諦めるように呟いた後、しばし沈黙が続いた。奥村は渡部の顔を見ず時間を潰すように煙草を吸い、渡部は焼酎のグラスをちびちびと口に運びながら悩んでいるような、考えているような仕草をした。テーブルの上の料理には2人とも手を出さなかった。渡部は考える。何人犠牲にするのだろうかと。奥村の計画は規模のでかさ故に会社のリソース全てを、言うなれば金と人材を全部持っていかれるだろう。そして成功するかというとそうではなく失敗する可能性が高い。一つの町をゲーム特化するという事は、その他の地域、つまり全国を捨てるという事だ。全国を捨てて収益モデルが成り立つはずは無い。
渡部の脳には奥村の計画に対するネガティブ要素がどんどんと積み重なる。だが、脳のどこかで、奥村の企みが、ゲーム特化された都市がイメージとして見えて振り払えない。だから渡部は悩んでいた。渡部は奥村の方をちらりと見た。相変わらず自信なさ気な猫背の背中と景気が悪い顔で煙草を吸っている。灰皿はもう奥村が吸った煙草でいっぱいになっている。
どうしてこいつはこんなにも自信が無いんだろうな、と思う。普通、規模が大きい計画を作る奴は人格に障害を持っている自信家だろうに、奥村はいつも生きているのが申し訳無いというような態度を取る。最初に出会った時もそうだったが、今、話していても、暗い。まるで許されない罪を背負っているようだ。
前、奥村が言った“一人ぼっち”という言葉が引っかかる。奥村は本当に一人ぼっちなのかもしれない。大人になっても一人ぼっちであるという感覚は辛い。辛いから誰しもが友人や生涯の伴侶を見つける。だが奥村の場合は…と、渡部は自分が奥村だったらと考え、自分には耐えられないだろうと思った。妻がいて、子供もいる自分には、奥村が抱える孤独は逃げ出したくなるほど辛い。ずっと一人ぼっちなのか。一人ぼっちの孤独を忘れさせるゲームを作っているのに孤独なのか。ここまで渡部は考え、ああ、もう俺はダメだと、思った。一人ぼっちは辛いだけだ。だから。なあ。
「俺も混ぜろ」
「!?」
「お前一人じゃ無理だ。俺が必要になる。そのかわり『スペル・バインダー』手伝え、いいな?」
奥村はしばし迷ったが、返事として、芋焼酎もう一杯いいですか、と、苦笑のような微笑み混じりで答えた。あーあ。言っちゃった。と渡部は脳内で愚痴りながらも、心の中のもやもやはすっかりと取れていた。それからはバカな話しかしていない。渡部は久しぶりに、本当に久しぶりに酒に酔った。
2人で泥酔し、店から外に出て空を見上げた。なんて綺麗な夜なんだろう。ずっと誇れるものが作りたかった。作ってきたはずなのにそれは誇りではなかった。いじめられてる娘の顔を、悲しさと悔しさと諦めが入った顔を見たときに俺は何を作っていたのだろうと会社を辞めたくなった。でも、そうしなかったのは娘と同じような瞳の奥村がいたからだった。会社を辞めれば娘からもゲームからも逃げる事になる。なんて綺麗な夜なんだろう。心に足りなかったパズルのピースがはまったような感じだ。俺とお前なら、できる。できるはずだ。一人ぼっちじゃないんだ。
scene:11
2040年。
『スペル・バインダー』アプリケーション、それは最初から『ブラインダー』にインストールされている。何故だろうか、彼女には、そのゲーム・アプリケーションが自分を呼んでいる気がした。
指が映像に触れるとパスとなIDダウンロードが開始された。新規データダウンロードも含まれている。
桜の、幻影。『ブラインダー』が見せる映像だから文字通りの幻影である。夜を思わせる悲しいトーンのピアノソナタが聞こえる。ゆっくりとした、マイナーコードの曲だろうか。影絵のような日傘を持った女性のシルエット。ダウンロードが100%に近づくにつれ、その影絵ははっきりと黒くなる。その女性のシルエットは少しだけ顔をこちらに向けていて、100%で、にやり、と口元を笑みにする。それは一瞬だけだったので、彼女は戦慄のような、殺意を向けられ体がビクッと反応するような感覚を覚えた。
上品なフォントで『Spell Binder』と表示される。
「はじめまして、まだ名も無きプレイヤーさん。このゲームをご存知でしょうか」
彼女は何も知らないのでNOを選択する。
「それでは5分間、この映像をご覧になってください。お時間やご都合の方は大丈夫でしょうか?」
5分間だけならとYESを選択する。
オープニングデモンストレーションとして説明もなしに『スペル・バインダー』の戦闘シーンが始まる。繰り出される魔法の数々。プレイヤーによって使う魔法が違うのも興味深かったが、一番目を惹いたのが炎の魔法だった。仮想空間なので半径300mぐらいのスペースが一気に火の海になり、彼女の瞳に真紅の炎が映り込む。まるでその炎が瞳に宿ったようだった。
scene:12
次の日、奥村は出社してから『ラインブレイカー』スタッフに一時抜ける事を伝えた。正式な辞令は数日後になるが。『ラインブレイカー』は新ネタのアップロード、PS4版の開発だけなので奥村無しでも動けるぐらいにはなっていた。そしてTCG企画へとに移る代わりに現在計画している『サテライトクラスタ』に渡部が加わる事を伝えた。奥村のチームは『サテクラ』の本当の計画、つまりゲームによる都市の占拠計画を知っているが、実現は無理だろうと誰もが考えていたところに渡部の名が出てきたので、皆の反応を分かりやすく書くと、マジすか、という感じだった。
それでTCGの方で奥村と渡部が組むという。これはブルーフォレスト社内ぐらいしか感覚が分からないだろうが、ありえない組み合わせだった。通常ゲームクリエイトする人間は一人の方が良いとされる。二人以上なら何らかの衝突が起こる。そしてその衝突はスケジュールを圧迫し、プログラマーが倒れるか逃げるかし、発売日が伸び、その分の人件費などのコストもかかってしまう。それが常識であったのだが、2人が組むということに皆何となく納得していた。奥村が問題児なので渡部が引き取ってくれたのだな、と。
話を戻すと『サテクラ』こと『サテライトクラスタ』はぶっ飛んだ計画が故に絶対に通らない企画であり、故に偽の企画書を提出している。渡部と言う人間は飄々としていて、それでいて企画を通すのが格段に、詐欺師のように上手い。上との関係を持っていて、上からも渡部に対する信望は厚く、交渉には向いている。
もう一度書くが『サテライトクラスタ』はそのぶっ飛んだ計画が故に絶対に通らない企画であり、どうしようかと話していた所で渡部の参入は企画を通す一本の光の道になってくれる。スタッフにとっては奇跡というべき人間だった。『ライブレ』の続きをやれるのかという安堵も含まれる。
そしてTCG開発ルームに奥村は席を移した。
新しく作った部署なので部屋は小さい。新人の頃を思い出す。さて、どうしたものかな、と、先ずは研究から始めようと思った。インターネットやRPGや映画などで様々な現象を書き出し分析する。キッツイな、と奥村は思った。そこに渡部がやってきて、一応新人だからとTCGスタッフに挨拶をさせた。ときどきコイツ居なくなるけど屋上でサボってるように見えて考え事してるから許してやってくれ、という言葉つきで。まあ、ありがたいが、余計だろうとも思った。
メンバーは渡部と奥村含めて6人。電源ゲームのように売れる保障が無いのでスタッフは少ない方が良い。人件費というのが掛かるからだ。足りなければ入れればいい。渡部と奥村が組んでいるという事で誘ってくれと参加希望者も居たのだが、とりあえずは6人という少ないメンバーで動く事にした。そのままミーティングが始まり、奥村が最初に言ったのは、売れると思わないでほしい、というゲーム屋にあるまじき言葉で、これには渡部もズコーと驚いて「こいつがこういうのはだな、──」とフォローした。最初の仕事はTCG業界がどうなっているのかという正確な認識を持つ事、とした。出版サイド、プレイヤーサイド。何か気付いたらメモをする。それを集積させ、分析、解を出す。一週間もすれば現状が見えてくるだろう。そこから基礎となるゲームシステムを作り上げ、書籍を作る。
生贄だな、と奥村は思う。売れるはずがないTCGを売れると騙すのは気が重い。
奥村は携帯を開き守口本人へ電話を入れようかと思ったが、会社経由の方が信憑性があるだろうと会社の電話を使い、『ラインブレイカー』関係の本を出版しているインターブレイン社、そこに勤めている守口に電話を掛けた。
scene:13
2013年、真冬。
守口は自分の傍にある会社の電話が鳴ったので電話を取った。
「はい」
「ブルーフォレスト社の奥村様から電話を頂いていますが、…お繋ぎしますか?」
「ああ、繋いで」
叔父なのだからお互いの携帯番号は知っている。それなりの繋がりはあるというのに何故会社を通じての電話なのか。まあ、どっちにしても変わらないと守口は受話器を取った。
「もしもし」
「ああ、俺」
「分かってますよ、というか携帯に電話下さいよ」
「何となく確実性のある方を選んだんだよ。君、ブルーフォレスト社の内部知りたくない?」
「…!」
「『ライブレ』の情報とか。まあ攻略本とかでもいいけど、ウチの内部事情晒してそれが売れると思う?」
「内容ですね」
「…流石新人成り立てとは違うねぇ。新人なら食いつくところなんだけど」
「…まあとりあえず出版させてくれるんですか」
「『ライブレ』開発者インタビュー、君が希望するウチのタイトル、まあ、俺と係わり合いがあるチームのゲームと合わせて」
「…?」
「ウチからTCG出る事になってる」
「…! マジすか!?」
「マジ」
守口久は一呼吸置いて、誰が作ってるのか、を聞いた。
「俺ともう一人かな」
「…!!」
「あ、今、リストラだと思った?」
「いや、…叔父さん、なんでですか」
「やる事になっちゃったんだよ」
「なる」
「なる、って何だよ」
「売れっ子なのかなーと思って」
「あーその逆」
「…?」
「強引にやらされた」
「www え、でもなんでブルーフォレスト社がTCGを? って人気だからに決まってますよね」
「うん…まあそうなんだけどさ。メディアミックス無しでTCG出して成功すると思う?」
「えー? まあ、無理なんじゃないですかね。TCGって初速でどれくらい売れるかどうかって何かTCG専門の会社の社長さんが言ってましたよ」
「実際その通りでね、まあ、キツい戦いになるわけさ」
「叔父さん『ライブレ』やってるから『ライブレ』のTCGじゃないんですか?」
「『ライブレ』TCGは無理というか出しても意味が無い。『ライブレ』より面白くはないだろうから」
「そういうもんなんですか」
「そういうもの。で、ウチの会社をネタにする本って売れる?」
「いきなり言われても、うーん、それなりですかね」
「うん」
「うん、前に『ライブレ』のデータ本出したじゃないですか。それなり、なんですよね」
「なるほど」
「でも、深いインタビュー記事ならもうちょい売れるかな」
「なるほど、ではさっき言った内容を1冊にまとめよう。どうかな」
「…辞典くらいの?」
「そう。それにゲームクリエイターになるには、という内容もちょいと含めて」
「それぞれ1冊の本として作れるくらいのですか?」
「YES」
「話持ってきたということはウチで?」
「どうかねー」
「ウチですよね」
「さあ」
「今すぐにでも掛け合いますよ、上と」
「まあ、詳しい事はまた後で」
「ウチですよね? というかウチしかないですよね!?」
「じゃあね」
「ちょっ、叔父さん?」
電話は切れる。
守口久は直ぐにブルーフォレスト社に奥村と会うアポイントメントを取り、ブルーフォレスト社に向かった。こういう時、奥村と親族であるということは有利だ。胸がざわざわする。
scene:14
「お前の数少ない人脈って、数少ないのに役に立つよなぁ。付き合う人選んでるの?」
横で渡部の他、4人が板で仕切られた個人スペースの裏から顔を出す。どうやら会話の内容を聞かれていたようだった。奥村は飽きれた顔で、盗聴じゃないすか、と至極真っ当な事を言った。
他の4人の名字は江利川、加持、田代、星野と言う。これが奥村のやり方かと見ていた。というか渡部に見させられていた。渡部が言う。
「つか、『ライブレ』の内部情報なんか武器や機体やマップとかだろ、何出すの?」
「『サ』のつくアレ」
『サテライトクラスタ』の事はこの中では渡部と奥村しか知らない。
「…時期早くないか?」
「そうでもないですよ。アケゲの寿命は意外と早いんですよ。バージョンアップで寿命延ばしてますけどね。女子もやれるゲーム、つまり音ゲーやパズルゲーなどを除いて。出版の頃にはちょうどいいタイミングだと思います」
「価値の高い、それでいてスキャンしきれないほどの量の本を出して、その中に『スペル・バインダー』の情報も入れるわけか」
「いや、スキャンされるでしょう。パート分けるんで、重要な部分だけスキャンされ出回る。そこにわざと『スペル・バインダー』の情報を流す」
渡部は怪訝な顔をした。そういう事はあまり好きではないのだ。まあ自ら関わった物などがタダで流される事にいい顔する人はいない。
「…人は軽い違法に触れたがる、か。」
「そうですね。『ライブレ』でもプレイ動画あるでしょ? 厳密には著作権違法で、しかもゲーセンで録画する行為は、まあ、軽く違法ですが、だからこそ面白いという心理が働きます。流出も同じく」
「というか、本の内容流すとか出版社泣くような事言うなよ」
「いや、普通に売れてくれるとは思いますよ。『ライブレ』の機体カラーコードやらなんやら付けますし」
「つか電話で話してた内容だと俺の仕事量がハンパなく増えそうなんだが。お前も」
「覚悟の上、でしょう?」
「…卑怯な言い方するな」
「頼みます」
「…わかったよ。で守口って誰?」
「『ライブレ』のデータ本出したところの人間というか俺の甥っ子ですね。」
「へー、…あれ、お前、甥っ子いたの?」
「居てもおかしくは無いでしょう。」
「一人だと思った。天涯孤独」
「家族ぐらいいますよ。…もう、何年も会っていませんが」
「故郷どこだっけ」
「山潟です」
「長期休暇で会ってこいよ。いい年なんだろ?」
「俺が行っても仕方がないです。俺がいるだけで、ビクッと怯える家族ですから」
「あー、悪い事聞いた?」
「いえ」
「出版なぁ、いつになりそう?」
「わからないですね。内容濃くて分厚くなりそうなんで秋は越えますね。ああ、上の方に期間延ばすよう言ってくれます? 再来年の7月より伸びるかな。できるだけ延ばしてほしいんですけど」
「まあ、出来るとは思う。急いでないというか他社TCGのリリースの兼ね合いがあるから発売バッティングは避けたそうだったかな。だからやめろって言ったのに」
「あれ、上に言ったんですか?」
「言える立場にねえよ、こいつらと話してたんだよ」
こいつらとは江利川、加持、田代、星野の事だ。一礼する奥村。それに釣られるように4人も挨拶をした。
「まあお願いします。で、江利川くん、加持くん、田代くん、星野くん、よろしく。BBSやブログ回っただけではいまいちよくわからないだろう? ということでこれから2週間、誰か2人、外に回ってほしいんだ。ゲームショップや大会とか、何でも使っていいからTCGに詳しい人間と仲良くなってほしい。多分コアな情報はそういう人間しか出てこない。それでいて子供の動きとかね。『スペル・バインダー』は高校生以上対象として子供は外してあるけど、なんだろうね、カードパック開けて、カード見て、なんだよこれとか言いながら楽しむ様子を見てきてほしい。俺らというか渡部さんはこれから会社に釘付けというか軟禁状態になると思うから。いい奴らと仲間になれたのならまた指示を出すよ。それからじゃないとね、TCGプレイヤーとして感覚が掴めないと思うんだ。他人とカードで遊ぶって事が、ね。偵察とも言うかな。頼む。カード作るのはそれからだ。各自フリーで動いてほしい。ところで、企画書はどこまで見てる? 全部?」
江利川が「いや、渡部さんから渡されたのは渡部さんが書き直したやつで、ゲームシステムとか詳しく書いて無いんです」と答え、奥村が「それはよかった」と返した。
「内容知っているとね、どうしても話したくなるものなんだ、今の時点でそれはマズい。情報漏洩だからね。知らないでいたほうがいい、ああ外に出る2人はジャンケンで」
ところで、と奥村が切り出した。
「名前に“くん”付けってあまり好きじゃないんだ。でも名字では堅苦しい。いや、俺や渡部さんは上司だから、名前や“さん”を付けるのは仕方がない事だけど、というわけでね、ハンドルネームあるだろう? プレイヤーネームとも。それで呼びたいと思うんだ。ちょっと舐めてる? と思うだろうけど違う。お互いにハンドルネームだけで呼びやすいんだ。ハンドルネームと言っても普通の名前みたいなものだけど。これはウチの『ライブレ』チームでも取り入れてる。何故かって言うと仕事時とプライベートを分けるためなんだ。ま、考えといてよ」
渡部が奥村を無言で見ていた。
「なんですか渡部さん」
「いや、ちゃんと仕事するもんだなぁと」
「…外に出る2人は立場が悪くなります。フォローは…わかってますよね」
「お前、俺を部下だと思ってるな」
「駒ですよ、将棋で言えば角」
「うわ、ひでぇ。俺振り飛車党なのに」
「負ける気は無いからですよ。上司だからと気を使って負けたら、殺します」
ほら見ろ、こういう奴なんだよ、と渡部はため息まじりに江利川、加持、田代、星野に言った。
scene:15
2040年。
昼休みが終わり、授業が始まる時間。
PVを見終わった彼女は『スペル・バインダー』を終了し、デフォルト画面にした。
この『ブラインダー』は常時付けていてもバレないから良い。そして彼女は“片倉里緒”という一人の女子高生に戻る。
PVの中の言葉。
「あなたこそが、最後の現実」
片倉里緒はその言葉に惹かれた。
scene:16
2013年、1月へと戻る。
奥村が電話を切った、その10分後に守口から電話があった。
「今すぐそっちに向かいますから」
「あれ、急がなくてもいいのに。今ね、出版社の人と話してる途中なんで切るよ」
「ああああああああああああ!!」
「嘘だよ」
「があああああああああ」
「うーん、反応が面白いなあ」
「そういう冗談はやめてください! いまリアル絶叫して路上なのに顔文字のorzのように崩れかけましたよ。そんで周囲の視線が全部こっち向けられて、もう、何なんですか、俺マジで不審者じゃないすか」
「www アポ取ってるだろうから玄関先で待ってるよ」
渡部が横で会話を聞いていた。他の4人は各自自分の仕事をしている。いやー、と渡部が言う。
「最近わかったんだけど、お前、結構意地悪だよな」
「渡部さんには負けますよ」
「いやー、照れるなあ」
「ほっちゃんライブテンプレ風に言わないでください。家族や仲間に内緒でCD持ってるの知ってるんですよ」
「ちょ、おま」
「さて、もうすぐ甥っ子が来るので喋る内容でも軽く決めます?」
「俺も会っときたいな」
「いいですよ。あとそうだ、フリーパス渡してもいいですかね、しょっちゅう来る事になると思うんで」
「うーん、頼んでみるよ。この部署限定なら通ると思うけど」
「出版社という事は…バインダーか」
「そうですねバインダー単体で売れるという事は無いと思います」
「ルールを付けてもか」
「そうですね。なにせメディアミックス一切無しですからね」
「俺に言うなよ。上に言え上に」
「そりゃ卑怯な方法やるしかないじゃないですか」
「それが『ライブレ』情報つけてのソレか」
「何があってもバインダー買わせるしかないですからね。」
「で、何話すの?」
「一応簡単な資料作ったんでそれ見ながらという感じですかね」
「見ていい?」
「いいですよ」
「…お前、これ、元の企画書じゃねえか」
奥村がけらけらと笑った。
「さて、憂鬱な作業が始まりますね」
「カード内容だろ、絵師だろ、ルールだろ、魔法仕様書だろ、テストプレイだろ」
「第一シリーズって何枚がいいんですかね」
「何枚もなにも魔法属性14つだったっけ? 1属性にとりあえず20枚×14で280か。で、召喚で増えるよな」
「とりあえず召喚や特殊な魔法属性は後で良いと思うんですよ。第一エレメンタルの炎熱・水冷・地殻・電撃・風衝の5つ。他は次のパック入り。」
「となると20×5で100枚ぐらい?」
「そのくらいで調節しておきましょう。魔法仕様書での拡張やら混成とかありますからね」
「魔法はどうすんの?」
「とりあえず属性と区分と性質をオープンにして、基礎はこちらで、応用はプレイヤーとのやりとりで集めようかと思います」
「ルールはいいとしてイラストは?」
奥村が指をモニタの方向に指す。Pixivの画面だった。奥村のアカウント。
「何のために俺が50000以上ものお気に入り絵師を入れてると思います? 集めてるの俺くらいですよ」
「ピックアップしてる?」
「既に」
「見せて」
「タブレットに移してるんでそっち見てください」
奥村が自分のタブレットを渡部に渡した。
入っていたのは2000枚以上の絵、それも、TCGによく使われる絵柄というより、TCGには向かなさそうな感じのアートワークに近い絵だった。
「どういう事?」
「会社としてカードが安定して売れればいい。そうですよね。安定させるためにTCGというゲームルールがあり、シリーズでの新カード投入がある」
「ん、んー? どういう事?」
「つまりTCGでなくてもカードが売れればいいんです、安定して、長期的に」
「まあ、それはそうだな」
「トランプやタロットカード、花札とかは売り上げ少ないですけど安定してますよね」
「まあ、そうだな。売り上げどれくらいかはしらんけど」
「えっと、渡部さん、トランプや花札、タロットカードって何故未だに売れてるかわかります?」
「昔からあるものだからだろ」
「それが一つ、あとはトランプの場合は数多くのゲーム拡張性、タロットは占いなどに使われます」
「花札は?」
「デザインですね。あと昔は賭博に使われたというのもあります。では、コレクターアイテムとして出すカード、テレカでもいいですね、それが売れるのはどうしてですか?」
「その作品が好きだから買う、んじゃねえの?」
「その通りですね。言ってしまえば画集もその一つですね。本と言う形ですが」
渡部は奥村に試されたような気がして少し不機嫌になった。
「何が言いたい?」
「TCGではルール、カード単体ではデザインが主になるという事です」
「??」
「今発売されているTCG…多重メディアミックスTCGは除きますが、カードルールを除いた場合、売れると思いますか?」
「つまり絵柄だけという事か。あのデザインじゃ売れないだろうな。いやビックリマンの例があるな」
「その通りです。多重メディアミックスTCGの場合はキャラやアニメの名シーン切り出しなので売れますが、そうでなければコレクターアイテムとしても売れませんね。ビックリマンはストーリーがあって売れました」
「ん? ということは、絵の問題か?」
「そうです。花札のデザインやタロットカードのデザインは歴史あるだけあってカード価値を高くしています。つまり良いデザインのカードはそれだけで売れる」
「お前、もしかして…スペル・バインダーに花札やタロット乗っける気か?」
「…まあ、外れではないですが当たりとも言えませんね。TCGで遊ぶための数値が邪魔になります。ならTCGカードに含まれる文章や数値抜きでシリーズとして出せないか、という事です」
「…ん? んん? て、事はTCGとしてのカードとTCG部分抜いたカードを販売する…って事?」
「ええ、『スペル・バインダー』から外れますが、シリーズとして組み込めば良い。現代的な花札のイラストカードとか、トランプカードとか」
「TCGで無いところでもカードを売るっていう事か」
「わかりやすく説明するとそうです」
「とりあえずカード属性の中に幻影がありますよね。幻を見せる属性のカードです。他とは違って縛りもキツくない。そこに入れます。TCGと売り出した後はコレクターアイテムカードとして花札は…あの小ささと拾いやすい厚みが良い所ですが、カードでも十分機能します。現代的なアートデザインで」
「カード内のシリーズか?」
「イメージ付きました?」
「え、ちょっと待て、つまりTCGだけでは売らないと?」
「うーん、そういう事になりますね。例えば新しいデザインのタロットカードが発売されたら買う人いますよね、必ず一人は」
「あー、そういう事か。スピンオフだな」
奥村は、いや俺、渡部さんにスピンオフと言われるまでスピンオフという言葉忘れてましたと笑った。
渡部は続ける。
「でも、どうしてだ? 普通のTCGの絵ではダメって事だよな」
「そうですね、20年くらい耐えられるデザインが必要になります。そうすればこれから作るTCGがダメになっても“残る”」
「…俺が言っていた事か」
「それが、俺の答えですが、どうでしょう」
「せこいな」
「せこいかどうかは、まあ、結果で見ましょうよ。それで…魔法をどのように揃えましょうかね」
「考えてねえの? 基礎作るとか言っておいて」
「急に企画出せと言われてそこまで考えませんよ」
「で、映画やらアニメやらゲームの動画やら攻略サイトを見ろって指示か」
「まあ、そうですね。ドキュメンタリーや専門書籍も」
「計画性があるんだかないんだか。考えてるような事言ったじゃないか」
「こちらが頼んでもいない企画でそこまでは無理ですよ。さて、甥が来るので、行きましょうか」
scene:17
エレベーターで1Fへと降りていく。会議室は2Fだが玄関先で待つ事にした。
「さあ、どの順番でやっていくか、か」
「魔法ですかね。何と何を組み合わせるとどのような魔法になるか」
「それしかねえやな」
「まあそれでダメになっても応用できますからね」
「お前、そういうところだけはなんか計算高いよな」
「失敗したくないだけですよ」
不思議とエレベーターの中では目の上の電子表示板を見てしまう。
「あー、お前の甥っ子ってお前に似てる?」
「姉の再婚相手の連れ子なので似てませんよ」
「…もしかして地雷踏んだ?」
「いや。そこで地雷とか言ったら人間として最低ですよ」
「あー、うん、そうだな」
年下に説教された渡部は少し複雑そうな顔をした。正しいので何も言い返せない。今度奥村の弱みを握ったらそれをネタに弄ってやろうとだけ考えた。
エレベーターの扉が開く。ちょうど守口が受付に居た。
奥村が、ああ、こっちこっち、と守口を呼んだ。顔色が少し悪いのはあの悪戯のせいか。やりすぎたか、と奥村は思った。
「ヒデ叔父さん酷いじゃないすか」
wwwと笑ったのは渡部である。
「ああ、紹介するよ。俺の上司に当たる渡部邦彦。今回やることになったTCGのプロデューサー担当」
「あ、初めまして、インターブレイン社のゲームパブリッシング部門の守口久と言います」
きちんとビジネスマナーを守った名詞交換するあたりは流石社会人だと奥村は思う。奥村はそういうのが苦手で逃げてきた。
「話は聞いてるよ、奥村の甥っ子なんだって?」
「あ、ええ、そうなんです。いつも叔父がお世話になりまして、あと『ライブレ』の件ではありがとうございます」
「お世話ばっかりだよな、奥村」
奥村は窓の外に目を逸らした。
守口が名刺を見ながら、渡部邦彦さんって、あの渡部邦彦さん? と驚く。まあそうだろう、ゲーム業界では有名人だった。飲み会の人気者で顔が広い。それで担当するゲームもそれなりに多い。
「ああ、今度、ウチのゲームパブリッシング部門の新年会があるんですよ。渡部さん来てくれたら、もう歓迎しますよ」
「行く行く、いつになるかな?」
「一週間後の土曜なんですが、他のゲーム会社の人も来るんですよ」
「へえー、予定がどうなるかわからないけど、行ける時は行くよ。電話番号交換しようか」
「いいんですか!?」
「これから長い付き合いになるからね。僕もこの出版では協力しているし」
「ありがとうございます、あ、携帯携帯」
「まあ、あせらなくとも、その内毎日のようにここに来る事になるし」
「へ?」
「ウチの部署へのフリーパス用意している。アポ無しで社員のようにウチに入れるよ。TCGの部署だけだけど」
「いいんですか? そんな開発…は、まだしてないですよね」
「インタビュー録るにもその方が都合が良いし」
「そ、そうですよね。う、うーん、そうなのかな」
「遠慮しなくてもいいってことさ」
「お気遣いありがとうございます、渡部さん」
それで、と守口が切りだした。
「内容はもう聞いているので省略しますが、ウチでの出版を希望…いや、確約してくれませんか? ウチ…インターブレイン社のゲームパブリッシング部門では『ラインブレイカー』のデータ本を4冊出させてもらいました。手を抜いて作ったというところは無いはずです。叔父さ…奥村さんも見ていますよね」
「叔父さんでいいけれど…、うん、細かく作られてあって、あれだ、ゲーセンに置いて見られるよう版を大きくしたよね」
「ええ、予想される需要にゲーセンサイドがありました。個人でも買うでしょうがゲーセン側も買うだろうと。まあゲーセン側の需要は少しなんですけどね。ゲーセンに持ち寄って見るにはあのサイズが良かったんです」
「うん、なかなか良く出来てたよ」
「それでこちらが出版で望むのは『ライブレ』がこれからどうなるのかなのと、開発者、出来れば色んな部署のインタビュー、あと外したくないのがニコ動での動きなんですよね。それでゲームクリエイターになるにはという話を入れれば売れるとは思います。それと、今作っているTCGの話ですね。本としては分厚くなりますが、全ページ面白いというのを目指しています。奥村さんとは電話で話しただけでまだウチの方の上司には言ってませんが、通ります。確実に。ちょっと前に、あるゲーム会社さんのゲームデザイナーが本を出しましたが、売れたんですよね。それにはゲームクリエイターになるには、ではなく、何を考えどう作ったかという思考の本なんです。自分としてもそういう方向が良いですね。で、これを1冊にするのはやはり厳しいんですよ。小さなフォントを使っても難しくて、核になる1冊と、それぞれの分野を分けた本を出版するという形ではどうでしょうか?」
奥村が眉を上げていたずらっぽい顔で渡部の顔を見る。
「いや、出版願いに来るとは思ってたけどプランまで考えてくるとは思わなかったね」
奥村がコーヒーを飲みながら言った。
「さて、久くん、確約しよう。その代わりなんだがバインダータイプの本って出せる?」
「バインダーってあのバインダーですか?」
「うん、ルーズリーフ挟められるような」
「ウチからは出した事がないんですが、可能だと思いますよ。値段がちょっと高いですが」
「その形で書籍ってのは出せるかな。数は売れる範囲で多く」
「うーん、どう、ですかね、1ページずつ内容が違うわけでしょう?」
「まあそれはそうだね」
「メモ帳の場合は定型があって印刷して挟めればいいんですけど、つまり本をバインダータイプにしたいと。バインダー作っている会社と話さなければなんとも言えませんね。なにを挟めるつもりなんですか?」
「ウチで作ってるTCGの情報と『ラインブレイカー』の続編の情報」
「!? 続編? 2ですか?」
「まあ2とも言えなくないが2ではないんだよね。システムは踏襲しているけど」
「は? え!? 今のって」
「超極秘事項。誰かに言ったら多分縁は切れるね。何せ企画は通ってるけど予算まだ無いからね。だからまだ作ってもいない」
「え、えー!?」
「まあこのまま行けば通るだろうよ。何せ一日300万近くの収益あるから。表に出るのは来年かな」
「いきなり重い話になりましたね」
「え、無理? 無理なら他の──」
「ウチでやらせていただきます」
「そう? それは良かった」
バインダー、と言われ守口久は妙な顔になった。
「バインダーっていうと、あの、例の初回290円で次から700円ぐらいになるシリーズのやつ思い出すんですが…」
「ああ、違う違う、カラーも挟めるけど基本モノクロで紙も普通でいい。付録つけるかもしれないけど、シリーズ化しないし第二号から値段跳ね上がったりしないよ。必要なのはバインダーなんだよね」
「え? 内容じゃなくて?」
「うん、バインダーを売るために内容を濃くする、と言う感じかな」
「それはどうしてなんですか?」
「そうだね、開発しているTCGにとりあえずバインダーが必要になるんだ。タイトルを『スペル・バインダー』という」
「へえー、えー、えー、…え?」
「簡単に説明するとTCGってのは普通カードだけでやりとりするよね」
「ええ、はい」
「TCGはやったときある?」
「僕自身は無いですね。TCG関連の出版はまた別のチームなんで」
「じゃあ、カードにはカードテキストが書かれているよね、普通。○○が××のとき、カードをドローする、とか」
「それくらいは」
奥村は他社TCGのカードを出した。奥村から渡された物だ。
「フォントを小さくしてもね、大体200文字なんだ。トランプと同じ大きさのカードで80%はイラストで20%は数値とかカードテキストルールだね」
「はい」
「じゃあカードがA4サイズになったとしよう。カードテキストルールをガリガリ入れ込めるわけだ。そこでこちらが取る戦術は外部によるカードテキストルール拡張。A4サイズなら大体2000文字は軽い。そこでバインダーが必要になる。『スペル・バインダー』用の専用バインダーを用意しても売れないってのはわかるよね。新しいTCGにバインダーの購入料金はつぎ込めない。売りの一つになってくれるだろうが、決定的な売りにはなってくれない。だから、ゲーマーが欲しがる情報本をバインダーの形で出版して、バインダー所有率を上げる。何故かってのはこれ見て欲しい」
「なんですか? …って企画書!?」
奥村の行動に渡部が眉をひそめた。いいのか? という顔だった。奥村はそれを一瞬見て、守口に視線を戻した。
「まあ、言ってしまうとね、僕らは失敗してもいいんだ」
おい、奥村、と渡部が横槍を刺す。奥村は目的のためなら手段を選ばない。渡部は『サテライトクラスタ』の裏の計画書でそれを知っている。そして計画は既に動いている。鋭い、が、その鋭さは危険だとも思っていた。
『サテライトクラスタ』の裏の計画書ではどうみても実現不可能な計画が記載されていた。山潟県香佐市の、ゲーム都市計画。ゲーム専修学校の計画。ブルーフォレスト社の移転計画。本当の意味で会社の資産を食い潰す。次世代の若者を育てるために。実現不可能なプランだったが、奥村ならやりかねない。やるだろう。そしてそこにしか未来は無い、と奥村が考えるからこそ、渡部は仲間になった。奥村は勝算が全く無い戦いはしない。…が、しかし。方法が強引過ぎる。おそらくは自分が奥村を止める役割なのだろうと渡部は思った。おい、止めろ、情報を渡しすぎてるぞ、としか言えなかった。
「ブルーフォレスト社が初めて出すTCG。ノウハウは0に近い。失敗例を作るというのが後々役に立つ。失敗しないと学ばないからね。でもまあ、売れて欲しいのは確かだ」
守口は企画書に目を通す。そして口に出す言葉を迷ってるようだった。そして口を開く。
「つまりはこの『スペル・バインダー』を流行らせるためには、って事ですよね」
奥村が頷く。
「基本的な物理を応用した魔法戦、専用バインダーや専用バインダーでのTCGカードで言うスリーブ、ベータ版の魔法仕様書と公式の魔法仕様書…」
「そう。まだ形は決まっていないけれど」
「…賭けですね」
「そうなるね」
「今の段階では何とも答えられないですが、バインダー本に関しては…ウチの編集長に掛け合ってみます。」
「俺や渡部の名前を出してもいい。必要なら行くよ」
ありがとうございます、でも、これは、俺の戦いなので、と守口は言いつつ、去っていった。そして、会社の玄関前で戻ってきて、やっぱり手伝ってくださいと奥村と渡部に言い、奥村と渡部は笑った。
scene:18
渡部が複雑な表情をしている。
「奥村」
「何でしょう?」
「お前、…多分、多分なんだが、ゲーム作りに向いていないな」
「…自覚してます」
「行動が強引すぎる。それで物事が動くという事もあるが、不器用だな」
「…器用な人に不器用だと言われたら認めるしかないですね」
「結婚できないわけだ」
「…誰が俺を好きになってくれるんでしょうね。自分でもダメだってわかっているんです、本当は。さ、戻りましょう」
「そうだな」
渡部は考える。奥村は何をそんなに急いでいるのだろうか。まるで余命宣告されたように。そこで渡部は気付く。会社の屋上で安い焼酎を呑む。それはアルコール依存症ではないか。渡部は、アルコール依存症で自殺するように呑んで、そして死んだ知り合いを思い出し、奥村と重ね合わせる。もしかしたら、奥村は死にたいのではないか。
「なあ、奥村」
「え?」
「…死ぬなよ」
「何ですか急に」
「いや、…忘れてくれ。でも、いいか、助けて欲しいときは俺に言え。助けてやる」
「もう助けてもらってますよ。ありがとうございます」
「僕らは失敗してもいい、って本音だな」
「……」
「それは俺が許さない」
「……」
「『サテライトクラスタ』付き合うって決めたんだからな。『スペル・バインダー』も」
「…どこかで失敗したいとずっと思ってました。本当はやりたくないんです」
「破滅願望か」
「なんでしょうね、自分はダメな人間で、どうしてここにいるのかわからない」
「ゲームを作るためだよ」
奥村は渡部の顔を見る。
そうだったらいいんですけどね、と奥村はエレベーターのボタンを押した。
scene:19
2040年。
学校の授業中、『スペルバインダー』の事が頭から離れなかった。炎と熱、冷却と液体、雷と電気、大地と植物、空気と音、光と秩序、闇と混沌、時間と時空、技術と機械、重力と磁力、夢想と具現、魂魄と呪、数理と言葉。小さなファクターがやがて大きなファクターを生み出す。自分好みだと片倉里緒は思う。
こら、守口、守口航、起きろ、という先生の声がして、片倉里緒は、はっと我に返った。
「んあ、ちゃんと聞いてましたよ」
「じゃあこの問題を解いてみろ、聞いてたんならできるよな?」
守口航は机のタブレットPCにさらさらと解を書いてみせる。最初から解を知っているように。
片倉里緒は守口航が気に入らない。ボンクラな性格なのに顔は普通に良く成績優秀、話題の豊富さもありクラス全員から好かれているようなやつで、おまけに先生からの評価も良く、学校で一人で昼ごはんを食べるような片倉里緒とは正反対の人間だったからだ。
さて、この2040年の『スペル・バインダー』は、片倉里緒と守口航の出会いの物語である。“ファイアフォックス・ガール”と“パンプキン・ヘッド”。
それはゲームを舞台にした、小さな恋物語かもしれない。
scene:20
相変わらず時は2013年、1月。
奥村は渡部とエレベーターで上がりつつ、くくく、と笑った。
「なんだよ奥村」
「いや、なんでも」
「なんだ気になるじゃねえか」
「まさか渡部さんがあんな事言うなんて思ってもみなかったからですよ」
「あー、…あー忘れろ」
「忘れませんよ」
「…ああ」
「今ですね、何故か2040年の出来事が見えた気がしたんです」
「随分先じゃねえか、宇宙人かよ」
「そういうのではなくてですね、なんだろう、一つの恋が実ればいいなと」
「?」
scene:end
ある年の1月8日。この日は奥村の誕生日だった。
相変わらず会社の屋上で安い焼酎をコーラで割って飲んでいる。
眼鏡を掛け目を閉じないで目を瞑る。まるで何かをフィルター越しに見るように。すると、炎熱、水冷、雷撃、地殻、風衝、金鉱、聖光、暗黒、幻影、時空、重磁、機構、死霊、理言、それぞれのカードの神様が正装を着て、奥村を囲んで踊り出す。やあ、こんにちは、と奥村は自分の想像に声を掛けた。正確には3Dのプログラムだ。プログラム名「近代技術のオーケストラ」。
守口久が奥村を探していたようで、屋上に来て「どこ行ってたんですか、探しましたよ」と言う。一応はバインダーの形での書籍が発売され、ブルーフォレスト社のフリーパスも貰えて毎日が楽しそうだ。
どこに行ってた、か。
未来だよ。
(了)
余計なトリビア。1月8日は樫木佐帆の誕生日です。