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映画「君たちはどう生きるか」は名作か?視点提案

遅ればせながら宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を観てきました。
映画鑑賞で久々に心踊るような作品で、しっかりパンフレットまで購入し、帰りは主題歌を聴きながら帰ってくる入れ込みようでして、、、名作です。
難解だとの噂も聞いていた本作。一つのキーワードが頭に浮かび、そのキーワードが妙に納得感があったので共有したいと思います。


視点

難解だ、名作だと巷では議論が交わされているようだが、ひとつの視点を持ってみると難解さが消え鮮やかに作品が見えてくるのでは?という提案をしてみる。

事前情報は入れないまま観にいったこの映画だがメーンテーマを「トラウマとの対峙」との視点を持って見ていくとくっきり見えてくる気がする。
映画序盤、主人公の眞人の境遇を考えるにつけ「トラウマ」という言葉が浮かんできて、作中ずっとこの言葉を感じながら鑑賞していた。
作品を通してこのワードに違和感を感じることがなく、むしろ明確なメッセージとして感じられたので、あながち間違いではないように思う。
大人が見る際には、特に私のように子供のいる世代は、親の目線で見てしまい素通りしてしまいそうになるが、主人公の眞人は戦争で母を亡くした上、実の母の妹ナツコと父が再婚することに大きな葛藤を感じていたはずだ。
ナツコもまた同じくその状況に葛藤を感じていたはずだ。
時代背景もあるだろう。このようなケースは少なくなかったように想像する。
主人公たちがこのトラウマをどう乗り超えていくのか。青鷺に導かれて生と死、時間が混在する世界に入り込み、若い頃の実の母ヒミとの出会いを経て、主人公の眞人はナツコを母と認めることで、ナツコは眞人を息子と認めることで乗り越えていった。
眞人のトラウマは、ひょっとすると宮崎駿監督自身のトラウマだったのかもしれない。

青鷺について

青鷺が鳥を被ったサギ男のキャラクターで生と死の世界へ導く存在として登場するが、青鷺を現世と異界をつなぐ妖怪的なものとして登場させているのは、以下の辺りに由来するのではないだろうか。

青鷺火とは、サギの体が夜間などに青白く発光するという日本の怪現象。
また一方でゴイサギ(青鷺)は狐狸や化け猫のように、歳を経ると化けるという伝承もある。

鳥たち

作中には、青鷺やペリカン、インコなど鳥たちが象徴的に現れる。
傷つきながら大空へと舞い上がり続け、地下の世界(異界)から抜け出すことができないペリカン。ペリカンもまた集団的なトラウマを抱えた存在に見えてくる。
インコに至っては、その振る舞いは人間の様にしか見えず、コミュニティや組織、国が社会的に抱えるトラウマを鳥の種別で表現しているように見えた。

積み木

眞人の先祖の大叔父が異界の創造主として登場し、地下の世界の均衡を保っている「積み木」を眞人に託そうとするが、この描写も秀逸に感じた。

最近読んだ書籍「分解の哲学」に積み木の哲学に関する記述があり、大いにリンクしたので、ここに記しておきたい。

積み木の発明者フレーベルは、積み木には、配置の組み合わせによって無限に「創造」と「生産」が可能であることを繰り返し述べており、積み木を積み上げることと内面の成長が表裏一体であると述べている。

フレーベルの積み木の思想の中には、積み木を積み上げていき、建造空間を拡げ、都市を開発していくことと、子どもが自己を形成して知見を広めていくことが、ちょうどドイツ語のbuildenと英語のbuildという動詞に「建物を建てる」という意味と「人格を形成する」という意味がともに含まれているように、表裏一体となっているのである。積み木は、あたかも自分自身の成長・発展の鏡の様な存在であると言っても良いだろう。

「分解の哲学」積み木の哲学ーフレーベルの幼稚園について

「分解の哲学」の著者、藤原辰史氏は、さらにもう一歩踏み込む。
積み木は崩すことを前提に遊ぶ玩具だ。特に幼児は積み上げることよりも崩される音や崩れることに喜びを感じるし、積み上げることで形を作ったとしても最終的には、崩して箱に片付けるまでが一連の流れとなる。
積み木には積み上げる遊びに加えて、崩すことや音を鳴らすことが遊びの半分として認められる。
崩す(分解する)という動作は、次の再生の起点となる動作だと考えられる。循環を考える際には、この分解の概念が重要となり分解できないものは再生や循環が始まらない。
排泄物やゴミを考えて欲しい。腐敗して分解されることで土中では植物が根から吸収する養分となり、植物が育ち、虫や動物がその植物を食し、排泄し腐敗し分解されるという循環が生まれる。さまざまな視点で分解の重要性を説いたのがこの著書だ。
積み木遊びには、分解の思想が含まれているという著者の考えに同意したい。

この映画においては、眞人は積み木を引き継がず、人間(大衆)の象徴に見えるインコ大王が積み木を崩してしまうのも暗示的だ。
積み木が崩れ、地下の世界が崩れていくが、ナツコと友達となったサギ男と共に現世へ戻っていく。

トラウマ

現代社会に生きる人は知らず知らずのうちに皆トラウマを抱えているのではないだろうか。
現代に生きる人の宿命なのかもしれない。知らず知らずのうちに抱えている集団的なトラウマをどう乗り越えていくのか。一人一人が向き合う時代が来ているのではないだろうか。
そして宮崎駿監督は問いかける。
「君たちはどう生きるか」

余談、そのほか

積み木は13個の積み木という設定で、宮崎駿監督の本作を含めた13の映画作品を暗に示しているのではないかと言われているようだ。眞人は積み木の継承を拒むが、現世に戻った時に、石の積み木を一つ持って帰ってきていたのも想いを感じるところ。
作中には、過去作品のオマージュとなるようなシーンがたくさん出てきて、初めは、あの作品に似ているなぁ。とその程度でしたが、途中からは、どの作品のオマージュだろう?と探すのを楽しみながら観ることができました。

ということで、「君たちはどう生きるか」は名作で「トラウマ」をキーワードとして観ていくと妙に腹落ち感があるという考察でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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