生物観察、奥深い。

うちには飼っている生き物が3種類いる。
まずはカブトムシの幼虫7匹。
去年いたつがいから産まれた子供たちだ。
蛹になってからしばらく経つし、気温も高くなってきたので、そろそろ成虫で出てくる頃だと思われる。
次にヤゴ1匹。
ヤンマ系と思われる4センチ近い大ぶりなものだ。
そして、生き餌しか食べないヤゴのため、餌として飼っているオタマジャクシ10匹だ。
最初は餌として飼っていたオタマジャクシだったが、成長も早く、動きも活発なこの子たちにどんどん愛着を持つようになっていった。
日に日に太く長くなる足、一番成長の早い者には短い水掻きのような手が生え、カエルに近しい風貌になり始めてきた、そんな矢先に事件は起こった。
水かきのできた身体を上手く使いこなせず、水槽の上方にプカプカ浮いていた1匹の早熟なオタマジャクシがいた。
朝、子供を送り出すときには元気に泳ぎ回っていたのに、帰宅して見ると未だ脚の生えていない未熟者2匹に捕食されて息絶えていたのだ。
成熟しようとする者の正に脚を引っ張り貪り食う、この世の縮図のような地獄絵図に初めはゾッとし、オタマジャクシという生き物の残酷さに辟易してしまった。
しかし、改めてよく考えてみればこれは餌が足りなかったからやむを得ず起こった出来事ではないだろうか。
特に適量を調べず一日一回餌やりはしていたけれど、それでは足りなかったのだろう。
飼い主である私たちが至らなかったのだ反省した。
さらに、生き餌として彼らを飼っている自分の残虐を棚に置き、カニバリズムの一場面を切り取って、オタマジャクシ全体に残酷というレッテルを貼ってしまった自分が恥ずかしくなった。
今まで自分がされてきて、一番嫌だったことを彼らにしてしまったのだ。
人は意識して生きなければ、すぐ視野狭窄に陥る。
あらゆる者に憑依し、考え抜いていかなければ、人も自分も傷つける。
生き物を飼うことで社会、人生の縮図の一片を垣間見れた気がした。
小さい頃生き物を飼った経験はほとんどなかったので、こうゆうことを学ばずに生きてきたけれど、今だからこそ気づけることが大いにある。
生物観察、奥が深い。

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