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きこえない世界から”雑談”をかんがへる

:見えざる”指示”の背景

薬剤師勤務を始めて、
かれこれ7年になろうとしていますが、
ここ薬局もやっぱり”部分”の世界だなあ…と
感じています。
どういうことか。

例えば、薬局の上司から、
「(この患者さまへの)薬の説明を簡潔にするように
という指示があったとしますが、

どうして簡潔にしなければならないのか?

それに関して、局内カルテ(薬歴)を見たり、
上司に尋ねてわかることもありますが、
「その方は忙しくて時間がないから。」と。
やはり”答え”までも短く”要約”された
内容になりやすいので、
「??」となる場合も多々あります。
(※実際はより込みいったケースの場合も)

:雑談から導かれる状況・コトバの認識

「イメージがわきにくい」ということは、
「イメージがわく」経験を経たからこそで、
それこそが手話界での経験です。

例えば、
誰かの手話での雑談がふと目に入る。

「Aさんの手話表現ってキレイだよねえ。」
「Bさんって手話を教えるの上手いよねえ。」
「ふたりともみんなから慕われてるよね!」

そこから、
Aさん・Bさんふたりの
人への接し方などに意識がむき、
その様子・状況を直に見るという内なる経験を経、

『なるほど、だからAさんやBさんが
 慕われるわけかあ』

と自分の中でとあるつながりができてくる。

雑談という”点”に始まり、
様子・状況という”面”がつながり、
自分自身の”内なる経験”となり、
”慕われる”というコトバの意味も徐々にわかってくる。

つまり、

雑談の”コトバ”からある”意識”が導かれ、
それがゆくゆく”実経験(認識)”とつながることによって、
その”コトバ”に対するイメージもできてくる。

そういう経験があったからこそ、
雑談という”点”を知らず知らずのうちに
逃してしまいやすい、
きこえない我々には特に必要では?
と思うようになってきたのです。

:”指示”と”状況”のすり合わせ

その対極にあるのが、やはり”指示”だと思うのです。
イメージで言えば””でしょうか。
それも内ではなく外から来る”。

”指示”というのは、今回で言えば、
「目の前の患者さまに服薬指導をする(仕事)」
といった限られた(瞬間の)シーンのために産み出されるもので、
簡潔かつ早い方がいいのですから、
背景や流れは削りに削られ、よりコンパクト
より抽象的かつ、合理的。(無機質。笑)

となると見えてくるのは…

”(絞りに絞られた)指示が解る”ということは、
”(雑談などからくる絞られるマエの)状況が解る”ことが大前提。

ということではないでしょうか。
さらに言えば、

適した行動のための、自身の中での
”指示”と”状況”のすり合わせ

が必要不可欠と思うからです。
状況がつかめていないままの指示は、
何もないところから
いきなり指示という弓矢(線)が
こちらに向かってくるかのよう。
だからこちらとしては脈絡がなく、混乱しやすい。

具体的なことがわからないことには、
抽象的なことはわからない
のです。
適切な例かわかりませんが、言い換えれば、
日常会話レベルの単語の理解すらおぼつかないと
小説は満足に読めない

(おそらくですが、話せなくても、
 周りの雑談が聴こえていて、
 それらと結びついた間接的な(見る・知る)
 経験ができていれば、
 抽象的な概念はほぼ理解できると思うのです。)

:”全体”の世界への憧憬(あこがれ)

踏まえて、冒頭の指示の前に、
他薬剤師と患者さまとのやりとりや
他薬剤師間の雑談を把握できていれば、
「(さっきの)患者さまは6人家族で、
 いつも家事が大変で、時間がないっぽいなあ。
 薬の説明はより簡潔に話す必要があるな」
など、患者さまを取り巻く状況が見え、

(冒頭にあった、)上司からの、
「この患者さまに対しては薬の説明を
 簡潔にするように」
という指示(コトバ)にもすぐに合点がいき、
適した対応を取りやすくなるのでしょうが、
現実問題、やりとりの内容を
いちいち尋ねるのも気が引けてしまいます。

そういう意味では、
患者さまの表情や行動、処方せん、局内カルテ
といった部分から類推するしかなく、
余計に部分の世界に生きてしまっているなあ・・・
と感じずにはいられません。
(グチですね、すみません笑)

逆に、より雑談が状況把握に関しても、
いかに重要かを思い知ることができたので、
より多くの”(雑談という)点”を大切にしつつ、
より”点”が生まれやすい
”全体”の世界を創っては拡げていこうと思います。

ああ、幾星霜。

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