日本語の一人称の多様性に対する考察 〜日本語学習者が苦労する点から考える日本語の特徴

はじめに

アメリカの何かが行った学習が難しい言語ランキングで日本語が一番になったらしい。
日本人としてはなにが引っ掛かり、どこでつまづくのか理解しにくいが、ランキング1位になるような言語らしい。そのことで、いろいろ自分の考えたことや考えていることを書いてみたい。
機械学習を理解したいということで、数学やその周辺の学問をやっていると次第に言語を数式やデータです表現できないかと考えるようになるものだが、私も例外ではないようで、素人ながら自然言語処理に興味がある。
これから書く推論は言語学も数学も門外漢のものだと思って、寛容な気持ちで読んでいただきたい。

日本語には助数詞がたくさんある

助数詞というのはネズミが1匹、鶏が1羽、本が一冊などの匹や羽や冊のこと。多様な助数詞があり、日本語学習者には苦労するらしい。とは言っても日本人にとっても難しくて今やどんどん失われていっている途中だ。神は一柱とか箸は一膳とかどんどん忘れられているのだろう。
これは全くの仮説だが、こんな多様な助数詞が生まれた理由は実は会話中日本語は省略が多い言語だからではないか?と考えている。飼っている鶏の話をする時、たとえばその中の二羽は食べようとか代名詞化と数を表す表現をとれるけど、そのように省略に便利だからでは?と仮説を立てている。乱暴だが、大陸の言語は異文化が交流し合うので、簡略のために助数詞は増えず、省略しない方が効率的だったのかも。
この後の節でもこんな感じで仮説を述べていきたい。最終的な仮説を述べるため必要なので、ご容赦いただきたい。

敬語がわからない

私は昔聞いた敬語とは相手との距離を言葉で表すものということだと考えていて、心理的距離のある相手には敬うや畏れることを表現して遠ざける役割があり、使わないことで心理的な距離の近さを表現できるようだ。
なので逆に古文の授業でも習った方も多いと思うが、省略された主語を敬語から推測するとかもできる。
これも仮説になるが、日本語学習者が難しいと感じる敬語もまた省略に関するものだといえるのでは?現代ではあまり言葉の省略は減ってきているけど、若者から敬語は失われつつある。

文字種が3種類もある

漢字、ひらがな、カタカナは本当に入り混じって書かれていたかは微妙な気がする。少なくても、カタカナって江戸時代からの気がする。東海道中膝栗毛のように言文一致が始まり出して、カタカナは使われるようになった気がする。これに関しては全く勉強したことないので、いつか勉強したい。奈良時代の文章を読み書きしていた人は漢字の文章をどう捉えていたのだろう。もしかしたらてにをはの省略と考えていたのでは?これは仮説だが、そうだと面白い。
文章から省略がなくなって文字種が増えていくのではと推測してしまうからだ。言文一致して文語体が失われていくと文章にカタカナが入っていったのではと想像してしまう。また送り仮名を漢文に入れたことでひらがなが追加された、想像すると省略が少なくなればなるほど、文字種が増えるのでは?と想像する。

古英語って知っている?

研究社の上の連載は本当に面白い。ただ今回紹介した理由は古英語では語順がバラバラでもいいという時代が英語にもあって、省略も普通に起きていたらしいということが言いたかったので、リンクを貼っている。私がここで説明するより、よりわかりやすい書いてあるので、おすすめ。

まとめ

以上のことからまだ日本語はこの国際化社会の中であまり言語の形を変えずにこれた言語ではないか?と仮説を考えている。だから日本語学習者は苦労するのだろう。日本語も若者言葉に限定するともしかしたら、だいぶ簡単になるかもしれない。
それはさておきというかそれから、一人称が多い問題だが、古典文学で主語の省略が多いことからもわかるように、主語や一人称というのは省略が多いつまり古い言葉では重要ではないのではないか?つまり、重要ではないので、色々変えても許されるため日本語では一人称が多様なのでは?と思える。
この仮説からさらに色々考えられるけど、また別の機会にしたい。

あとがき

今回なぜこのようなものを書いたかというと日本語が難しいと言うけど古英語などの古い言語やあまり形を変えなかった言語は皆難しくみえたので、ならあまり形を変えなかった島国で150年前まで鎖国していた国の言語なので現代で一番難しい言語にランキングされたのではないかと思い、書いてみた。

逆に英語はピジン語とかも含めて考えるとバリエーションがたくさんあり、変わりまくりなので、学びやすいのではと考えてしまう。

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