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「知識とは世界の画素である」

「どうして勉強をするのだろう」

凡人であるが故にこんなことに悩みながら課題もせず、東海オンエアの過去動画を未漁っていた高校時代でした。

うだうだと悩み続けた挙句、一応自分の人生の中で芯となる考え方はできました。それが

「知識を増やせば増やすほど世界の画素は多くなる」

ということ。

例えばルールを知らないスポーツを見ても、盛り上がりはするけど細かいことはよくわかりませんよね。三苫の1ミリと言われてもそんな野球の罰ゲームにしては気にしすぎないかとしか思いません。

だけどルールを知れば、オフサイドだったり、戦術だったりがわかり、スカイラブハリケーンやゴッドハンドだってできるようになるわけですね。

「世界の知らない部分を知ると、知る前よりきっと、世界は楽しくなる」

そう信じてから、そう考えてから、知識を増やすことは楽しくなりました。
スプラトゥーンみたいなもんですね。

勉強をする理由についてネットで調べてみると
「将来のため」だとか「自分の知らないことを学ぶ術を得る」だとか書いていました

それよりあまりに勉強しない高校生の僕に母がかけた言葉の方がよほど心に残っています

「勉強するのはね、いつかあなたにやりたいことができた時、それを諦めないためだよ」

私は今大学4年生で専門は英語教育
将来についてはまだ悩んでいるけれど、もし教育学部に入っていなかったら教員免許を取るのはとても大変だったろうし、浪人してそこそこの大学には入れたから就活にしてもそれなりのところには行けそうです

だけど正直私が本当にしたいことに直線距離で進もうと思うと私の学歴では少し難しい部分があるんですね。

大学4年間、何をしていたんだろう
留学に行ったり、サークルで部長を務めたり、そんな華やかで立派な経歴なんて一つも獲れず、ただただお酒についてばっかり詳しくなりました

それでも私はいつでも自分で決めた芯を思い出すようにしています

「好きなものが増えれば、知識が増えれば、世界はもっと鮮明に見える」

BARで働いていた時代、お客様が自分の好きなものの話をしていて、それを私も知っていた時、そんな時に人がする嬉しそうな顔。あれがとても好きなんですね。

大学3年生ぐらいから「自分は一体何を得たのだろう」こんなことをよく考えるようになりました

青春系の漫画を読む機会が増えて、その中の彼ら彼女らのキラキラした生活と自分を比べてしまったんですね

私は「コロナ世代」と呼ばれ、「さまざまなものを奪われた世代」と言われることも多いだけに特に。

そんな時、いつだって思い出す言葉も同じように漫画のセリフ

「畑を耕す」という「銀の匙」のセリフ

「学校ってのはさ八軒、おまえらのためにある畑なんだよ。そりゃ規則があって窮屈な所もあるけど、どこ耕してもいい宝の畑だ。頭で学ぶも良し。胃袋で学ぶも良し。筋肉で学ぶも良し。機械から学ぶも良し。動物から学ぶも良し。人から学ぶも良し。そういう人たちとのつながりを作るのに丸々3年費やしても良し。どこを耕すかは自由だ」

「銀の匙」

SNSが普及して何かと他者のキラキラした生活が目に入る今日この頃。この言葉を思い出すと少し楽になれます

大学に放り込まれるとともにコロナが始まり。1ヶ月店員さん意外と喋らず、同級生と初めて会えたのも入学から半年後

学祭も夏祭りも全部全部なくなって。それでも段々友達と仲良くなって、あの店蔓延防止なのに普通に営業してるねなんてゲラゲラ笑いながら、暗い街並みの中、友達の家に誕生日ケーキを持って向かって。

沢山の自由が奪われた私たちが、不器用に、時間をかけて。手探りで見つけて、作り上げたこの日常と幸せは、紛れもなくコロナ禍で青春を過ごした私たちにしか見つけることができなかったものです。

だから今日もYoutubeショートで「〇〇に関する意外な雑学」を見て私は世界の画素を増やし続けます。目指せ裸眼で4K

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