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RPGゲームの資本論

 HP、MPを消費することでHP、MPを増やしていくって、なんか資本家みたいだなとふと思ったというお話。

 ちゃんとクリアしたRPGはゲームボーイアドバンスのポケモンくらいが最後で、ドラクエやFFは友達がしているのを後ろで見ているくらいだったからなんとも言えないが、この手のRPGの基本的なシステムというのは変わっていないのではなかろうか。

 プレイヤーは貧弱な初期ステータスを元手に、ストックとして持っているHPとMPをレベルを上げてそれ自身を増大させるために、それを消費する。他にも色んなパラメータはあるけど、それは喩えるなら各企業の風土や社員の特色みたいなものだろうか。

 MPは多様な属性の魔法や技との交換可能性を持っている媒体であり、一つの貨幣のようなもの、あるいは、この手の一つのエネルギー源から多様な性質の自然を生み出すものとしての魔法は貨幣の自然への投射、「自然の貨幣」というファンタジーの夢か、あるいは何か一元性と多様性を結ぶ合理性への夢の一部なのかもしれないとか。

 メンバーのパーティはグループ会社のようなもので、その中の強者の使い方で、弱者を強化することもできる。そんで、最近広告で見かける放置系ゲームの誕生は経営と所有の分離、株主の登場みたいな感じだろうか…。これは広告しか見たことがないから本当に何とも言えんが…。

 強力なキャラを作るために、キャラを利用し続ける循環。まあ徹底的にこれをやるのはガチな人くらいで、本当の経済と同じで色んな人がいるだろうが。とはいえ、ゲームのレベル上げには資本主義経済とは違ってカンストと、ゲームそのものへの飽きがある。

 資本主義はもうカンストしているなんて話もありそうな気もしつつ、理念上カンストなき資本主義経済も突き詰めれば飽きが来るのか、FIRE、脱成長、静かな退職、田舎へのエスケープはそういったものなのか、FIREについてはみんなFIREしたら社会が崩壊するなとか、HP/MPシステムのゲームプレイヤーは資本家のメタファーをプレイしているのかもしれないとか、人は一元的に多様性を生むものや蓄積を生む蓄積に魅せられて、飽きていく存在なのか、あるいはそうではないのかとか。

 どうでもいい、いつも通り詳しく知らないことについて、ふと思ったこと。そんなこと考えているなら、さっさと勉強しなさいという感じである。一体何をしているんだろう。


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