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#41 便利になった世の中で

 SNSを始め家電や、車など日々最新の技術が世界のどこかで誕生している。それは人類が始まってから当たり前であって全ての物が人類の功績と言えるであろう。しかし、ファッションにおいてこのなんでも簡単になってしまった時代と言うのはプラスの側面も間違いなくあるがマイナスの面もかなりあると言えるのではないだろうか。

 僕が生まれる数十年も前、いわゆる80s、90sのファッションと言えば雑誌や服屋の店員など少し手間をかけて自分のカッコいいを見つける必要があったと思う。わざわざ本屋に行って雑誌を買う、わざわざ服屋に行って服を買う、一度どこかに行かなければ新しいものというのは手に入らなかったわけだ。それに比べ今日のファッションというのはスマホ一つでなんでも解決出来てしまうのだから素晴らしい時代になったと思う。気になる服は調べて見れるし、買おうと思ってもすぐに買えてしまう。あらゆる手間がなくなった。

 それはとても素晴らしい事なのだろうけれど、今を生きる若者の一意見を言うならばそのひと手間がとても大切なのではないかとも思う。今でもファッション誌は絶対紙で読むものだと思っているし何より買いにいく時の高揚感は、昔おもちゃを買いにいく時の気持ちにとてもよく似ている。はやく手にしたくてしょうがないあの感じ。服もそう。ネットで買う事ももちろんあるし探しているものが簡単に見つけられるからいいのだけれどそれは最後の手段。まずは店頭に行って腐るほどの服の山から好みの一着を探し出す。その時間が何より楽しいし日々頑張っているバイトもこの瞬間のためにあると言っても過言ではない。

 普段はなんでも効率よくやりたい自分でもファッションにおいては「手間」がとても好きで、手間というのは時間が掛かるものや少し面倒な事を連想させてしまう言葉ではあるが裏を返せばそれだけ本気になれるものでもあると思う。手間をかければかけるほど作り手は愛着が湧いてくるものだと思うし買い手も手間を理解しているなら愛着を持ってその服に接することが出来る。そういった服は高価であまり手が出せるわけでは無いのだけれど、どこぞのインフルエンサーが作る服を何枚も買うより手間のかかった高価な服を一着買う方が僕はいい買い物だと思う。

 今、紙のファッション誌はどんどん売れなくなっている。沢山のファッション誌が休刊、廃刊を余儀なくされ、見るのも作るのにも楽なweb媒体には勝てないといった現状で時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだが買う手間、作る手間を惜しまない本当のファッショ二スタはまだ全滅していないと本気で思っている。薄っぺらいインスタの記事ではなくて一度本屋に行かないと買えないそんなファッション誌。その雑誌を作る一員となって訓市さんの様なユーモアのある文章を書けるようになりたい。

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