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【短編小説】右手を預けて

【用語解説】
 おじちゃん=祖父
 おばちゃん=祖母
 かんそいも=ほし芋
 いじやける=腹が立つ
 おっかない=怖い
 
【右手を預けて】 

『お前の右手、持って来いよ!』
 あたしはこたつに入って、家族と夜のニュースをぼーっと見てた。
 ブラウン管テレビには「平成」と書かれた書が映し出されてた。
 次の元号が決まった。新しい時代。っつっても、あたしの高校生活に関係あんのかな。テストがなくなるわけでもね。あたしは無感動にみかんの筋をぺりぺり取ってた。
 そんな時だった。クラスメイトの石塚から電話がかかって来たのは。
「いつ?」
『明日。飯食ってクソしたらうち来いよ。ほいじゃ』
 電話は一方的に切られた。あたしの予定聞かねえんだから。いつものことだけど。
 新しい時代が始まる第一日目、あたしは石塚の家に右手を持ってくことになった。

 平成初日の今日は、朝からしっとりと雨が降ってた。新しい時代の匂いは全然しね。畑と田んぼの土と雨が混じり合った田舎の匂い。まあ、都会の匂いなんて知んねんだけど。この街に平成が来んのは何年後だろ。次の時代まで来ないんじゃねえかね。
 あいつの家まで、あたしの家から歩いて15分くれえ。県のシンボルでうちからも晴れてっとようく見える、おっきな山の方向にとぼとぼ歩く。すっと現れんのが「石塚書道教室」の看板。ここが石塚の家だ。
「来たな倉持! 上がれ!」
 言われるままにあたしは石塚家にお邪魔した。新しい時代になったっつーのに、石塚の服装はセンスのかけらもないジャージのまま。あたしもジーンズにただの赤いトレーナーと、人のことは言えねーけど。いつ平成の人間になれんのかな。
 非常に珍しいかもしんねけど、石塚は高校2年の春に転校してきた。高校でも転校できると知らなかったあたしは、驚いたもんだ。
 東京からの転校生。始めはみんなの興味を引いてた石塚だけど、クラスメイトの知りたい東京について全くの無知だった。原宿も渋谷も興味がなくって、行ったことがねえらしい。住んでた場所も23区でも市でもなく村。東京に村がある事も、石塚を通して初めて知った。
 東京の人ってーと、オシャレで知的な、洗練されたイメージがあったんだけど、話し方から分かる通り、石塚は田舎のガキめと何も変わんね。服はお母さんが買ってきたもののをたーだ着てるような、絶妙なダサさに溢れてる。見た目も中身も、オシャレのおの字もね。
「倉持さん、いらっしゃい」
「お邪魔します。これ、うちのおばちゃんが作ったタクアンです。みなさんでどーぞ」
「うわあ、いつもありがとう」
 石塚のお母さんはダサいかと言うと、そうでもない。けどオシャレでもない。石塚のお母さんは東京の人じゃなくって、この辺の生まれなんだっつーから、じゃあオシャレじゃねえよなあ。つーのはこの辺の人に失礼か。
 通された場所はこれもいつも通り、書道教室用の広い和室。12畳くらいあっかな。前に先生用の机、そして生徒用の横に長い机が8つ並んでる。
「ってことで、今日のお題は」
 石塚は手に持ってた朝刊を広げた。
「平成!」
 そういう訳であたしは新時代初日の1989年1月8日に、石塚と「平成」を書くことになった。
 
 あたしは石塚と同じクラスだけど、隣の席でもないし、同じ委員会でも部活でもない。それなのに、クラスの中で真っ先に懐かれた。
 その理由が書道。あたしたちはともに芸術の選択授業が「書道」なんだけど、授業初日、あたしの字を見た石塚が言った。
「お前の右手、おれに預けろよ」
「は?」
 あたしは嫌そーな顔で石塚を睨んだのを覚えてる。この時はまだ一度も話したことがなくって、初めての会話がこれだった。
 そしてその日の放課後に連行されたのが、ここ「石塚書道教室」。その頃はまだ開室したてで生徒さんは1人、2人だったかな。
「石塚君、なんであたしを家に」
「言っただろ、右手預けろって。お前の右手、おれに預けろ」
「まったく意味がわかんねんだけど」
「倉持の字が下手すぎるから、おれが教えんの!」
 石塚の言うとおり。あたしの字は小学校1年生より幼稚園児より下手と言っていい。あたしにしか読めないような字だから、同級生からは皮肉たっぷりに「達筆」と言われてる。
 なんでそんな字で書道を選んでのと思われるだろーけど、絵はへのへのもへじしか書けないし、音楽は音痴を通り越して何も理解できねんだもん。
 消去法で書道しかねえべよ。
「い、いいよ別に上手くなんなくても。書道教室に通うお金もねえし」
「俺が教えるからタダだよ」
「石塚君がせんせー?」
「何回も言わせんなよ、俺に右手預けろって言ってんだろ。ただの高校生が教えるんだから、無料だよ」
 タダより高いものはないっておじちゃんが言ってた気がすっけど、あたしは「無料」に惹かれて、その日のお稽古を受けることにした。せっかくの好意だし、たまには字の練習したっていいかなって軽い気持ちだった。
 書道の授業中、あたしは自分のことに必死で他人の書などまったく、一切、ちらとも見てない。隣の席の子の字を見て「うめえな」くらい。つまり、石塚の書がどんなもんか知らねかった。
「今日の授業で書いたやつ、あれ書いてみっから。今日はそれ練習な」
 そう言って石塚は筆をとり、半紙に向かった。
 目の前にいるのはどう見ても、いつもの田舎のガキんちょ。なのに、筆先から現れる黒の線は大人びてた。
 石塚は半紙に「清風」と書いた。
 美しい書。
 そう、見た目は絶妙にダサい石塚は、字はカッコいい。洗練されてる。なんだかオシャレ。
 あたしはコイツの「書」に一目ぼれした。
 
 書に惚れちったあたしは、石塚に書道、というより「字の書き方」を習い始めた。学校や部活もあっから不定期だし、加えて石塚の気分次第で開講される、あたしだけの書道教室だ。
 筆だけじゃなく、そもそも鉛筆の持ち方もおかしいってことで、第一日目は「清風」ではなく鉛筆と筆の持ち方で終わった。
 稽古の始めのうちは手取り足取り、文字通り「右手を預け」てた。石塚に特別な感情ってのはねえけど、ヤツの手があたしの右手を矯正してくれると、その手の美しさに見惚れっちまうことがあった。
 どこがどう美しいかって言われっと、むつかしい。白く長い指、なんつー洒落たもんじゃねし。伸びた分をとりあえず切っただけの爪、うっすら指毛の生えたごつっとした指。キレイのかけらもない手なのにそう感じる。
 書道教室の主、石塚のお母さんからも教えを受けたことがある。失礼だけど、美しい手とは感じなかった。
 書もそう。先生なだけあって素晴らしい文字をお書きになる。石塚より上手いんだと思う。だって石塚や他の生徒さんがそう言ってるし。
 でも、あたしには石塚の書の方が美しく、素晴らしく感じた。
 
 そうして4月から始まった石塚の書道教室も、今月で10か月くれえだから約一年続いたことになんのか。随分、習ったもんだ。
 石塚は教えんのが上手い。かっつーとそうでもない。でも、普段の口の雑さからは想像できないほど、丁寧で怒んね。へたくそのあたしに根気強く付き合ってくれる。ええヤツだ。
「じゃ、早速書くぞ、『平成』!」
 机の上には石塚が用意してくれた硯と筆、墨汁、半紙。ちなみにだけど、紙と墨のお金はちゃんと払ってんだ。石塚はいらないって言ってくれたけど、さすがにそれはまずいと思って。石塚のお母さんに相談した。
 新聞に載る小渕さんの額を見ながら、石塚は平成と書いた。あたしはその美しい手をじっと眺めた。
「うーん、倉持のお手本になんねーなあ」
「じょーずだよ」
「ちげーんだよなあ。倉持も新聞見ながら書いてくれ」
 あたしには写真そっくりの「平成」を書いたように見えんだけど、なんか違うらしい。言われた通り、あたしは新聞を見ながら筆を運んだ。
「お、いいじゃんいいじゃん。読めるぜ」
 入門当初は解読不可能だったあたしの字も、一応、ほとんどの人が読めるほどには整ってきた。「読める」はあたしにとっては誉め言葉。
「そ、そう?」
「うん、めっちゃ上達したよ。この一年で赤ちゃんから小4くらいになった気がする」
「おお、一年で10歳成長したんか……来年20歳になれっかな」
「こっからが難しーからよ。約束はできねーけど、続けてればなれるよ。俺だってそこそこ上手くなったんだし」
 言いながら、石塚は「平」と書いた。その字に満足はしてねえようだけど、続けて「成」。
「なんで今日のお題は平成なの?やっぱ新しい元号だから?」
「それもあるけど、一番はおれが書きたくなったから。元号書くってかっこいいじゃん。おれもいつか書きてーな」
「書いてんじゃん」
「そういうことじゃなくて、おれも将来、新しい元号を書く人になりたいなーって」
「つまり、小渕さんが掲げてる額の字を書く人ってこと?」
「そう。昨日、おれの将来の夢が決まった」
 考えもしねかったけど、あの字を書いた人ってのがいる。そりゃそうなんだけど、「平成」の額を見て夢を持つ高校生がいんだなって。あたしはちっとめずらしーもんでもみたような気がした。
「へえ。あれってさ、誰かいてんの?」
「母さんに聞いたらさ、字を書く公務員ってのがいるんだってよ。その仕事に就けば、元号を書ける可能性があるんじゃないかって」
「そんな公務員いんだ!?知らねかった!」
「おれもだよ! 書道好きだけど、書道で食ってけないしって思ってた。でもさ、もしかしたら仕事にできるかもしんない。しかも元号なら日本国民全員見るだろ?平成のおかげでわくわくしてきたー!!」
 石塚は筆を手にしながら、両腕を上げて叫んだ。園児みてーに無邪気な笑顔で。
 元号が変わったからといって、あたしの生活は変わんね、新しい時代なんかいつ来んだか。そう思ってたけど、ここに「平成」の影響をもろに受けた人間がいた。石塚は平成になり始めてる。
 その姿を見てたら、あたしも早く平成に、新しい時代の人間になりてーなって。まだ初日だけど、時代に取り残されちっまたようで、自分にいじやけてきた。
 でも、新しい時代の人間って?平成の人間ってどういう人? 
 全然わかんね。
「なあなあ、倉持は?」
「何が?」
「俺は字を書く公務員になって元号書くけどさ、倉持は何やるの?」
 
 何やるって言われても、あたしは高校卒業したらその辺で働いて、彼氏作っか、もしくはお見合いとか紹介でいい人が見つかったら結婚して、専業主婦になる。それしか頭にねかった。新時代の人でもそれでいいんかな。
「……主婦?」
「おお、そうかすげーな!いい家庭作れよ!」
「へ? いや、主婦だよ、あんたみてえにご立派な夢じゃ」
「主婦ってむずかしーぜ。お母さん見ててそう思ったもん。一筋縄じゃいかねー仕事だよ」
「なんでそう思ったの?」
「うち、離婚してるじゃんか。その理由がさ、お母さんが『理想の主婦』になれなかったから」
「え、離婚してたの?」
 初耳だった。この家で見たことのある大人といえば、石塚のお母さんとおじちゃんの二人だけ。そういえば、休日に来ても石塚のお父さんに会ったことねえけど、土日が仕事の人もいるし、なんも疑問に思わねかった。
「そうそう。毎日朝早く起きて、3食作って、広い家の掃除洗濯、子供の世話、近所と親戚付き合い、それにお父さんのじいちゃんばあちゃんと同居して、ひいばあちゃんの介護もあって。町内会とかPTAとか習い事の送り迎えとか、あとお父さんが店やってるからそれの経理とか。まああれだ、うちのお母さんには、家庭を守る『理想の主婦』はできなかったんだなあ」
 主婦の仕事はご飯と掃除洗濯、子育て、と漠然に考えていたけど、他にもいろいろあるみてえ……。あたしは男子に教えられた。
「……主婦、大変」
「大変大変!だからよ、倉持も主婦になんなら覚悟もってな。このへん農家多いからさ、嫁に行くなら主婦業に加えて田んぼ畑仕事もやんないとな。兼業農家もいるよなあ、あれって奥さんが平日畑やってんのか?」
 簡単に結婚して専業主婦になると考えてたけど、石塚の話を聞いてうっすらおっかなくなった。
 実はうちも農家。といっても、農業やってるのは同居のじいちゃんばあちゃんで、あたしの父親は会社員。母親は主婦だけど、おじちゃんたちの繁忙期には手伝ってる。あたしは母親のことを見て忙しそうだ、大変だとか考えたことなくって、石塚の視点にはっとさせられた。
 父親みたいな勤め人か、農家へ嫁に行くのか。本家か分家か。もしかしたら都会の人と結婚するのか。
 将来、誰と出会って結ばれるのかわかんねけど、専業主婦はあたしの考えているほど簡単なことではねえようだ。
「おれの妹さ、今もお父さんと村に住んでんだ」
「妹!? 石塚ってお兄ちゃんなの!?」
 これももちろん初耳。兄弟はいねえと思い込んでた。だってこの家で、石塚以外の子供や若もん見たことねえし。
「おうよ、兄貴だよ。でさ、妹。あいつが村の誰かと結婚するのか、都内か別のとこに嫁ぐかわかんねーけど、お母さんみたいにならねーようにって心配してんだ。性格似てるから、お母さんと妹」
 学校での雑談のようにざっくばらんなトーンで話すけど、そこには石塚なりの妹への気持ちがある気がした。
「平成はよ、妹みたいな女でも生きやすいといいな。理想を押し付け合うのをやめて、認め合える時代が……あ! 妹、そっか!」
 石塚はあたしを指さした。
「倉持、妹に似てる!!」
 そう言って、石塚は立ち上がってバタバタ走りながら2階へ駆けてった。
 ほとんど待たずに石塚はまた書道教室に戻ってきた。真四角に近い形の分厚いアルバムを右わきに抱え、反対の手にはピンク色の紙が見えた。
「これこれこれ」
 石塚が開いたページには、小学校高学年の石塚と、耳の下で二つ結びしてる女の子が写ってた。妹さんは年子らしい。
 正直、似てると思えねよ。妹さんは都会的なぱっちりした二重の子だ。あたし一重だし。平安時代の顔って言われるし。でも石塚は似てる似てるとうるさくはしゃぐ。
「こいつも字がヘッタクソでさあ」
 似てんのはそこだったか。顔じゃないなら、写真見て騒ぐなって言いたかった。
「倉持みたいにさ、素直に書道やってくれなかったから今も汚えの。手紙のやり取りしてんだ」
 さっきのピンクの紙、ではなくって、石塚はピンクの洋封筒を見してくれた。住所や宛名の文字、確かにあたしと張れるぐれえ、立派にへたくそだった。
「おれさ、なんで倉持に書道教えてんのかなーって思う時あってさ」
「はあ!? 自分で誘っといて、なに言ってんでおめ」
「すまねー。でもさ、倉持だっておかしいって思わなかった?いきなり転校生が書道教えるって」
「そりゃあ」
 もちろん、思ったことはある。
 もしかしたらコイツ、あたしに気があんじゃないのかなあ。いつ告白されんのかなあ。好みじゃねえし、友達以上は考えらんねから断るけど。
 なんて考えてたんだけど、もしかしてこの流れって……。
「妹の字に似てたから、倉持に教えようと思ったのかもな、なるほどな」
「あたし、妹さんの代わりってこと?」
「代わりっていうか……代わりなのか。倉持に教えることで、妹を思い出してたのかもしんねーな」
 石塚は両手で頭をがさがさかいた。髪の毛が乱れまくる。
 固くなったかんそいもを、むりやりかみ砕くような顔して。
 あっためりゃあいいんだよ、固いのはよ。
「ほじゃよ、これからも習字教えてくろ」
「あ、え? か、代わりなのに」
「いんだよ、むしろありがたい。妹さんに似てたからタダで教えてくれてんでしょ? タダで字が上手くなるってこんなにえーことねえよ」
 石塚は片頬を膨らまし、鼻をこすったりし始めた。
「あれ、やんなった? あたしじゃ代わりになんねって」
「ち、ちげーよ、やっぱ失礼かなって思ったけど、倉持がありがたいとかいうから。いいの? 代わりでも」
「全然気にしね。むしろ失礼って思うなら、おもっきしあたしに字、教えてくろ。書道展に入賞できるくれえ」
「……お、おお、いいなそれ! 倉持を書道展に入賞させる! うちの高校から東大入るくらい難しい、燃える!」
 それも失礼な気がしたけど、まあそんくれえ、あたしの字はまだまだへたくそだからな。石塚の暗え顔が明るくなったからいいとする。
「あたしの夢できたわ」
 新しい時代の人間になれるかわかんね。でも、ぼうっと生きてはいたくない。夢を見つけた石塚に並びたいって思った。
「書道展に入賞する。しかも石塚より上の賞とる。何年かかっかわかんない。年寄りになっちゃうかもしんないけど、絶対石塚に勝つ!」
「あはは! できるもんならやってみろ! じゃあおれら、お互い100歳まで生きないとな~」 
 そしてあたしたちはまた、「平成」の練習を再開した。
 書道展に入賞して、石塚の書と並べてもらえるように。
 いつになっかわかんない。ほんとに100歳になっちゃうかもしんねけど、あたしは平成初日にできた新時代の「夢」に向かって、硯に墨汁を足した。


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