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【連載小説 第10話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第10話 強引に引っ越しさせられる女性


 まつりは翌月曜、朝5時に起きた。

 宇那木家へ朝ご飯作りに行かなくてもいいのに。無職だからいつまでも寝ていていいのに。

 二度寝もできず、とりあえず起きて水道の水をコップについで飲んだ。それから何時間もテーブルの前に座ってぼーっとしていた。

 駿からの連絡は一切なく、まつりは生きてるのか死んでるのか分からないまま転職活動をした。水曜日と木曜日、それぞれ1社ずつ面接を受けたが、何を聞かれたのか何を答えたのか、そもそも、どうやって会社まで辿り着いたのか、何もかも定かではなかった。

 2社とも金曜日の午前中に不採用の連絡があった。理由がわかりきっているまつりは、落ち込むどころか何の感情も湧かなかった。

 せっかく掃除した部屋が、また散らかり始めた。ゴミをだすのも億劫で、ゴミ袋が玄関に積まれている。

 なんとなくテレビを付ける。特に面白みのない昼前のバラエティ番組の中で、タレントたちがスイーツを大袈裟に美味しいと評している。そんなに美味しくないだろうバカ、と心の中でつっこんだ。

 はぁ、と一息つき、ゲームの画面に変えた。クリスタル・ファンタジー・ワールドのOPムービーが流れる。駿がこのゲームのウェブサイトを作っていることを思い出してしまったまつりは、急いでテレビを消した。それと同時に、「うああああ」と声が漏れ、涙がぼたぼた流れ始めた。

 月曜から家に居る間着っぱなしの部屋着、しかも昨日から着替えてもいない部屋着に、涙が落ちていく。ティッシュで鼻をかむ気力もでず、垂れるがままである。

 12時になったとたん、テーブル上のまつりのスマホが振動した。画面には「宇那木駿」。まつりは何も考えずに電話に出ていた。

「はい、ざどうでず」

『え、さ、佐藤さん? 声が』

「ああ、ずびばせん、掃除じででほごりが」

『はあ。お疲れ様です。実は今日、どうしても飲み会に出なければならず、真冬の夕飯を』

「作ります!!」

 何も考えずに、そう答えていた。

『ありがとうございます。鍵はお持ちですよね。では、よろしくお願いします』

 通話後、まつりは風呂へ直行。最後に風呂に入ったのは何曜日だったか。面接の日も、シャワーすら浴びた記憶がない。風呂の床はかぴかぴに乾いている。家を出た瞬間に不採用は決定していたのだ。しっかり体を洗って清潔な服に着替え、洗濯機を回した。その間に散らかっている部屋を片す。

 洗濯ものを干すと宇那木家に向かい、誰もいない部屋へ上がって冷蔵庫を確認した。

「……サバの味噌煮!」

 そう強く呟くと、駅前のスーパーに自転車を走らせた。

◇◇◇◇◇

 友達の家で遊んできた真冬は、玄関にあった青いラインが入ったスニーカーに目を見開いた。ランドセルを背負ったまま、リビングの扉を勢いよく開けると、まつりがテーブルの上を片付けていた。

「おかえり」

「……ただいま」

 真冬は音を立てずにそろり、そろりとまつりに近づく。

「どうしたの?」

「どっち?」

「ん?」

「アルバイトのお母さん? 前のおかーさん?」

 まつりは軽くほほえみ「どっちでもない」と答えた。

 真冬はまた、そろりと歩み、まつりの前に立った。じいっとまつりをみつめ、ゆっくりと抱きついた。まつりも抱き返した。

 二人でサバの味噌煮を食べながら、真冬の今日の学校での出来事を聞いたり、一緒に星のマリイを進めたりして、夜は更けていった。

 仕方のない飲み会から解放された駿も、玄関のスニーカーに目をぱちぱちさせた。時計は23時を回っている。本当はもっと早く帰る予定だったのに、周りは父子家庭だとわかっているはずなのに、帰してもらえなかった。というより、会話を切り上げられなかったり、中抜けが苦手だったり、強引な同僚たちに勝てない、弱くて優柔不断な彼のミスでもあった。

「帰るまで面倒見ててくれたってこと? 申し訳ないな……」

 玄関を入って右の扉を開けると、真冬がベッドで眠っている。その隣では、まつりが真冬を抱きしめるように一緒に眠っていた。駿はそっと子供部屋の扉を閉めた。

 浴槽に体をしずめると、駿は自然にふう、と息を吐いた。

 真冬の安心しきった寝顔に、自身も落ち着いた気持ちになった。これはわかる。娘が嬉しそうなら自分も嬉しくなるのと同じだ。

 しかし自分でもよくわからないのは、まつりがいたことに「ほっとした」ことだった。

 駿は湯に潜り、ぶあっと思い切り顔を上げた。 

「俺はぁ……佐藤さんにどうしてほしいんだ?」

 やっぱり言語化できない思いに、胸がきゅう、っと苦しくなる駿だった。

◇◇◇◇◇

 薄紫に星の模様が入ったカーテンの隙間から、明るい光が入って来た。

 そのまぶしさに、まつりは目を覚ました。胸の方に目をやると真冬がぴったりとくっついている。

 彼女を起こさないよう、ゆっくりと起き上がり、ベッドを降りた。

 真冬の部屋を出て、トイレで用を足す。手を洗うために洗面所へ行くと、洗濯機のボタンを押す直前のパジャマ姿の駿と遭遇した。

「……お、はよう、ございます……」

「……おはよう、ございます」

「ごめんなさい、眠ってしまって、その、真冬ちゃんに」

「き、気にしないでください」と、駿はボタンをおす。ごうんごうん、と洗濯機が動き出した。「真冬、安心した顔で寝てましたね」

「そうですか? なら良かった、のかな。じゃあ朝ご飯作ったら帰ります」

 と、まつりは手を洗い、タオルで手を拭いた。

「今日も、あ、アルバイトお願いしたいんですけど、お時間大丈夫ですか」

 駿はいまだ、自分がまつりをどうしたいのか、どうなりたいのかハッキリできなかった。

 真冬の本当の母はあくまで姉のこのみ。まつりは違う。

 では自分は? 優しくていい人だとは思う。いるとほっとする。もしかして自分も、彼女に母を求めているだろうか。それともパートナーとして求めているのか。失礼ながら、家政婦か。一晩考えても答えが出なかった。

「ああ、はい。お夕飯ですか?」

 一つだけ確かなことは、まつりがいれば真冬がいい顔をするということ。真冬が心から慕っている女性。娘とまつりの縁は繋げてあげたい。

「少し家で仕事しなきゃならなくて。ピアノレッスンの送迎を」

「分かりました」

「その後お昼ご飯も頼みたくて」

「ええ」

「それから夕飯も」

「はい」

「それから、明日はまた一緒にイオンに行って、今度こそ真冬の服を買いましょう」

「……承知しました?」

 駿は真冬のために、そして自分の言語化できない思いを鎮める、現状での最適解を導き出した。

まつりの両肩を持った。「もう住みませんか、ここに。部屋余ってるし」

 何を言われたのか。まつりは理解できずに5分ほど止まっていた。呼吸一つも帰ってこない地獄の空間に耐えながら、駿はまつりの肩に触れ続けた。

 やっと状況が飲み込めたまつりは「い、いやいや、え!?」

「もうすぐ更新なんでしょ? うちなら家賃ゼロ円です」

 駿はこれから毎日、お母さんのアルバイトを頼みたいと思った。彼女が転職活動中だとか、そんな事情を察するのはどうでもよくなっていた。

 それならば、住み込みが一番合理的ではないかと考えた。

「住むかどうか別として、ゼロだなんてそんな」

「持ち家ですから」

「賃貸じゃないんですか!?」

「社会人になってすぐ買いました。中古でローンはありますけど。Wi-Fiもあるし、水道光熱費も気にしないでください」

 駿に対して若干の頼りなさを感じていたまつりには意外だった。大学を卒業したばかりの青年が、結婚するかしないかもわからないうちに、ファミリータイプのマンションという大きな買い物を決断した。当時、その意欲はどこから湧いたのだろう。

 真冬と姉、なのだろうか。彼の姉は一体どんな人物だったのだろうかと、想像せずにはいられなかった。

「おこと」わりします、と言おうとしたところを、駿が言葉を被せた。

「軽トラ借りますね。いつがいいですか。やっぱ業者頼んだほうが良いかな」

「ちょ」

「引っ越すなら無職の今のうちです。就職してから会社にまた申請するの面倒でしょう。行政手続きも、時間があるうちの方が気楽だし」

 強引にまつりの引っ越しを決めていく駿。言葉のはじめをつっかえてばかりのかれが、早口で話しを展開させていく。真冬にそっくりだった。

「家電はうちのを使えばいいわけなんで、処分して」

「ちょっと待て!!」

 まつりは駿が肩に乗せていた両手を内側からどかした。

「何考えてんの? おかしいでしょ、独身で何の関係もない、家政婦でもない女が、父子家庭の家に住むって」

「そうですか?」

「そうだよ! 近所の人に変に疑われるでしょ。あんた誰って聞かれたらなんて言えばいいんですか。居候? 真冬ちゃんのお世話係? そういっても変に誤解するに決まってるのよ世間は」

 広くもない洗面所の中、まつりのキンとした声が反響する。

「変な誤解って? 俺たちは健全なただの他人です」

 その声を、駿の穏やかな声がぽすんと跳ね返して中和する。

「そう思わないのが世間なの! 例えば宇那木さんの恋人が住み始めたか、とか、そういうこと。そういう女と子供が上手くいくのかじろじろ見たり」

「佐藤さん、変なドラマの見過ぎです。この同居はお互いに利益があると思うし、本当に健全なんだから、胸を張ってればいいんです。何かあれば俺が近所の人に言います」

「一応、独身の男女が住むわけだから」

 女らしい魅力は皆無でも、まつりは少し気になったことを口にする。

「本当にドラマの見過ぎですよ。ご心配するようなことは何も起こりませんって。俺は誰とも結婚する気はないんですから」

 自信満々に答える駿。

 女性と付き合ったこともないし、そもそも結婚する気もない駿。

 確かに何も起こらない気がしたが、かすかに寂しいまつりであった。

「ケンカしてるの?」

 真冬が洗面所を覗き込んできた。まだ眠いのか、半目である。

「してないよ。佐藤さん、うちに住むことになったから」

 真冬の目がばちっと覚醒する。

「やったー!!」

「なんで勝手に決めてんのよ、住むなんて言ってないでしょ!」

「おかーさん」

「お母さんじゃない!」

「住まないの?」

 真冬がまつりの長袖ボーダーシャツの袖口をちょこんとひっぱり、きゅるっとした子猫の瞳でまつりを見る。

 昨夜、真冬とともにベッドに入った時の暖かさが思い出された。

「寝る前のお話」をたくさんした。友達の話、気になる子の話、先生の話、駿のおっちょこちょい話など、可愛らしい内容だった。楽し気に語りかける様子は、真にまつりを慕っていることが伝わった。無条件に愛されるってこういうことなんだろうか、などと感じたほどである。

 同居すれば、真冬の愛が毎日もらえる。それは確かに嬉しい。まつりもその分、返してあげようと思う。

 駿からは感謝がもらえるだろう。それはまつりも返す。そのうち、もっと他のものが欲しくなったらどうしよう、という不安が襲うけれど、真冬のキラキラする瞳に負けた。

「……住みます」

 真冬はまつりに抱きついた。まつりのお腹が気持ち悪くなるほど、きつく。


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