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【連載小説 第11話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第11話 マンションに婦人会があることを知ったお父さん


「よし、じゃあ金曜からすこしずつやりますか、引っ越し」

 と、駿は洗面所を出てリビングの扉を開ける。

 まつりは真冬を剥がしてそれを追い、「ちょっと急過ぎじゃない?!」

「ゴールデンウィークだからちょうどいいじゃないですか。俺休みだし」

 駿はテレビをつけ、朝のニュース番組にチャンネルを合わせた。

「私も休みだから手伝う~」と、まつりの背中に抱きつく。

「遊びに行かないの?」

「まだなんの予定も立ててないですね。金曜が引っ越し、一日じゃ終わらないかもしれないから土曜を予備日として、日月でどこか遊び行くかな。真冬、行きたいところあれば教えて」

「別に。おかーさんの引っ越しがメインでいーんじゃない」

「お母さんじゃない。せっかくなんだから自然を見に行くとかさ」

「おかーさんが行くなら」

 真冬は顔をまつりの背中にうずめ、ぐりぐりと顔を左右に動かす。

「お母さんじゃない。日曜は妹とおじいちゃんの様子見に行くの。福島の山奥で一人暮らししてて心配だから」

 一緒に住むことにはなったが、まつりの出身など、そういったプロフィールは意外と知らないことに駿ははっとした。今の発言で妹の存在も初めて知った。

「ご出身、福島ですか?」

「福島です」

「訛りがないから首都圏かと」

「こっちだとでないんですよ。宇那木さんも北海道弁? ないですよね」

 その後の朝ご飯や掃除の合間、駿は福島のこと、誕生日や血液型、観ていたアニメなど、まつりを質問攻めにした。やはり言語化できないが、彼女のプロフィールが猛烈に知りたくなった駿だった。ただ、大人になってからのことはトラウマが多そうだったので避けた。

 そうしているうちに、あっという間にピアノレッスンの時間になってしまった。家で仕事をすると言っていた駿なのに、送迎にも昼ご飯の買い出しにもくっついてきて、質問を続けた。 

 まつりは会話の中で自分も駿に質問を返すようになり、少しずつ彼のプロフィールを知っていった。意外に思ったのは、彼が美大を出ていて、物作りが好きだということだった。とはいえ、よくもまあそれだけ質問することがあるものだと呆れ、途中からとても面倒くさくなっていた。

◇◇◇◇◇

 月曜日からまつりは引越し準備を始めた。

 まずはいる、いらないものの選別。絶望を感じるほどにいらないものが積まれていった。必要な物は実に少なく、人間が生きていくことは意外とコンパクトであると感じた。

「うわ、便秘? 部屋が便秘してた感じ? これですっきり快便か? やっと普通の人間になれるかなあ」と独り言を言った後「……人間になれたら楽になれるかなあ」と無意識に呟いていた。

 宇那木親子と住むことを決めたまつりだが、これからの生活に怖さもあった。部屋に帰って一人になってから、それは余計に膨張する。

 一緒に住めば、お互いの短所が嫌でも見えてくる。それを頑固な自分は受け入れられるのか。もしかしたら、直させようと無理強いして嫌われてしまうのではないか。

 喧嘩をしたらどうしよう。人間だもの、衝突はでてくるものだ。それを話し合いで穏やかに解決できればいいが、自分の頑固さでできるのか。

 まつりは性分が原因で退職をしているが、プライベートでもそうだった。

一度だけ、他人と住んだ。好きな人なら何でも受け入れられるだろう、そう考えて住み始めたが、次第に相手の癖が目につき始めた。それを指摘し、直すよう何度もねちっこく言った。一方、自分の短所は指摘されても、真剣に修正しなかった。

 あの時は相手に非があるとしか思えてならなかったが、正義が自分軸にある性格が一番の悪だったと、今なら理解できる。人に直してもらうより前に、自分が直す方が先だ。いろいろあった相手だが、ふと思い出すと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 これを機に、変えねばならない。

 とは強く思うものの、そのほか暗い話題ばかりが頭の中をぐるりぐるりと巡り、気持ち悪くなって、午後は横になってしまった。

◇◇◇◇◇

 同居への不安は消えないまま、引っ越し当日になった。朝から心身ともに病的に重かったけれど、駿と真冬がマンションまで軽トラでやってきてしまった。今更「やめます」なぞ言えないし、駿が言葉をはさむ間もなくとにかくさくさくと衣類や本などが入った段ボールを軽トラに乗せていく。

 ちなみに、洗濯機や冷蔵庫などは明日、リサイクルショップに引き取ってもらうことになった。

 それでも引っ越しはまだ終わらない。心が灰色ですっきりしなかったという精神作用も大きく影響し、4日で引っ越し作業は終わらなかった。ゴミにするものをまだ捨てていないし、捨てるかどうか選別の難しいものもあり、完全なる引っ越しが終わるのはもう少し先の話になった。

「ごめんね真冬ちゃん、つまらないでしょ引っ越しの手伝いなんて」

 宇那木家に着いた段ボールをリビング横の洋室に運びながら、まつりは声をかける。

「新鮮新鮮。物心ついてからずっとこの家で引っ越ししたことないから」

「そっか。あー、お昼は蕎麦かなー。引っ越し蕎麦。蕎麦あったっけ?」

 元のマンションへ自転車を取りに行くついでに、まつりは真冬とともにスーパーへ蕎麦を買いに行った。それをエントランスで見届け、部屋に戻ろうとした駿は、エレベーターから降りてきた同じ階、505に住む50代の夫婦と遭遇した。

「こんにちは」

「こんにちは。そういえば駿君、あなたの家に女性が引っ越してきたようだけど」

 夫人は物陰からばっちり、引っ越し風景をキャッチしていた。見かけた瞬間から聞きたくてうずうずしていたのだ。同じ階ということもあり、宇那木親子の事を何かと気にかけてくれる夫人。姉が亡くなった時もだ。ただ、面白そうな話題は好物である。しかも、これまで女性の影を感じなかった駿にその動きがあるのだから黙っていられない。

 面白い回答を期待していることは、駿も顔から察した。これがまつりの心配していたことかと、腑に落ちた。

 何かあれば自分が言う。そう大口を叩いたが、まさか初日でつっこまれると予想していなかった駿は、回答を用意していなかった。

 まつりはどんな存在だろうか。

 真冬のお世話をしてくれる人。違う。

 家政婦。もっと違う。

 真冬の友達。ではない。

「彼女は同居人です」

「ああ、真冬ちゃんが懐くかトライアルって感じ?」

「え? もう懐いてますが」

「ってことはもう次の段階なのね。同居人だなんてぼやかさないで、はっきり言っていいのよ。ほら、自治会の婦人会とかあるからさあ」

 マンション自治会には真面目に参加している駿だが、婦人会の存在を知らなかった。姉はここに越してすぐ亡くなっているので、マンションの女性たちの関係図を全く知らなかった。

「そ、それって、ここのマンションの女性、み、みんな入んなきゃいけないんですか?」

「強制じゃないけどお、入った方が、ねえ。いじめられないっていうか」

 夫人の若干の面白がる物言いに、頭のてっぺんが寂しい旦那の方が口を挟む。

「お前、駿君に余計なこと言うなよ」

「教えてあげないとぉ、早めにね。奥さんが悩む前にさあ」

「お、奥さんじゃ」

「あら、じゃあパートナーにしとく? 同じようなもんだけどさ。でもね駿君、立場はしっかりさせとかないと。彼女かわいそうよ」

「そ、そうなんですか?」

「そおよお! まだ恥ずかしいのかもしれないけど、同居人です、で通ると思うゥ? マンションの自治会の集まりとか、清掃とかあるでしょ。あの人は参加させないつもり? 住人はみーんな参加しなきゃいけないのに。そこで曖昧な立場の人って苦しいわよお。まあ私は優しくするけどね、駿君のあれなら」

 駿は月イチの清掃の事を思い出した。真冬とよく参加するが、まつりのことを聞かれたりしたら真冬は「お母さん」と答えるだろう。それで「同居人」は、確かに理解してもらうのは難しいかもしれない。

 しかし多様性の時代にそれは遅れているのでは。さまざまな人間関係があってしかるべきなどと駿は思うが、いまだ遅れている人間の方が多いマンションの住民。まつりのためにも何かしら安定した立場を与える必要があると考えた。

「ほんとは? ほんとは?」

「お前、あんまり人様の家に」

「……えー、じ……じじ、事実婚です!」

 今後、何かのきっかけでまつりと離れることになっても、迷惑のかからなそうな関係。かつ、周りが納得しそうな関係。そう思って駿が出した答えだった。

 そしてこの話は、一日でマンション中に広まることになった。

 蕎麦を買って戻って来たまつりは早速、知らない夫人から「宇那木さんの奥さん」と声を掛けられた。目玉が本当に飛び出ていたのではないかと思えるほど、生きてきた中で一番、目を見開いたのであった。

●おまけ

「おおおお奥さんって一体!?」

「お父さんの奥さんなら私のお母さんじゃん」

「ちがう、奥さんじゃない! やっぱそうじゃん、そうみられるに決まってるじゃん! もー、宇那木さんにきちんと言ってもらわないと」


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