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【短編小説】黒い瞳に吸い込まれたい

 自分の瞳の色って知ってる?

 私は知らなかったっていうか、気にしたことなかったの。

 だって、目の色を知ったからって、生活や仕事に関係ある?

 ないよね。

 ってことで生まれてこの方30年、私は自分の目の色を知らずに生きてきた。

 会社の昼休みに美容雑誌を読んでたら「イエベ・ブルべ特集」ってのがあった。

 ファッション系の雑誌はよく読むから知ってたけどさ、その言葉。でも自分がイエベかブルべかなんて調べたことなかったわけ。

 なんか気になって、そこに載ってたセルフ診断したの。

 まずは肌の色。オークルかピンクか。よくわかんなかったけど、ファンデはピンク系だから適当にピンク。

 ほいで目の色ですよ。ブラウン、ブラック、赤みブラウン、グレイッシュ…。

 え?ぶらうん?ぐれいっしゅ?

 アジア人は黒、ヨーロッパ系は青、くらいの認識しかなかった私は、無印良品のアルミ卓上鏡(小)で自分の瞳を確認した。

 ぶらうん!!赤みブラウンじゃないか、私の瞳!!

 自分の目の色を知ってから「瞳」というものに興味を持った私は、身近な人の目の色も見せてもらうようになった。

 まずは会社の隣の席の女子に雑誌を見せてから「ってことで、目、みして」と頼んだ。

 女子こと森口さんはノリノリで瞳を見せてくれた。

「森口さん、薄いブラウンね」

「ほんとに?あー山下さんと比べると確かにー。山下さんは赤っぽーい」

 ネットで調べたところ、意外と黒の瞳ってのは少ないらしい。手あたり次第、許可を取った人もいればコンビニの店員さんを勝手に観察したりも含め、100人くらいは目をみせてもらったところ、ブラウンが圧倒的だった。

 黒はたまに、であった。

 そのたまに見かけた真っ黒な瞳はかっこよかった。

 なんて魅力的なんだろう。

 瞳の色に気付かなければ、黒の美しさを一生知らずに終了していた。もったいなところだった。

 近所の80歳くらいのご婦人の瞳が、今まで観察した中で一番黒かった。雪のように白く、整えられた短髪。

 静かな漆黒の瞳。

 お茶の先生なので時折、着物姿をお見掛けする。黒の瞳とマッチしすぎていて身もだえした。

 お上品な顔立ちだ。きっと若いころは濡れ羽色の髪にその瞳で、多くの人を虜に、いや――吸い込んでいたに違いない。

 黒の魅力に取りつかれた私はいつしか、

 

 私も黒い瞳に吸い込まれたい。

 そんなことを考えるようになった。

 

 誰か、黒い瞳で私を吸い込んでくれる人はいないだろうか。

 そういえば、彼の瞳は何色だっけ。顔をよく近づける相手でありながら、即答できない。

 気になってしょうがなくなった私は<明日夜会いたい>と一人暮らしのソファの上、チューハイ缶片手にLINEした。

 返事はすぐ来た。

<飲み会むり>

<いつなら会えんの>

<日曜> 

 

 日曜日、大観覧車が見えるスタバで私は「目の色見せて」と覗き込んだ。

「目の色~?」

 彼はいきなりなんだという感じだったが気にしない。

 暗い色。もしかして。

「……茶色なんだ、あんたの瞳」 

 濃いから一瞬「漆黒の瞳」を期待しちゃった。ダークブラウンってやつだ。

 そこで気持ちが切れてしまった。別れを切り出した。

 多分、瞳はただのきっかけ。もっと前から気持ちは切れてた。

 次の日から私は、黒い瞳を探すようになった。


 この人も違う。

 アイツも違う。

 この子も違う。

 あの人も違う。


 どこにいるの、私を吸い込んでくれる「黒い瞳」の人。


「山下さん?」

 どにいるの「黒い瞳」の人。

「山下さーん」

 「黒い瞳」の人。

「山下さん!」

「あ、な、なに森口さん?」

「山下さんこそ、ぼーっとして。どうされました?ずーっと呼んでるのに」

「ごめんごめん」

「新しい社長さん、どんな人でしょうねー」

 下っ端には詳しい事情は分からないけれど、社外の人を新しい社長として招いたらしい。てきとーに働いてお給金さえもらえればいいので、興味はないけど。路頭に迷わないよう、最低限保証してくれる経営さえしてくれればいい。

 就任初日の今日、各部署へのあいさつ回りがあるらしいんだけど、わが部署は一番最後。そろそろ、新社長殿がやってくる時間だった。

「若い人なんだっけ?」

「そーらしいです。30代半ばくらいって聞きました」

「男?女?」

「さあ、それは知らないですねえ」

 がちゃり、とドアが開いた。

 現れたのは、腰、いやお尻を隠すほどの長く直線的な黒髪を持つ人だった。真っ黒な髪は、オフィスの電灯よりも光っていた。

 濡れ羽色の髪をさらさらと流しながら、社長は各社員に挨拶をしていく。

「えー、めっちゃかっこいい!モデルみたい。ほら、悪い女とか強い女ばっかり演じてる人、あんな感じ」

 森口さんがそう表現するのも分かる。

 デコルテを大胆に魅せる開襟シャツ、胸元には小粒のダイヤモンドペンダントが輝く。髪の毛と同等の黒のテーラードカラージャケットに揃いのタイトスカート、黒のハイヒールを履いている。きっと、あれの裏は赤いだろう。

 確かに、スタイルはその芸能人によく似ている。

 でも遠目から見える顔は――。

 一人一人と握手をする社長が、ついに私に目の前にやってきた。

「白雪かづきです。よろしくお願いします、山下朝子さん」

 上品な印象の話し方だった。近所のお茶の先生も、現代人とは一線を画した美しい言葉をお使いになるけど、それに似ている。まるで現代人じゃなくて、昔からやってきたみたいな。明治とか大正のブンガク小説みたい。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 私が頭を下げると、白雪社長が手を差し出す。私も手を出し、握手した。

 名前通り、透き通るような白い肌。私が塗ったら失敗にしか見えない真紅のルージュが映える。耳と髪の隙間から、シルバーのフープピアスが見えた。

 長く、豊かなまつ毛。

 瞳は……。

 漆黒。

 私が求めていた黒がそこにあった。

 ぱっと見は女性だと思ったけれど、男性のような印象も受ける。

 ほっそりした手指。女性らしい柔らかさが見受けられるのに、握手したその手の質感は硬く、男性らしい厚みを感じた。

 かといって、男性とも言えない。厚みは感じるのに見た目は薄いその手。

 見た目はどう見ても女性なのに、男性っぽい、でも男性じゃない。女性じゃない。不思議な人。

 社長は私と握手すると、同時に、私の手に何かを握らせた。社長が次の社員との挨拶に移り、私は握らせた何かを確認した。

 四つ折りにされた紙片。開くと<18時、社長室に来てください>そう書かれていた。


 吸い込まれたい、あの瞳に。


 私はメモの通り、18時に社長室の前へやって来た。もしかすると、私以外の社員にもあのメモを渡しているかも、と思ったが、辺りには誰もいなさそうだった。

 私だけが呼ばれた!

 呼ばれた理由なんてわからないのに、私の心の中は甘酸っぱい期待でいっぱいだった。

 ノックすると、扉の向こうから「どうぞ」と声がした。

「失礼いたします」

 私は高鳴る胸の鼓動と同じリズムで扉を開け、社長室へ足を踏み入れた。

 部屋の中は電気が付いておらず、全面窓から差し込む夕暮れの色が室内を染めている。

「山下さん!本当に来てくれたんだね、ありがとう。嬉しいよ」

 先ほどのブンガクみたいな白雪社長はそこにはいなかった。風船が割れるようなパンとハリのある声、自信あふれる青年実業家のようなだ。

「そんなところに突っ立てないで、こっち来なよ」

 私は社長の机の前に立った。社長は椅子から立ち上がり、「こっちこっち」。

 手垢ひとつないガラス張りの窓の前に私は立った。

 血のような赤が社長の顔に射す。でも、漆黒の瞳には夕日の色は入らない。永遠に黒いまま。

「黒い、瞳ですね……」

「でしょ?僕のチャームポイントなんだ」

「……宇宙って、こんな感じなんでしょうか」

「かもね。行ったことないけどさ」

 社長は両手で私の頬を包み、私の赤みブラウンの目をじいっとみつめてくれた。

「気に入ってくれた?僕の目」

 わあ、吸い込まれる。

「……はい、とても」

 白雪社長の瞳が徐々に私に近づいてくる。

「山下さんの赤茶色の目も素敵だね」

 私、やっと吸い込んでもらえるんだ「黒い瞳」に!!

 喜びが絶頂に達した時、私は社長室にはいなかった。

 

「ありがとう、山下さん。これからは『あっち』で頑張って生きてくれ」

 夕日が闇に飲み込まれかかった社長室で、白雪かづきはひとりほくそ笑む。そして、化粧水を浸透させるように、両手でじんわりと顔を抑える。「何か」を飲み込み終わったかづきは、のろのろと顔から手を外した。

 瞳は黒から薄い青灰色に変わっていた。

 次の日の朝、白雪の瞳は「漆黒」色だった。そして帰りはまた、「薄い青灰」色だった。

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