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【短編小説】私と僕と夏休み、それから。(第9話/全12話)

キコは朝から体も心もだるかった。これまで、シオンと会える日は足取りが軽かったのに。数学の問題を解きまくっても、英単語の書き取りをしても、読書感想文を書き終えても心が晴れることはなかった。夏休みの宿題を、すべて終えることができたのは良かったけれども。
朝8時。「超早く行って、神社という聖域の中で精神を統一するのだ。そうすりゃきっと、なんとかなる!」と、心の中で叫びながら、過酷な気温の中、キコは自転車を漕いだ。
約束は10時、現在時刻は8時20分。ほんの少しの時間のサイクリングでも、ノースリーブのトップスにハーフパンツの出で立ちでも、近年の夏の暑さは堪える。とりあえず汗が引くまで座っていようと、キコは拝殿前の段に座った。スマホで時間を確認する。

「約一時間半で悟れるかな…」
「キコ、仏になるの?」

頭上から男の子の声がした。キコは反射的に上を向くと、いるはずがない(とキコが思っている)シオンのニコニコ顔がのぞいていた。

「わ!なんで!?」
「会う日だから」
「早すぎるでしょ!」
「そっちもね」
「そうですね…いや私は近所だからいいけど、そっちは遠いのに」
「早く来たい気分だったから」
「ああ、そう…」

シオンはキコの隣に座ると、課題図書を読み始めた。
何事もなかったかのようなふるまい。
5月に「大っ嫌い」と言った次の日もそうだった。

(バカみたい…一人で思い悩んで…。シオン君の今の家族が、私の昔の家族。その事実があるだけで、私がもやもやすることなんて、一つもない。のに)

ばたん、と勢いよく本を閉じる音がした。キコが音の方を向くと、シオンがキコの左手首をぱっとつかみ、立ち上がった。その勢いに引っ張られ、キコも立ち上がった。シオンはそのままキコを引っ張り、周りに生えている木の前に立った。

「この木の名前は?」
「へええ?」

予期せぬことに、キコは自分でも自覚できるほど間抜けな声で返事をした。
次にシオンはそのまましゃがみ、

「じゃあこの植物は?」
「えーうーん、し、シダ?」
「何シダ?」
「そこまでは」
「じゃあこれは?」
「おおう、なんとか花?」
「これは?」
「…葉っぱ」

シオンは手首をつかんだまま立ち上がり、キコもつられて立ち上がる。
何も答えられないキコの顔を見下ろしたシオンの顔は、全くニコニコしていなかった。

「な、なにシオン君、いきなり何?抜き打ちテスト?」
「気になってるんだろ。俺の家族が自分の家族だから」
「…気にするでしょ、ずっと会ってなかった家族がシオン君の家族になってたなんて」
「だからって、俺に対してよそよそしくなるのは違うんじゃないか?関係ないだろ」
「全く関係ないことはないでしょ?しかもシオン君、私と同じクラスだってこと隠してるなんて、そっちこそ気にしてるんじゃあないの?」
「言いたくないだけだよ。言っただろ、親戚程度の仲の良さだって」
「親戚程度で言える内容だよ」
「じゃあそっちは?実の母親の再婚相手の連れ子に会ったって、家族に話した?」
「それは…言ってないよ」

しばらく、どちらとも口を開かなかった。シオンの手は汗ばんで、キコの手首にそのじわっとした感覚が伝わる。

「…今も、もやもやしてる?」

沈黙を破ったのはキコの方だった。

「もしかして、今も家に居場所ない?」

かっとしたシオンは、手首をつかんでいた手を乱暴に放しながら、

「うるさい!」

と、神社中に響く声で叫んだ。シオンにこんなに痛い感情があったなんて。でもこの気持ちはキコにもあった。キコはシオンの目をまっすぐ射り、両手でシオンの左手をぎゅっと包んだ。

「おい、ちょっと」
「私もないんだ。居場所。今ももやもやしてる。子供のころから何にも変わってない」

まっすぐな瞳に負けじと、シオンは鋭いまなざしで返す。

「うまくいってるんだろ?緑さんからそう聞いたけど」
「それはお父さん目線。お父さんはうまくいってると思うよ。今のお母さんととっても仲良し。かわいい息子もいる。三人は家族だけど…私は、うん、違うなあって思ってるの。新しいお母さんのことは『お母さん』って呼んでるし、一緒に買い物も行くよ。でも、私にとっては頼れるお姉さんって感じかなあ。結構若いしね。あ、弟はめっちゃかわいい」

蝉の声がだんだん、大きくなっていく。

「家に居場所がないときに出会うのかもね、私たちって」 

キコは両手をさらにぎゅっとしめ、シオンに近づく。

「今度はもやもやどうし遊ぶんじゃなくて、これを乗り越えようよ、二人で」

姉はライオン、妹は飼いネコという印象だったが、この時シオンは「この子もライオンかもしれないな」と感じた。
何か言い返そうとしたシオンだったが、じわじわと涙がにじみ、話そうにも話せない。涙をとめようとすればするほど、ぽろぽろとこぼれ、流れていく。最後に人前で泣いたのは、記憶にないほど昔だった。
涙が止まらない彼を、ただただ、見守っていたキコだった。

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