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外食を楽しむということ

はっきり言って、私は外食が好きです。
それは家で食事をすることが嫌いなのではなくて、もちろん家で家庭料理をゆっくり食べることも好きです。

外食は、いわゆる「非日常」の活動。
非日常があるから、日常が輝く。日常の尊さを知る。

だから、外食が好きなのです。
だから、どんな人にも外食を楽しんでほしいと思うのです。


父との思い出

私の父は外でご飯を食べたり、喫茶店に行ってコーヒーを飲むのが好きな人でした。

父は丹後ちりめんの織物の商売をしていました。ですから、しょっちゅう車で出かけていました。

子供の頃はそんな父について、姉たちと一緒に出かけることが楽しかったです。

財布の紐の固い母とは違い、父はとにかく気前がよくお金の使い方も大胆でした。
値段を気にせず、注文したいものを自由に選ばせてくれました。

だから父との外食は楽しかった記憶があります。

特に喫茶店が好きだった父。出された温かいおしぼりで顔を拭くのがお決まりでした。

私が「カフェ」ではなく、「喫茶店」に行くのを好むのは、おそらく父の影響ではないかと思っています。

行きたいお店に行けない

大好きな喫茶店だけど、行きたいと思うお店に限って「あ、ここ行けない」という状況に遭遇することがあります。

この階段は無理よね、と諦めざるを得ないことがあるのもしばしば。

だから結局は、「行きたいお店」ではなく、「行けるお店」ということになってしまうのです。

先日も、行ってみようかと友達と出かけた場所が階段でした。もし仮にもう1人いてくれたら車いすを持ち上げて行けなくはなかったかもしれませんが、流石に友達1人では難しかった。

そんなちょっとしたことかもしれないけれど、がっくりくる気持ちは残ってしまいます。

私は、自分がセラピストとして関わる対象者の方に、「行ける場所じゃなくって、行きたいとこに行きましょう」って励ますけど、自分自身は結構諦めることもあるなあと。

なんだが自分で自分にツッコミを入れたくなってしまうことがあるのも現実なのです。

お互いの歩み寄り

ある日、あるお店のオーナーさんに「行きたいけど階段があるからちょっと難しい」と漏らしたことがありました。

本当に行ってみたいなあと思っていたところでした。

後日、スロープを作ってもらったと連絡を受け伺いました。

急なスロープなため1人では危ないのでお店の方にお手伝いをいただく必要があるのですが、気持ちよく対応してくれました。

お店の人も来てもらえてよかったと喜んでくれ、その後私以外の方にもスロープが必要なことがあり、作ってよかったと言ってくれました。

お店の人に伝えることは非常に勇気もいることだし、気持ちよく対応してくれなかったらどうしようという恐怖も伴います。

でも、やっぱり「気づいてもらう」という視点はとても大切なことだと感じます。

実際、やはり気が付かないのだと思います。

車いすの人だっているんですよ。私はここにいるんですよ。普通に美味しいコーヒーが飲みに行きたいだけなんですよ。

こちらが歩み寄ったら相手も変わる。そんな気がしています。

輝く日常のために

これから、私はもっと社会に向け発信していきたいって思っています。

どんな人でも、外食を楽しむ権利があることを。非日常を体験する権利があることを。

外食は、人生の目的ではない。あくまでも一つの手段。

生きるを楽しむ一つの手段。

食べることを楽しんだ先にあるものは・・・。

非日常があるからこそ日常がより輝く。

今度、あそこに行ってみよう。そんな楽しみが、日常をまた支えていると思うのです。

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