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新しい年に寄せて

2023年がスタートしました。新しい年になってすでに1週間経ちました。
1月はいく、2月はにげる、3月はさる、と言われるように、このままいくとあっという間に春になり月日が流れてしまいそうです。
という訳で、忘れないうちに昨年の振り返りと今年の決意表明をしておこうと思います。

2022年の私

昨年は、これまでとは違う働き方にチャレンジした年でした。
約16年間フルタイムで言語聴覚士として働いてきましたが、昨年からはパートタイムとなりSeat Tableという屋号で個人事業を立ち上げました。
なぜ私がこのような働き方を選んだか。詳しくはこちらをご覧ください。

実は何年か前からこんな思いはあったのですがなかなか思い切れず、自分の中ではようやくというスタートだったのです。

路頭に迷った2022年

意気揚々と5年先までイメージしたスタートだったわけですが、そんなにうまく事が運ぶわけはありません。
元々器用になんでもこなせる方ではなく、不器用なりにも周りに助けられ生きてきました。そうかといって、とことん人に頼ることも得意ではなく、なんでも一人で頑張ってしようとしてしまうややこしい性格です😅
ダブルワークの生活のペースがつかめず、途中から脳内が恐らく収集つかなくなっていたと思います。
自分は何をやろうとしているのか、何がしたかったのか、訳がわからなくなってしまったのです。
思い描いていたことが全然できない。
すっかり足が止まってしまいました。
周囲の期待以上に、自分の能力のなさを痛感した一年でした。
また、タイミング悪く昨年2月終わり頃から皮膚病を発症しました。これは話せば長くなるので割愛しますが、まともに人前に出られるまでに半年程かかりました。
これも最初のスタートとしては、大きな誤算で痛手だったとは思います。

脳内リセット

そんな2022年だったわけですが、昨年秋に家のある一部を思い切ってバリアフリー化したことから、少し脳内がリセットされつつある感覚を覚え始めました。
その家のある一部とはキッチンです。

車いすで座ったまま調理ができる

私は2020年の骨折を機に、家の中でも完全に車いすの生活となりました。
退院の時、廊下やトイレ、浴室といった緊急性の高い所をひとまず改修しました。
キッチンに関しては、当時食事もほぼ夫が作ってくれていた為緊急性は高くなくそのままにしていました。少しなら立てるので、立って洗い物はしていました。
でも、それすらも段々苦痛になってきた為改修に踏み切ったのです。
そしたら、元々料理は大好きだったという自分を思い出し少しずつ包丁を握って夫に食べさせたい欲が沸いてきたのです。
それと同時に、諦めていた思いがフツフツと芽を出し始めたのです。

努力で切り開く可能性

私は自分がいわゆる嚥下食と言われるものを作れる人になりたいと思っていたけど、ほとんどそれは諦めていました。
私は作れないけど、私には調理師の夫がいるから夫に作り方の提案をして、作ってもらうというプロセスをとっていました。
しかし、私でも努力したら作れるようになる可能性を大いに感じ始めたのです。
かさい食堂の調理はもちろん夫です。ですが、やわらかメニューへのアレンジは私ができるようにしたい。せっかく乗り出した船。
努力したら、まだまだ可能性が開かれる。そんな期待を今感じているのです。

障害があってもなくてもみんなで囲む笑顔の食卓


幼少からの障害体験。これが原体験となって今があることは恐らく間違いないと思っています。
『障害があってもなくてもみんなで囲む笑顔の食卓』。Seat Table活動のキャッチコピーです。
自分自身、障害があるがゆえに、と思えてしまうような悔しくて悲しい体験を何度もしてきました。みんなと同じことができない、仲間に入れない。これは、当人にしかわからない辛い気持ちです。その体験は、やっぱりずっと残ってしまうんです。
私は、言語聴覚士としてこれまで培ってきた経験を武器に、そんな気持ちにならなくてもいい地域をつくる。社会をつくる。
死の間際でさえ、きっと人は笑顔で食卓は囲める。そう思っています。
新しい年、このキャッチコピーを何度も何度も口に出しているところです。

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