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愛されたい願望

幼稚園~小学生

物心ついた頃から劣等感の塊だった気がする。
「○○ちゃんより字がきれいじゃない」「○○ちゃんみたいに絵が描けない」「○○ちゃんみたいに速く走れない」
自分のできないところばかりを気にしていた。

それは、家の中でも同じだった。
私は4人兄弟だけど、みんな自分より優れていると思っていたし、自分は何も得意なことがないと思っていた。

運動会なんて大嫌いだったし、体育も図工も嫌いだった。
でも、国語や算数に関しては普通にやってそれなりに良い点数が取れた。
だから、なんとなく私はそれを維持しなくちゃいけないと思うようになった。
それなりに良い点数を取り続けたら、親が喜んでくれるからだ。
兄弟の中で「勉強が出来る子」という地位を獲得したような感覚だった。

父親

「親」といっても、テストで良い点数を取って喜ぶのは決まって父親だった。
父親は、私のことを「頭が良い、天才だ」と褒めたけど、娘を褒めているのではなく、自分の娘が頭が良いことが誇らしい、そんな感じだった。
いつも自分のステータスを自慢するかのように話していた。

私はそれが嫌だった。
でも、褒められなくなるのはもっと嫌だった。
兄弟の中で、自分だけ何もなくなるのが嫌だった。
親に認めてもらいたかった。

父親に褒めてもらえたことが、もうひとつ。
「良いお姉ちゃんでいたとき」
下の子の面倒を見るとか母親の手伝いをするとか、いわゆる「長女として」行動できたときは褒められた。
いつの間にか「長女として」の立場や責任感が私の中に植え付けられ、「長女として」振る舞うことが当たり前になっていった。
だいぶ早くから「甘えること」が出来なくなり、「しっかりすること」をしなければならなかった。

親には「手のかからない子供だった」と言われるが、つまりはそういうことだろうなと思う。

つづく…かも

大人になって思い返してみると、環境や人間関係が自我の形成にいかに影響を及ぼしているかがわかるな。
もちろんそればかりではないとは思うけど。
もっと私のことを見てくれる人が近くに居てくれたら、もっと違う自分になれていたのかなと、こんな大人になっても思ってしまったりするな。



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