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緩やかに差別が終わる日

 言語は刻一刻と進化しています。約1000年前、和紙に書かれた2人だけの情愛の文字は今では緑茶のペットボトルのパッケージに印刷され、皆が手に取ることができるようになりました。 

 文化と歴史は瞬きをするたびに目まぐるしく変わり、今ではもうたった200年前の言葉も少しの面影を残すばかりです。高校の現代文で森鴎外の『舞姫』に苦戦したことを思い出しました。この偉大な医者にして文筆家は本当に日本語を話しているかなどと、当時は馬鹿なことを考えたものです。

 100年単位でさかのぼらなくとも、20年、10年、いや5年ほど前の流行った言葉のリストを調べてごらんなさい。懐かしさを感じるとともに、なぜこんな陳腐な言葉が流行したのかと首をかしげてしまうかもしれません。そのくらい人の価値観は揺らぎやすく不安定なものです。

 言語が変化するということは、全ての「良い言葉」も「悪い言葉」も変わっていくという事です。差別の言葉も緩やかに変わってくるでしょう。今は多様性の志向が強いですから、少数派と言われた人々はすべてカテゴリー化され、そのプロトタイプの中に個性が組み込まれてしまいます。この歪んだ自己認識は、多数派の中では差別用語として扱う人間もいます。アイデンティティの点から言うとすれば、これが差別と偏見のメカニズムです。

多数派が次々と生み出す新しい言葉が、少数派の心にとどまり、それが偏見として多数派に認識される悲劇の生産システムです。

 ですが緩やかにその非情なシステムは変化していきます。なぜなら、差別とは言葉で生み出されるものだからです。

 その言葉を、単に一つの言葉としてしか認識できなくなれば、差別は無くなります。これはどういうことか。「一を聞いて一を知る」だけにしておくということです。他に何も考えなくてよろしい。
 誰かか「ハーフ」と呼ぶのなら、日本人と外国籍をもった男女から生まれた人間という意味にとどめておけばいい。その裏にある嫉妬や羨望の目から顔を背けなさい。

 誰かが「レズ」というのであれば、なぜその言葉を言われて悲しんだのかを今一度考えてみるといいでしょう。「R-E-Z-U」の羅列に怒りと絶望を感じたわけではありません。その文字の裏にある、大衆の抱える歪んだ認知によってあなたは傷ついたのです。この違いを忘れてはなりません。

 自らについたレッテルを剥がすには相当の努力が必要です。なぜなら貴方たちは今まで多数派のつけたそれに苦しみ、悩むと同時に、そのつらさを受け入れてしまっているからです。

そのつらさを受容するまえに、その言葉に真摯に向き合い、言葉を単純にするのです。現代文の共通テストでよい点を取るコツは、書いてある文章から答えを導き出すことです。筆者の来歴や自分の感情を入れることは得策とは言えません。

 繰り返しますが、言葉は歴史とともに、確実に変化しています。100年後には、もう私たちが大喧嘩したときの罵りの言葉など、立派な研究対象になっているやもしれません。

 貴方がある一つの言葉に心を痛めなくなったとき、何も感じ取るものが無くなった時、言葉はまさに進化しました。緩やかな変化です。緩やかに差別が潰える瞬間なのです。


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