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本を選ぶ楽しさを知って

 半ば嫌々と新宿駅の東口をでた。こんなクソ暑い昼間になぜわざわざ人ごみで汗臭い新宿に来たかと言うと紀伊国屋で目当ての漫画を買うため。逆に言えば、それだけの理由で新宿に来た。立ち仕事のアルバイト終わりで足裏は疲労で痛い。クッション性のないフラット靴で作業していたからだ。帰宅したらもうこの靴は捨てよう。

 相変わらず暑いが、もう日傘をさすほどの気力も残っていない。連日の心えぐられるオーディションやアルバイトに私はかなり弱っていた。普段なら多少は流せる冗談や嫌味にも過剰に反応し、まともに会話ができないような状態になることも一日に数十分あった。その中でよく新宿に来れたなと思う。当時は不満たらたらで降り立ったわけだけれども。紀伊国屋まで殆ど何も考えずに駆け足で向かう。とにかく早くあの本に会いたかった。それだけが私の救いのように思えた。在庫検索をして新宿のその書店にあることはわかっていたから。新宿通りに悠然と立っている大型の書店。何となく気分が高まる。顔の知らない文通相手にこれから会うような気分だ。建物を突っ切って、別館アドホックビルの思いガラス製の扉を押した。力がないから身体がギリギリ通れるほどの隙間しか押し開けない。すこしよろけて階段をのぼった。2階に目当ての本があるのだ。幸い、すぐに見つかった。一番上の段に2冊づつあったので上下巻、確認しながら背伸びをして本棚から取り出す。「思えば遠くにオブスクラ」。うん、間違いない。

 本をレジカウンターまでもっていき、会計を済ませる。途中でポイントカードの提示を求められたので全く使っていなかったプラスチック製のポイントカード(しかし財布には常に常備してある。)をカード入れからひっこぬいた。レジの女性は申し訳なさそうな顔と声をもってこのポイントカードが現在では使われていないことを伝えてくれた。しかも長い間使われていなかったせいで私の個人情報も初期化されてしまったらしい。底まで私は本屋に行っていなかったのかと愕然とし、同時に恥ずかしくも思った。申し訳ないのは私のほうだ。

 代わりにスマートフォンアプリの登録をお勧めされたものの、丁重にお断りした。いつもスマートフォンでの取引は初期設定に時間を食うのと、使わないときにカードのように財布から抜いて引き出しに入れることはできない。常にスマートフォン上に映り、ものによっては販売促進の通知が度々くる。時折、それらに参ってしまう時があるのだ。気持ちが不安定な時にそれで痛い目を見た記憶があるので、以来よほどのメリットがなければ入れないようにしている。
 何はともあれ、店員の女性にカバーをかけてもらい、二冊を輪ゴムでまとめてもらった。一切の無駄がないその動作に、仕事明けで溜まっていた鬱憤がいくらか軽くなった。彼女の白く長い手からそのまま購入した二冊を受け取った。

 その時、確かにじんとした暖かさがらりとした紙の本から滲み出た。電気のような小さな痺れは指の先にずっと残ったまま、鼻先まで広がる。放心したように私はレジ横の階段をよろよろと降り、一階の長い廊下をゆっくり見渡しながら新宿通りに出た。その時、私は不思議な体験をした。あれだけ仕事の疲れで重くなっていた身体が嘘のように軽いのだ。あれだけ暑かった真夏の新宿も、風が吹いているような心地で、不快にならない。

 代わりに、新宿の小さな路地裏の看板という看板―居酒屋や家電量販店、マッサージ店や広告募集のポスター…―ありとあらゆる記号から文字がはがれ落ち、いつのまにか真っ白な紙のようになっている道にまるで版画のように張り付いたのである。いやらしい喧騒はもはや消え失せた。私が今まで見てきた世界がまるきり変わってしまったような、いやむしろ変わってしまった世界がやっと戻ってきたかのような体験だった。見ているすべてのものが本になった!彼女から本を受け取った時、私は信じられないくらい多くの満足感と感動を貰ったのである!
 
 私はいつから本を買う喜びをなくしていたのだろう。あの小さな長方形の紙の束から広がる見たことない景色を、いつから私は感じることができないでいたのだろうか。この満足感を何で代用していた?そう掘り下げれば掘り下げるほど、私は愕然とした。「食」を満たすことで知識の欲求をごまかしていたことに気づいてしまった。思えば最近は本屋に行くのではなくコンビニに良く足が向いていた。自炊もそこそこに限定発売のアイスフレーバーやカップ麺に手を伸ばし、食べきれないほどの量を無理して食べ、流し込むようにアルコールを摂取する生活がずっと続いていた。私の軸や考えが不安定になるのは当然だった。自分を守るために引きこもりがちになり、新しいことをするにも理由をつけてためらっていた。

 本を読んだからといって私の性質は変わらない。しかしきっと、きっと本を手ずから選び、購入し、あの幸福な気分のまま家に帰り、コーヒーか何かを飲みながらページを一枚ずつめくる動作には、本の内容を追う以上のものがあると思う。私がこうして文章を書き留める欲求が生まれたように。小さな知的行為を重ねることが、これから出来るようなきがしている。

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