ゆっくりでいい。もっとゆっくりでいい

まずはこの曲を聴いてほしい。

[ゆっくり][棒歌ロイドオリジナル曲] もっとゆっくりでいいよ - akayaka


ジョークでも何でもなしに、俺はこの曲からたくさん学ぶ事があるな、というのを思う。

現在、退職し、内定が出て7月から働く予定だが、1ヶ月無職。
とにかくやることがない。
更には元気もない。
なんとしてでも早く元気にならなければ…
仕事をしていないこの間にできることがある…早くやらなければ…
ゆっくりなんてしてられない!

そういう意識を持っていた結果、精神が破滅した(詳細略)。

「人生、どうなってもいい」という考え方を最近自分は持つようになった。
何でかというと、結局人生って全部運命だと思ってるから。
どれだけ願っても突然大地震起きて運悪く…とかまで含めるともう知り得ないし防ぎようもない。

だから、「自分のあらゆる未来を受け入れられるようにならなければならない…」、と考え始めていた。
しかし、自分には無理だった。
すごく致命的なことを一つ挙げると、このままずっと元気になれなくてもそれならそれでもいい…みたいには思えなかった。
シンプルに、その域に至るには必要な悟りレベルが自分には足りなさすぎたんだと思う。

そこで考えを少し変えるようになった。
「何を願ってもいいが、ゆっくりでいい。」
成果や結果を得るまでの道のりを、すご~~~~く長く見る。
効率主義のすべてを捨てる。
結果のために立てた計画を捨てる。

あと…世間的に
「すぐに成果が出ないならそれは向いていないということ」とか、
「適性は早い段階でわかるもの。損切りをするのが良い」とか、
結構そういう言説がまかり通ってるのあるな、と思うけど、
俺はこれは全部嘘だと思う。

Courseraとラダーシリーズとの出会いによって英語が趣味になったが、中学生以来ずーっと嫌いですらあった。
ITエンジニアとして役に立てるようになったと言えるのは働き始めて5年目。
割とそんなもんだと思う。自分に限らず。

「しばらくやってるけど、なんだかあんまり上達しないぞ」と感じたのは、
言語処理系の勉強だろうか?4年ぐらいずっとやってるのに入門書を超えた事が出来なかったし、正直やめようかなと思ったが、

別にやめてもいいし、またその気になったら再開すればいいし、
いついつまでに結果を出すなんてこと特に考える必要も意味もないんだなあ、ということを今は思う。
むしろ、なんで誰かに結果や成果を出すわけでもないのにそんなことにこだわってたのか?意味不明ですらある。
機械学習の勉強もそれに近い悩みがあった。
なんで?マジでなんで?現代社会に毒され過ぎでは?

この記事すらゆっくり書こうという意識があんまできてない。今ぱっと書くのを中断してもいいし、書き上げるのは1週間後でも本来はいいのだ…。
ゆっくりする、その難しさ。なぜ我々はここまで先を急ぎすぎるのか?
そもそもなぜ記事の体裁を保ったきちんとした記事を毎回書かなければならないのか?

あらゆる謎の義務感に苛まれていたことに気付いた俺は、何も考えずYouTubeを起動し、「もっとゆっくりでいいよ」の再生ボタンを押したのであった……。

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