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結婚は幸せのうちに手を打つもの

このタイトルに書いてる言葉は
妹がこの間言っていた名言だ。

いや、本当にその通り過ぎて
タイトルに使わせていただいた。

結婚だけではなく、
いろいろなこともそうだけど
幸せなときほど、
感謝とか思いやりを
忘れてしまったりするよね。

でも、普段の何げない
「ありがとう」とか思いやりって
すごく大事なんだなって思った。

花も枯れてからでは遅いじゃん。
元気なうちに水を与えたり、
お世話する必要があって、
枯れてからやろうと思っても
元に戻らないこともある。

深く残る言葉って
やっぱりあるんだよね。

あーこれ言ってしまったら、
枯れちゃうよね、という言葉たち。
赦したとしても、忘れないこともある。

でもわたしは、いろんなことを経て、
「赦す」とはどういうことなのか、
わからなくなった。

人が人を赦す状態、
または赦せてない状態って
どんな状態?

だから、もうそういう基準で
考えないことにした。

なんとなくわたしは、
理解できちゃうと、
物事を受け入られるようになってきた。

自分が理解できないものって
なんとなく拒否したくなるけど
理解できるものは受け入れられる。
わたしにとって、赦し=理解みたいな感じ。

まぁ、人が自分に対してしてきたことを
そんなふうに受け入れられたらいいと
思うものの、なかなか毎回そのように
心から思えているわけではない。

同じように自分の言葉によって
人を傷つけることもあるんだなって
忘れないようにしたいと思って、
なるべく感謝の心を持っていたい。


とはいえ、傷つけることもあると思うが。
それは仕方ない。


まぁ、どうせいつか死ぬなら、
周りの人たちと幸せに生きたいなって感じ。

よく考えてみると、
目の前にいるすべての人が
今目の前にいる確率を考えたら、
とんでもない。

「ありがたい」という言葉は
「有り難い」と書くんだって。

だから本当は目の前にいることが
「有り難い」ことで、
その中でも深い縁を持つ人は
その縁でつながっているだけで
本当にすごいことで、
ありがとうってなる。

縁があるだけで、ありがとうなんだね。

そうなのに、
ついそれが当たり前になると
忘れてしまう。

近くにいる人ほど
ありがたみが薄まっていく。
いるのが当たり前だから。

でも実は1番近くにいる人って
すごい縁ある人じゃん?

だから1番「有り難い」だよね。
本当は1番感謝すべきかもしれない。

なのに、感謝するどころか、
人はもっともっと欲しがって
相手に期待して求めて
求めていたものを得られないから
勝手にがっかりするのだ。

以前、noteに書いた優しさの本質 
という記事でBUMPの曲で
「ひとりごと」という
歌詞を紹介しているんだけど、

この歌詞では、
優しさとは、人と人のあいだにある
「ひとりごと」であると言っているのだ。

つまり、自分が自己満足でやったり
気づかないうちに無意識にやったことを
相手が「優しさ」として受け取ったもの、
それが「優しさ」であると。

逆に渡そうとしちゃうと
それは自分のためになる。

君を笑わせたいんじゃなくて
笑わせたい「自分」がいる。
つまりそれは、自分の欲なんだ。

わたしは、いつもこの歌詞に
立ち返るようにしている。

やっぱり、いろんなことが
起きるんだけど、

「変えられないもの」より
「変えられるもの」に目を向けたほうが
人生は豊かな気がする。

この間も、職場で
セルフコントロールの研修があり、
その話が出てきたけど、

生理現象、過去、他人は変えられないけど
行動、未来、自分は変えられる。

この変えられないものを
変えようとしたり、
ここに執着してしまう理由は
一見、楽な道にみえるからだと思う。

変化って怖いし、
心地よいところから抜け出したくないし
そりゃ、自分を変えなくても
向こうが変わってくれるなら
そのほうがいいに決まってる!

でも結局、変わらないからw
やっぱり超遠回りなんだよね!

そして、結局「変わらない」という
結論が人生のいろんな出来事の中で
わたしたちは知ることになるんだ。

その執着度合いが
強ければ強いほど、
ショックが大きい。

アドラー心理学でも課題の分離で
言ってるよね。

他者は自分の期待を満たすためにいるわけではない。自分もまた他者の期待を満たすために
いるわけではない。

本当にそのとおり過ぎて。


でも、油断してしまうと、
他人とか変えられないものを
変えようとしている自分がいる。

かなり、昔と比べたらね、
この課題の分離が
できるようになってきたけど、
時々それを冷たいと思う1人もいて
悲しくなることもある。

人を喜ばせようとすること、
そして実際に喜んでもらうことって
とても素敵なことなんだけど、

それを勝手に期待して、
喜んでもらえなかったとか
期待通りの反応を得られなかったからって
それでその人にがっかりして
怒ったり、不機嫌になるのは
まるで1人芝居しているような感じ。

そしてその期待こそ
相手と自分を苦しませる。

結局、ここで1番不幸な人は
その人自身ってことになる。

いやー、昔の自分の行動を振り返ると、
なんて愚かな人間だったと心底思うw

今もいろいろあるけれど、
少しはマシになれてるといいなぁw

一見、タイトルと全く違う話になったが、
妹が言っていた言葉、
「結婚は幸せなうちに手を打つべき」は、
何にでも応用できる
この世界の真実だと思った。

わざわざどん底に落ちてまで
気づく必要ないw←

そして、それを早いうちから
悟っていることもそうだけど、
妹のすごいところは、
言動一致していることだ。

口でそれっぽいことを言うことも
このnoteに言葉を並べるのも簡単。

でもそこに行動が伴うのって
1番尊いことだなと思うのだ。

妹は来世がいらないぐらい
今は幸せと5年前ぐらいから言ってたけど
今はその意味わかる気がする。

幸せはすでにそこにあるもの。
そこに気づくかどうかなんだね。

やっぱり、わたしにはありきたりな
セミナーとか自己啓発の本そこまでいらない。
周りの人たちが歩く教科書だから。

楽しすぎる。

今日はここでおしまい。

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