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生き急ぐのはもうやめて、心に栄養を〜正倉院展とかき氷と○〜

行きつけの美容院の美容師さんから「なんでそんなに生き急ぐんですか?」とよくきかれいた。「だって、のんびりしていることができないし、いまの時間があるときにできることは やっておきたいと思うから。」と答えていた。

とりあえずの答えであって、常に何かに向かっていないと、多分不安だったのか。でも実際、今までは、そのときにできることをできるだけ濃度を高めてやって行き、それがその先で役に立つ、というサイクルがうまく回っていた。だからそれでいいと思っていた。

もちろん、うまくいかないこともあったけど、それを乗り越えてこそ、また自分のステージも上がる、そんな風に思って自分を鼓舞してきていた。

ところが、コロナの世界になって、環境が一変した。特に、国家間の往来が自由にできなくなったことで、考えていたことも白紙に帰する、そんな感じだ。それ以前に、未だ上海に戻れずにいるし、戻ったらあの徹底した2週間隔離が待っているかと思うと、かなり気が重い。家のドアを中から開けただけで警報がマンションの警備員のスマホに通達されて駆けつけられる、なんて、まるで囚人なみだもの...来年早々に飛行機を予約する予定だけれど、隔離を考えるとウキウキはしない...

コロナの世界で、人々の思いがあぶり出される、ということも起きてきた。それに伴い、人との別れもあり、ますます予定していたことが運ばなくなったりもした。もともと、予定通りにことは進まない、のが世の常と思っていたけど、今はその度合いが増している。そしてこの先のことが予測できない場面が多すぎる。

つまり「生き急いで、この先どこに行こうとしているの?」となる。しかも このコロナに関しては、人間は不可抗力だ。

考えていたプランがことごとくお預け、もしくは予測不可能になったから、じゃあ、投げ出すか、というわけにもいかない。複数のコミュニティに参加して、いろんな人の考えや、行動を見聞きしていく中で、ガッテン!と手を叩きたくなるようなアドバイスをもらった。

「今あるものを変更しようとするからかえって難しくなる。それなら、一から新しいものを作った方がスムーズで早い。もうやり方はわかっているんだから。」当たり前のことでも、一つのことに考えが集中していると、それに固執してしまう。でもその一言で気持ちが軽くなった。

なんとなく道が見えたところで、今は”心に栄養”と割り切っている。”今ここでしかできないこと”を楽しむ。そう、”楽しむ”!これを今まで自分に許してきていなかった、そう思う。

”イマココでしか出来ないこと”

例えば正倉院に行くこと。毎年全国から人が訪れるこの展示。いつかは行ってみたいな、と思っていた。今年は、期せずして、奈良市内に滞在しているし、感染予防から、当日券はなく、前売り券も時間で入場が区切られているのでゆったりと鑑賞できそう、と行ってきた。

こんなにいい保存状態で宝物が残っていること自体、やはり日本!混み合いもせず、ゆっくりと鑑賞できた。子供達も一緒に鑑賞したけれど、新鮮さを持って見たようだ。全部漢字で書かれた文書を見ながら「写経、一回やってみたい。受験終わったら行ってみたい!」と次女。だから次の”心に栄養”は薬師寺で写経になるかもしれない!?

今年の目玉の一つである”南倉 紫檀槽琵琶”の音色が会場で流れていた、なかなか粋な計らいだ。

奈良国立博物館敷地内の日本庭園

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古に想いを馳せつつ、帰りに立ち寄ったのは、我が家一押しのかき氷。今年は10件ほどかき氷の食べ歩きをした中で 一番のおすすめ!流石に、途中から寒くなったけれど・・・奈良は今や かき氷のホットスポットだ。

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”karaku"

視覚、聴覚、味覚、臭覚、そして帰り道、つぶらな瞳の鹿を撫でて触覚まで満たされ、”心に栄養”をたっぷり注げた一日だった。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

Have a nice day♬

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