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【前編】Karin が教育を学ぶわけ:原点を振り返る

お久しぶりです!

大忙しだった学期が無事終わり、夏休みの1/3が過ぎました。
大学生活も残り半年を切ってしまいました!(速い…)

さて、今回は私がなぜ教育に興味をもったのか、

自分のパッションの起源ともなっている経験や
その後自分の興味がどのような軌跡を辿ってきたのか

綴っていければいいなと思っています。


前編では主に前者の経験について、紹介できればと思います!


それでは、早速いきます!


モンテッソーリ小学校での経験

実は父の仕事の関係で、
年長~小学校4年生までシンガポールで過ごし、

現地のモンテッソーリ幼稚園に1年間通ったのち、
International Baccalaureate (IB) という教育を取り入れた小学校に
3年程通っていました。

小学校5年生が始まる4月に帰国が決まり、

そこで神奈川県横浜市にある
モンテッソーリ教育を取り入れた小学校に編入しました。


幼稚園からモンテッソーリ教育を経験し、
IB教育も自分に合っていると感じていたため、

両親がモンテッソーリを取り入れた学校がないか探していたところ
(IBはインターナショナルスクールがほとんどでとても支払える学費ではなかったので…)、
この小学校を見つけてくれました。

日本ではモンテッソーリ教育を小学校で取り入れている学校はほとんどなく、
非常に珍しいケースだったと思います。


この学校では、
午前中は1~3年生と4~6年生に分かれ、
縦割りの教室でモンテッソーリの教具を用いた勉強
(モンテッソーリでは「お仕事」と呼びます)を行い、

午後には文科省の教科書や教育指導要領に沿って、
科目・学年ごとにわかれ、授業が行われる

といった形でカリキュラムが組まれていました。


私が編入した際は、まだ開校してから2年しか経っておらず、
5年生(私が編入した学年)が当時の最高学年で、
一学年5~10人ほど、全校でも40人ほどの規模でした。


いきなりはじまった受験指導

上記にもあるように、
私が編入した際はまだ学校としても卒業生がおらず、

様々なことを試行錯誤している段階でした。


そんな中、
モンテッソーリ教育を受ける中で

子供たちが培った知識や、強い好奇心を
中学へ進んでからも伸ばしていける環境へ行ってほしい

という学校の思いがあり、

そのように選択肢を広げるためには、
今の日本の教育システムでは「受験」という形を取ることが
最も有力であるのかもしれない

という考えから、

私が入学して間もなく

受験指導をしてくれる先生が学校へ週2日来校し、
午後の指導要領に沿った授業を受ける代わりに
受験対策の授業を受ける、といった形が取られることになりました。

通常だったら、小学校の授業が終わってから、
夜ごはんのお弁当をもって学習塾に行くのを

せめて午後の時間を受験指導にあてることで、
夜遅くまで座って勉強しなくてもよいように、

という先生方の思いもあったようです。

(※ 経緯に関してはあくまで当時の私の記憶をもとにしているので、事実とは異なる可能性があります。)


私は5~10歳まで日本の教育システムから離れ育っていたため、
小学校5年生に上がったタイミングでは、

小学校3年生の漢字はろくろく読み書きできず、
九九も覚えていない(割り算や分数計算なんてもってのほか)
都道府県もほとんど知らない(というか名前も読めない)
理科でよく出てくる「めだか」も何か知らない

といった状態だったため、
いきなり中学レベルの勉強をする受験勉強に身を置くことになり、
本当に大変だったことを、今でも覚えています。


はじまった頃はあまりにも大変で辛かったので(宿題も何時間もかけてやっと1問、2問できるといった状態でした)、

学校の先生や母からは
「かりんは、受験対策の授業は受けなくてもいいんだよ」
といったことを提案されたりもしたのですが、

何しろ5人しかいない学年で、
編入したばかりの学校で、私だけみんなと違うことをしたくない、
という思いもあり、

辛くても、絶対にやめない、ということは自分で決めて、
必死に追いつこうとがむしゃらに頑張っていました。


受験勉強とモンテッソーリの共存に戸惑う

受験が終わるまでの2年間は、
わからないことがあるのがデフォルトで
大変だったのはあまり変わらなかったのですが
(小学校の先生方には本当にお世話になりましたし、モンテッソーリの時間に個別でフォローアップなどもたくさんしていただき、
今でも本当に感謝しています。)

だんだん慣れてくると、
それ以上に戸惑うことがありました。


それが、
午前中に受けるモンテッソーリ教育と
午後に受ける受験指導の

教育の形やそこから得る感覚の
大きな違いとどう向き合うか


ということでした。


午前中は、

  • 自分で何に取り組むか考えて、行動する

  • 自分の興味関心に沿った勉強をする

  • 自分で勉強する場所を選ぶ

  • 自分のペースで、自分が設定した計画に基づいて学びを進めていく

  • 答えのない(あるいは複数ある)問いに対する自分なりの答えを見つけていく

といった形の学びが行われるのに対し、

午後になると、

  • みんな机に座って勉強する

  • 指定された問題を制限時間内に解く

  • 大人によって定められた勉強計画に沿って勉強する

  • 決まった答えがある問題を解く

といった学びが行われ、

まだ客観的に自分が置かれている状況を上手く把握できなくとも、

じわじわと自分の心から生き生きとした魂が抜け出していくような

そんな感覚がありました。


当時まわりにいた友達も
それまでだったら絶対にしなかったようなことをするようになったり
(友達のペンを盗んで知らないふりをする、先生の言うことに対して強く反発したり…)

今振り返ると、
モンテッソーリ教育(午前中の時間だけでなく、学校で起こる様々な面)で

満たされていた知的好奇心や探究心、
自らの学びへの主導権を得ている感覚などが

感じられなくなってしまったり、
薄れてしまったことが

子供たちが自覚していた以上にストレスとなって積み重なっていたのかな、
と思います。


1日を通して、半日ずつ
学びに関して真逆ともいえるメッセージを受け取っていたら
そりゃ子供は混乱しますよね


受験勉強に対して生まれた強い反発心

そんな卒業までの2年間で、

とにかく勉強量がすごかった、というのもあるとは思うのですが、

それ以上に上記にもあるように
「自分の心がどんどん干乾びていく」

そんな感覚を得る受験勉強に対して、
非常に強い反発心や対抗心を抱くようになっていました。

今振り返れば、この経験がなければ今の自分はなかったな、
とも思いますし、

この時期を一緒に乗り越えた当時の同級生や、
受験指導をしてくださった先生を含め、
卒業してから10年が経つ今でも会いに行くほど本当に素敵な先生方との出会いがあったので、

この経験をしたことに対する後悔は一切ありませんが、


「こんな学びから抜け出したい!」という思いをばねに
必死の思いで入学した中学に進学してからも
とにかくひたすら暗記を強いられる勉強などに対しては
強い反発心がありました。


大学受験を機にあらわになった教育への思い

そんなで高校3年生に差し掛かり、

海外大学への進学を目指す中で

自分は大学に行って何を学びたいのか
何を達成するために海外大学へ行くのか
大学を経て自分は将来何をしたいのか

といったことを考える中で、

自分のコアとなっているものって何なんだろう

ということをとことん突き詰めていきました。


はじめは「人」と「文化」の交わり、
特に、その人の考え方や物事の捉え方ってどう形成されるんだろう、
といったぼんやりとした興味関心から始まり、

そこから、いろいろな回り道をして

自分が一番「どうにかしたい」「解決したい」と感じる
一番エネルギーが湧いてくる分野

自分がモンテッソーリ小学校で経験したこと、
中学に進んでからもずっともやもやと感じていた嫌悪感、
すなわち、受験勉強や受験システムなのではないか

ということに気づきました。


教育が一人の人間にもたらす影響って、
自分が思っていた以上に大きくて
計り知れないものなのかもしれない

だからこそ、
私が小学校で経験したような受験勉強を経験しなければならない
日本の教育システムを変えたい

という思いにいきつくことができました。



次回:実際に大学に進んで、教育に対する思いってどう変わった?

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

今回はずっと note に残しておきたかった
自分の原点である経験について紹介しました。

小学校5年生・10歳というとても早い段階で
(といっても、10歳ってもういろーんなことわかってて、大人ですよね)
13年後の自分も、きっとその先の自分をも

導いていく経験ができたのは
少し不思議な感覚もあり、

自分はこういう人生を送るために生まれてきたのかな、
といった運命のようなものまで感じたりしますが(笑)

教育への思いが続く限り、
今まで通り突き進んでいきたいと思っています。


次回は、上記のような思いをもって進学した大学で
実際に教育を学び、
教育に対する考え方や自分の目標などが
どう変化してきたか、

紹介できたらと思います。

興味があれば、是非覗きにきてくださいね!


※ 今回紹介した、小学校での進路指導に関してやそれに至った経緯、私が経験したことは、あくまで私の小学校当時の記憶を振り返ったことをもとに主観的に感じたことを描いています。当時の様子や現在の様子も含め、事実とは異なる可能性がありますので、ご了承下さい。


後編はこちら:


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