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御伽怪談第四集・第八話「盆に帰る祖霊」

  一

 ある日、市兵衛が、火鉢にぬくまりながらアクビをして申した。
「死んでのち、盆に、その霊魂が帰ると聞くが、しかし、見たこともなければその実否じっぴは分らんのぉ」
 友人の太郎左は、茶をすすりながら答えた。吐く息が白かった。
「あぁ、左様でござる」
 冬の終わりの昼下がりは長閑のどかであった。三左衛門は怖い話が好きではなかった。だからと申して友の話をさえぎるような野暮は言わない。
 寛政(1827)の頃のことである。この浅草橋、備中びっちゅう・松山候の藩邸に、親しく付き合う三人のサムライが座っていた。
 各々、市兵衛・太朗左・三左衛門と申したが、苗字は差し障りのあることもあり明らかにせずとも良いであろう。
 太郎左が笑って申した。
「噂ばかりで実もない話にござる」
 市兵衛は少し思案して、
「ならば、三人の内、誰かが先に死んだ時は、残るふたりは、必ず新盆にいぼんに霊前をお参りに行こう」
 ふたりは驚いた。
「えっ?」
 市兵衛は話を続けた。
「もし、霊が、帰って来たならば、そのしるしに不思議なことを見せてくれれば良いのだし」
 死後の約束など、縁起でもないことだ。
「どうした、三左衛門。怖いのか?」
「いや、拙者は別に……」
 三左衛門はそのあとゴニョゴニョと申したが、ふたりには聞こえなかった。
「左様か、では頼んだぞ」
 しかたなく固い約束を交わして、その日は済んだと言う。明日は節分であった。春から縁起の悪い話であった。
 そののちのことである。市兵衛が何年かして流行り病でポックリと死んでしまった。それもやはり春先のことであった。市兵衛は、かの約束を言い出した者であり、死んでからと言って約束を破る訳にはゆかないであろう。
 三左衛門は、そのことなど、すっかり忘れていた。ただ、親しい者の死に直面し、気が動転していたのである。
 通夜は、しめやかに行われた。備中あたりでは、通夜を〈夜伽よとぎ〉と呼ぶ。その夜伽の中で、涙をこらえた太郎左が、三左衛門に申した。
「市兵衛は約束を叶えるでごさろうか?」
「はて、何でござった?」
 首をかしげる三左衛門に太郎左が申した。
「ほら、何年か前に約束したではないか、誰ぞが死んだら、新盆に不思議を見せると……」
「あっ……」
 三左衛門はそう叫んだまま二の句が継げなかった。通夜だけでも怖ろしい出来事だとと申すのに、新盆に帰って来る……幼い頃からの友人でもそれだけは勘弁して欲しかった。手足の震えるのを抑えて三左衛門が申した。
「あ、あんなのは、無理でござろう」
「いやいや、やつめは帰って来ると申したぞ」
 蛍が飛んでほのかに引く尾が人魂ひとだまのように見えた。遠く寺の鐘が響く。その時、雨でもないのにパラパラと、米粒でも当たるかのような音が聞こえた。
「いかがいたした」
「はて、今のは何でござるか?」
「何とは?」
「米粒の降るような……」
「聞こえなかったが」
 首を傾げる太郎左に三左衛門はビクついた。だが他の者には何のことだか分からなかった。
 翌日の葬儀は退屈であった。長い長い読経の末に立飯たちはがあった。これは、出棺の前に最後の善を囲む習わしである。

  ニ

 立飯たちはを終えると、市兵衛の使っていた茶碗を喪主が割って別れを告げた。割れる茶碗の音を聞き僧侶がつぶやいた。
「これで本当にあの世の者に……」
 皆、涙してため息をついた。その時、市兵衛の霊は自分の葬式を眺めていた。——拙者はここにおってござる。
 何度か呟いたがその声は誰にも届かなかった。仕方なく黙って葬儀の参列に加わって友人知人が悲しむのを見ていた。市兵衛は死んだことを信じられなかった。
——拙者は生きておるぞ。
 そんな言葉ばかりが心の中をめぐった。だが、どうすることも出来ず、市兵衛は放浪していた。することもなかった。何日か近くを放浪していると、見たこともない不思議な人物が市兵衛の前に現れた。
「そなたはすでに人の世の者ではない」
 不思議な人物は分かりきったことを言った。昔の絵にあるような大陸の異人のような服装で、豊かなひげを蓄えている。
 市兵衛が首をかしげて答えた。
「どなたのかたでござりまするや?」
 すると厳かな声が響いた。
秦広王しんこうおうと申すあの世に属する者なるぞ」
 秦広王は初七日近くに現れる地獄の十王である。僧侶ではない市兵衛は、それを知らなかった。
 秦広王が申した。
「そなたはこれよりあの世にまいり、閻魔王の公正なる裁きを受けるものであるぞ」
 市兵衛は平伏して申した。
「地獄へ? 盆までこの世にいとぅござる」
 秦広王は首を左右に振った。
「それは叶わぬこと」
「なれども、ともがらとの生前の約束を果たしとぅござる」
 友人たちとの約束の詳細を告げると、秦広王が申した。
「安心いたせ、新盆にいぼんには帰ることが許されるぞ」
 ふぅとため息をついた気分の市兵衛は、まばたきをする一瞬の間に、賽の河原に到着した。すでに秦広王はいなかった。
 市兵衛の目の前には、灰色の河原が広がっていた。空は曇っていた。左右を見ると、どこまでも長く同じ景色が続いていた。薄暗かった。だが、近くにあるすべてのものが見渡せた。河原には幼い子供たちかボツボツといた。石を積んでは鬼に崩される姿を見て、市兵衛は思った。
——これが話に聞く賽の河原でござるか?
 哀れなる幼子たちを見て涙が出る気がした。しかし、実際、涙は出ていなかった。
 河原には市兵衛と同じような大人が歩いていた。それも何人もである。河原に生える大きな枯れ木のようなものを目指して、皆が歩いていた。走る者はなかった。ゆらゆらと不安定そうに、あるいは漂うように、歩みを進ませているだけである。
 市兵衛は人々の服装を見て、自分もそのような姿をしていると思った。夢とも現実うつつともつかない意識で、同じ方向へ歩く人々を眺めていた。彼らの出立ちは、左前の白い着物で、額には三角の紙烏帽子。これには〈卍〉を書いてあり、首から頭陀袋ずだぶくろを下げ、手には手甲てっこう。足には脚絆きゃはん苧殻おがらの杖をついたその姿は、いかにも死人しびとでございと申す立ち姿であった。
 市兵衛の足は、不思議や不思議、自然と枯れ木に向かっていた。枯れ木は衣領樹えりょうじゅと呼ばれる木であった。
 衣領樹に着くと、そこには老婆と老翁ろうおうが待っていた。このふたりは奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおうと呼ばれていた。
 奪衣婆は、三途の川のほとりにいて、亡者の着物を剥ぎ取ると言う。

  三

 また、懸衣翁けんえおう衣領樹えりょうじゅの木に亡者の着物を掛けて、罪の重さを測ると言う。その罪の重さで三途の川の渡り方が変わるのである。
 三途の川のほとりに太鼓橋が見える。大きく赤いこの橋は美しかった。罪の軽い亡者は橋を渡り地獄の入り口に逝く。
 賽の河原の衣領樹近くには浅瀬があった。普通の亡者はここを渡る。衣領樹の川下には深みがあった。罪の重い亡者はここを流れながら渡ることになる。
 市兵衛は衣領樹に着いて木を見上げた。
 その時、奪衣婆が着物に手をかけ申した。
「ささ、はよう着物を脱ぎやれ」
 市兵衛は驚いたが、すでに脱がされて、ふんどしひとつになっていた。寒くはなかった。奪衣婆は脱がした着物を近くの懸衣翁に手渡した。すると、翁は、
「よいしょ」
 と掛け声をかけながら着物を木にかけた。
 衣領樹の枝はさやさやと揺れた。その音は、何やら清々しかった。市兵衛が眺めていると、懸衣翁が枝から着物を取り、奪衣婆に渡した。
 奪衣婆は市兵衛に向かって、
「何じゃ、珍しきことかな。ほとんど罪もない亡者だ」
 と、つまらなそうに申して、着物を市兵衛に渡した。
 そして着物を着る市兵衛に対して、
「ほれ、そこに太鼓橋が見えるじゃろう」
「えっ?」
「あれで向こう岸へ渡れ」
 市兵衛には太鼓橋など見えなかったが、すぐに目の前に現れた。市兵衛が目を丸くして橋を眺めていると、近づいてきた懸衣翁が申した。
「珍しいのぉ。太鼓橋が見えるんかいな?」
「はぁ、見えまするが……」
「それは良いことじゃ。普通は渡し舟しか見えんからのぉ」
「舟だけでごさるか?」
「おぉ、舟か橋のいずれかじゃ。三途の川の渡し賃と申すやろう」
 市兵衛は着物を着る時に落としたであろう六文銭を足元に見つけ、
「おぉ、ここにござったか」
 と思わず声を上げた。
 懸衣翁は笑って申した。
「橋を渡る亡者からは銭を取らぬ規則じゃ。良いから、ささ、橋を渡り給え」
 市兵衛は、六文銭を懐にしまうと太鼓橋を渡りはじめた。
 素足で太鼓橋を歩くと心地良い音が響いた。橋は長かった。どこまでも登りを歩き続け、やがて降りになった頃、すぐ下を眺めると、舟に何人もの亡者が詰まって乗っていた。ゆらりゆらりと舟は動きながら川を渡っていた。
 その近くでは、たくさんの亡者が川を歩いて渡っていた。遠く川下を見ると、流されている亡者たちが見えた。それより先は遠く暗くて見えなかった。空は曇って渦巻いていた。黒い白い雲が混じり、怖ろしげな雰囲気を醸し出していた。
 橋を渡る亡者は他にはいなかった。市兵衛、ただひとりである。渡りきると、二匹の鬼の獄卒が市兵衛を待っていた。
 鬼はドンと金棒で地面を叩いて申した。
「珍しきかな。橋を渡る亡者であるか? こちらに来ませい」
 鬼の姿は、まったく絵に見るようなものであった。あまりに怖ろしい表情をしていたので、市兵衛は震え何度も首を傾げた。
——ここが地獄と言うものか? だが、なぜ、拙者は地獄に来たのだ?
 鬼が市兵衛のことをさっして申した。
「すべての亡者は、死後、地獄庁に赴いて、地獄、極楽の行き先を裁かれるのじゃ」

  四

 やがて歩いていると〈閻魔庁〉と書かれた大きな建物が見えた。建物に入ると近くをたくさんの亡者が歩いていた。腰まで汚れた亡者の一団が見えた。あれは川を歩いて渡った亡者だろう。そして、全身汚れた亡者の一団は川を流れて渡った亡者と思われた。市兵衛は長い長い列に並んでいた。閻魔大王の前に行くのは、まだまだ先のことだろう。
 さて、市兵衛が亡くなってからと言うもの、残されたふたり、太朗左と三左衛門は悲しみに暮れながら新盆を待っていた。新盆が近付くにつれ、戯言たわごとでしかないと思っていた話が、現実味を帯びてきた。
 三左衛門は、毎晩、毎晩、
——市兵衛が帰って来たら、どうしよう。
 こんなことばかり悩んで眠れない夜を過ごしていた。

 七月に入った。三左衛門は毎日怖すぎて、ある日、太郎左に会った時、ついサムライ言葉を忘れてしまった。
「ほんまに、霊界なんぞあって、そこから帰ってよるーやろか?」
 太郎左は、ふいに備中弁で話しかけられたため、そのまま答えを返した。
市兵衛いちべは、きっとらーっとたで……」
 備中では、六角形の盆灯籠ぼんとうろうを飾り、苧殻おがらに火をつけて迎え火をする。もちろん、祖霊を迎えるためである。
 盆飾りは豪華であった。曼荼羅の描かれた本尊の掛け軸前に、三段になった雛壇ひなだんを置き、さらに、きらびやかな打敷うちしきを掛けていた。壇の上には、様々な仏具が置かれ、手前の経机に打鳴りんと、線香立が置かれていた。蝋燭ろうそくを立てる台は二本しかなかったが、座敷のあちらこちらに、たくさんの蝋燭立てを置いてお参りすることとなった。
 そんな時、市兵衛の霊体が現れた。しかし、誰にも見えなかった。新盆にいぼんには祖先の霊が帰ってくる。特に市兵衛のような死後の役職を持たない平凡な霊は、盆に帰ることが許されていた。
 新盆の夜中のことである。満月の頃合いだが、雨のシトシト降る陰気な夜であった。
 太郎左すら怖ろしく思って、灯明とうみょうをたくさん灯すと、座敷は昼間のような明るさとなった。やがて、ふたりとも両手を合わせて打鳴りんを鳴らし、静かに目を閉じた。たださえ蒸し暑い夏の夜に、顔が蝋燭でほてっていた。線香の煙が、鼻にまとわりついた。
 お参りする内、風もないのに灯明とうみょうが、端からシュと音を立てて消えはじめ、やがて暗闇となった。目の錯覚か、ふたりは青白い人魂のようなものを見たような気がして目をこすった。ゾッとして次のに逃げ込むと、今、暗闇になった部屋から明かりがれていた。首を傾げながら部屋の様子を見ると、消えた筈の灯明すべてに火がついて、元のような明るさに戻っていたのである。暗いままではないことが返って不気味であった。
「まったく市兵衛の霊が戻って来て、何かを見せたとしか思えなかった」
 と、後になって、ふたりが語っていた。
 蝋燭が消えるくらいのことは自然にあるだろう。しかし、普通の状態では消えた火はついたりはしない。一斉に消え、また、一斉に戻ったとしたら、もう錯覚か、あるいは現実にあったとしか思いようもない。錯覚だったとしても、ふたりで同時に見る錯覚は霊現象が引き起こすものである。怪談は暑い時期に多い。夏のものと思われているが、それは誤解である。有名な四谷怪談の原作は、誰もいない雪の中に、ポツリポツリと血の足跡がつく場面がある。冬でも怖い話は怖いものである。『奇談きたん雑史ぞうし』より。〈了〉

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【お知らせ】
 いつもありがとうございます。御伽怪談の通常版は、今回で、ひとまず休載し、次回からは短編集を配信します。御伽怪談短編集は通常版の半分くらいの長さの作品です。通常版はテーマが揃っていて、しかも年代順にまとめていましたが、短編集はテーマも年代もバラバラです。では、また、宜しくお願いいたします。

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