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不幸のすべて・第二十五話「恐れの欲と不幸の兆候」

 欲望は悪いものではありません。ありすぎること、つまりは貪欲が罪を作るのです。
 前回のブログの最後の部分に、
「では、どうしてこのような欲望があるのでしょう? それはこの世に良いことをしたい、そしてみんなから愛されたいと言う想いがこの欲望の根底にあるからです」
 と書きました。
 もちろん、その根底にある欲望は、誰にでもあります。それは、あたかも自然の法則のように、または人の心の基本的な要素のように、生まれつき備わっているものです。それには濃さのような、人によっての強さはありますが、多かれ少なかれ基本性能として装備されています。
 それは、様々な言葉で表されますが、最も簡単に説明してくれるのは〈八徳はっとく〉です。
 八徳とは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八種類の徳のことです。昔、NHKの人形劇『南総里見八犬伝』で有名になったのを覚えていますか?
 八徳の思想は、中国から伝わった儒教思想を根底に持ちます。日本に残り、独自な発達をとげました。儒教の発祥の地とされる中国には、今は、ほとんど残っていません。また、儒教をわが国に伝えた筈の現代韓国の儒教も、今ではわが国の儒教とは別なものになっています。
 わが国では、それは儒教としてではなく、古代の神道その他の思想と結びつき、道徳に変化させました。ただしこれは学校で習う〈道徳〉とは別なものです。
 道徳は、言わば我々日本人の心を構成する基本的な要素であり、それ自体がこの世を動かす自然の法則のような形を持ちます。
 この八つの道徳である八徳を失った心を〈忘八ぼうはち〉と呼びます。
 江戸時代、吉原の女郎街で働く男衆、貧しい女性を苦海に沈めるので忘八と呼ばれていました。

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