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播磨陰陽師の独り言・第二百四十九話「憧れのサンフランシスコ」

 はじめて海外旅行したのはサンフランシスコ。ゲームの開発をしていた頃に出張で行きました。憧れのサンフランシスコでした。子供の頃から外国ドラマばかりを見ていたので、サンフランシスコに行きたかったのです。あの街へ行ったのは、もうずいぶんと前のことになります。
 ゴールデンゲートブリッジへ辿りついて、素敵な景色を眺めていたら、耳に聞こえるのは関西弁ばかり。やれやれと思うやら苦笑するやら。
——どこに行っても関西人はいるものだ。
 と、その時に思いました。
 夜になってホテルの部屋へ帰り、テレビをつけると、まさしく『憧れのサンフランシスコ』の歌が流れていました。あの頃はテレビで映画『ダイハード』が上映されていました。テレビをつけるたびに『ダイハード』の途中が流れるので、五回くらい中途半端に見てしまいました。
 昼間は仕事をしてましたが、時々、現地のスタッフに観光にも連れて行ってもらいました。あの時、不思議に思ったのはコーラの量の多さです。どこへ行っても1リットルくらいの大きなコップに黒い液体。しかも、半透明のリングのようなもので満たされていました。
——あれはなに?
 と思って見ていると、何とコカコーラでした。リングと見えたのは解けた氷で、あまりに大量のコーラに、にわかに理解出来なかったのです。
 パンケーキも大きすぎて、しかもハチミツの中に浮かんでいたので、何だか分かりませんでした。
 はじめてタイ米を食べたのもこの時でした。カレーライスを食べたのですが、お米がタイ米でした。正直なところ、アメリカはどこで何を食べても美味しくありませんでした。味が濃すぎて胸焼けがしました。そんな物を食べるたびに、
——日本に生まれて良かったなぁ。
 と思ったものでありました。

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