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御伽怪談短編集・第三話「飢えた疫病神」

 第三話「飢えた疫病神」

 嘉永かえい元年(1848年)の夏から秋の頃、疫病が流行した。その頃、江戸・浅草あたりに住む老女・まつ家の井子いこ様が、家の近くで物もらい風の女に声をかけられたことがあった。外出の途中であったため、お供の女中ふたりと連れだっていた。
 女中のお名香なかは、井子様のそでを引いて、
「かような見窄らしき女など、相手にいたしまするな」
 と怪訝な顔をした。
 今ひとりの女中も、お名香の言葉に頷いていた。しかし、井子様は、
「何かお困りのことでもござりましたかや?」
 と優しく返答をしたのだった。
 その女は、
「私事にござりまするが……」
 と丁寧に挨拶してから、涙を貯めて力なげに申した。
「この、三、四日、何も食べておらず、飢えておりまする。何とも願い兼ねますが、どうか一杯のご飯だけでもいただけませぬか?」
 見窄らしい姿に反して言葉は意外にキチンとしていた。
 井子様は、突然のことに驚いたが、飢えの苦しみには同情していたそうである。と言うのは、井子様にも、かつて飢えた経験があったからである。若い頃、何度か飢饉を経験していた。
 井子様は、
「それはお気の毒なことでござりまする」
 と言ったが、お名香が、
「井子様、今はおり悪るく、お屋敷には、ちょうど炊いたご飯がございません」
 と告げるのであった。
 女は絶望したかのような顔をした。さらに空腹に耐えかねる様子であったと言う。
 ここで井子様は少し考えた。その時、ふと、家に蓄えていた食べ物で、すぐに作れる物があることを思い出し、
「しかしながら、蕎麦の貯えならあるであろう。それで良ければ、すぐに作ってさしあげましょう」
 と家に招いた。屋敷の裏口から台所にまわると、
「蕎麦粥を……」
 と、井子様が申された。
 しかし、お名香は困った顔をした。
「かような粗末な食べ物など、作ったことはありませぬ」
 お名香たちには飢饉の経験がなかったのである。蕎麦粥は貧しい庶民の食べ物であり、武家に仕えるお女中たちは作りたがらなかった。
 井子様は少し呆れて、
「仕方のないことだねえ。お前たちはまだ若いから知らぬだろうが、飢えた時にはこれが一番だよ」
 と、手際良く蕎麦粥をこしらえはじめた。
 松家は江戸住まいとは言え、元々上方かみがたの出であった。上方と言えば出汁だし文化。井子様の料理も、美味しい上方風が染み付いていた。
 井子様は手際良くたすきを掛けて、蕎麦の実を洗いはじめた。蕎麦の実はその大きさ故、目の細かい笊がいる。洗い終えると、そのまま土鍋に入れてふたをして沸騰させた。沸騰したらまた煮込み、ここで味付けにネギと出汁と塩を入れると、香りが台所に広がった。
 お名香は鼻をクンクンさせ、
「なにこれ、良い香りだわ」
 と呟いた。
 それから少しして、井子様が青ネギを刻み、蕎麦粥を腕にもってネギを加えた。
 少し味見をした井子様は、
「うん、これこれ」
 と思わず声をあげ、口元を抑えた。
 女は目の前に出された蕎麦粥を見て大いに喜んだ。すぐに蕎麦粥を食べた。
 井子様が、
「お前たちも、味見をごらん」
 と、進める蕎麦粥に、恐る恐る口をつけたお名香たちは、思わず、
「美味しい」
 と呟いてしまい、苦笑いした。ら 飢えた者に、いきなり炊いた飯など与えてはならない。うまく消化出来ずに、かえって体調を悪くすることがあると言う。その点、蕎麦粥は体調も良くなり、腹も満たされる。
 女はまだ不足していたのか、おかわりをした。目に涙をいっぱい浮かべ、
「旨い、旨い」
 と繰り返した。ほのかにかおる塩と出汁の味が、また、最高に旨かった。柔らかく煮た蕎麦粥は、はらわたに染み渡った。
 やがて女は食べ終わると、気力が充満したように晴れやかな顔になった。井子様は、そんな姿を見て嬉しく思った。
 女は丁寧に礼を言って屋敷を出たが、ふと、振り返り、
「さて、何かお礼を致すべきとは存じますれども、差し当って何もございません。お礼の代わりにと言っては何ですが、われらの身分をお伝えしたいと存じます」
 と、不思議なことを言い出すのであった。
 そして、
「実は、われらは疫病神でございます。もし、あなたさまが流行り病を煩った時は、さっそく、泥鰌どじょうを食してください。すみやかに本復いたすでしょう」
 と告げると、その場でスッと消えてしまった。
「えっ?」
 お名香たちが目を丸くして驚くなか、井子様は落ち着いていた。
 その時、息子が役所から帰ってきて、台所に顔を出した。
「おっ蕎麦粥ですか、懐かしいですなぁ。幼き頃は良く母上が……」
 井子様は余った蕎麦粥を息子に出して、その日の出来事を語るのであった。

 有名な和漢方書の『本草綱目啓蒙(1803年発刊)』に、
——泥鰌は体を暖め、生気を増し、酒をさまし、痔を治し、さらに強精あり。
 と書かれている。体を暖めることと生気を増すことが流行り病に良いようである。
 さて、疫病神が人間の世界に現れると……このような貧しい姿で誰かに助けを求めることが知られている。助けた者は冨貴になり、助けなかった者は取り憑かれると言う。普段から徳を積んで生きていれば、疫病神も冨貴をくれると言うことだろう。『宮川舎漫筆』より。〈了〉

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