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播磨陰陽師の独り言・第二百七十六話「ハリマオからの手紙」

 妻の伯父は陸軍中野学校の卒業生で、義父の兄にあたります。中野学校とは今の中野区にあった陸軍のスパイ養成所のことです。ウキペディアによると、

——陸軍中野学校は、諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の軍学校で情報機関。かつての所在地は東京都中野区中野4丁目付近で、校名の中野は地名に由来する。偽装用の通称号は東部第33部隊。

 とのこと。中野学校は成績が優秀なだけでは入れません。先祖まで調べて信用出来る人材で、さらに身体的な能力も優れていた者だけが選ばれたのです。
 最初にこの事実を知ったのは、妻の実家へ帰った時です。本箱に陸軍中野学校二股文校の本を見つけたのです。不思議に思って義父さんに、
「この本は?」
 と尋ねると、
「あぁ、兄貴の卒業した学校の本だよ」
 と言われました。
「読んでも良いですか?」
「あぁ、良いよ」
 と言うことで中を開いてみると、いきなり、
——坊よ、東南アジアでハリマオの名が聞こえたら、俺のことだと思ってくれ。
 と伯父さんに宛てたハリマオからの手紙が目に入りました。
「おぉ、これは……」
 と思わず唸ってしまいました。そして、ペラペラとページをめくっていると、妻の祖母と叔母の若い頃の写真まであり、そこには〈慰問に来られた家族〉と書かれていました。
 ハリマオ……懐かしですね。昔、テレビでドラマがありした。と言っても、なにぶん昔のことなので、見た人も少ないと思います。映画もありました。
 ハリマオについてウキペディアで調べると、

——谷豊(たにゆたか、1911年11月6日 - 1942年3月17日)は、昭和初期にマレー半島で活動した盗賊。福岡県筑紫郡曰佐村五十川出身で、イギリス領マレーに渡った後に盗賊となり〈ハリマオ〉として一躍知られる存在となった。その後、日本陸軍の諜報員となって活動した。

 とありますが、実は伯父の友人は彼のことではありません。ハリマオは陸軍のコードネームだったので、何人かが同時に活躍していたのです。そのことはあまり知られていません。言うならば、ハリマオ部隊がひとりの人間のフリをして暗躍していたのです。だから神出鬼没だった訳です。
 さて、伯父さんは二股校の出身でした。
 二股校についてウキペディアで調べてみると、

——1944年(昭和19年)8月、静岡県二俣町(現在の静岡県浜松市天竜区)に遊撃戦(ゲリラ戦)の要員養成を主たる目的として陸軍中野学校二俣分校が設立された。1974年(昭和49年)、ルバング島から帰国した小野田寛郎や、インドシナ戦争中にベトミンのクァンガイ陸軍士官学校教官を務めた谷本喜久男、現在では数少ない生き証人井登慧が同校の卒業生であった。

 とあります。
 ルバング島から帰国した小野田さんは、叔父さんの友人だったため、迎えに行ったそうです。小野田さんは中野学校の友人のことしか信じなかったので、日本刀を携えて、迎えに行きました。その日本刀を制作したのも私の知人の刀鍛冶の職人さんです。
 この伯父さんのことは、いつか詳しく調べて小説に書いてみたいです。

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