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photochemie
ドイツ語で「がんばれ」の日記
「応援しているよ」「がんばれ」と友人にメッセージで送ろうと思った。
そういえばその友人はドイツ語を勉強中だときいたから、ドイツ語で送ってみようと思い、Googleで検索すると、「ドイツ語にはがんばれにあたる語はない」という言葉ばかりがヒットする。
幸あれ!成功を祈るよ!のような類の「応援文句」はあるものの、「がんばれ」そのものはない という衝撃
日本語を母国語とし、中国語や英語を勉強してきた自分としては「がんばれ」が翻訳できることが当たり前だった。
つまりどの言語にも「がんばれ」は存在すると思っていた。
言葉が社会や文化と切り離せないものであることを改めて認識した。
最近よく「がんばれ」という言葉への抵抗心みたいなものが話題になる。
「がんばっている人に頑張れって、言っていいものなのか…」
「がんばっているのはわかるけど、頑張れ応援しているよって伝えたいけど、頑張れっていると申し訳ない気がする」
被災地の復興に携わった現地に住んでいないボランティアの人たちの発言なんかが分かりやすいのではないだろうか。
そんなときに「がんばれ」に代わる言葉。
それがドイツ語にはたくさん眠っているような気がした。
他言語を学ぶというのはきっとこういう副作用のためなのかもしれない。
自分自身の文化・言葉をいい意味でも見直しつつ、自分たちの違和感に答える何か新しい発見を提供してくれるもの。
それが言語学習かもしれない。
だから「実用性」とかではなく、好きなように言語に触れていけばいい
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