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一番確かなエビデンスは目の前の子どもではないですか?

ネット上で発達界隈の有識者が発言した時や、書籍に対して

"エビデンスがない"

とか

"エビデンスはどこだ"

とかいう声が多いことが気になっています。

こういう人たちに出会う度、

あなたにとって、エビデンスってなんですか?

そんなに大事なエビデンスなら自分で探せば(求めれば)いいんじゃないですか?


そんな気持ちになります。
強い言い方ですみませんm(_ _)m

特定の誰かを守りたくて(頭に血がのぼって)こういうことを書いている訳ではなく、

やってみて、その結果がどうかというのを自分で検証するのが本当は一番(自分が)納得できる方法だと思います。でも、やらない。ならばその人にとってその情報のエビデンスはそこまで重要ではないのだと思います。「できない」のかもしれませんが、その場合は相手に敬意が感じられる表現になると思うのです。

その人にとって本当に大事なのは、相手を陥れること、裁くこと。村中直人先生の『〈叱る依存〉が止まらない』の中にも出てきますが、SNSや第三者の目に触れるところで人を攻撃し、いい気持ちになって社会的報酬を手に入れてしまっているのかもしれません。

有識者が、こつこつと膨大な先行研究を探して読んで、仮説を立て、数々の実験・実践を繰り返し、現時点での到達点を示してくれたものが「最新研究」なわけですし、やっとこさまとめてくれた知識の体系が「理論」ですよね。

つまり、先行研究を踏まえた後発の「研究結果」、それ自体がすでにエビデンスのひとつであるし、刊行された書籍もまたエビデンスのひとつです。

そこを無視・軽視して、
エビデンスに対してエビデンスを出せって言っているような場面を見ると

何が出てきたら納得(満足)するんですか?

って思うんです。 


突き詰めていくと、


誰が正しいと言ったことが正しいんですか?

社会的価値の高さってどうやって測るんですか?

自分では疑わしいと思っても、社会が正しいと言ったことなら信用するんですか?


みたいなことになっていくのですが、

療育だって医療だって教育だって
合うものがあれば合わないものもありますよね。

社会的に認められているもの(エビデンスのあるもの)だったとしても、合わないものは合わない。
支援についてのエラーは発達段階に合っていない、ということが多いのかもしれませんが…
薬もそうですけど、何らかのアプローチに対して効果が出やすい子とそうでない子がいるのは事実でしょう。

だからこそ、子どもにとって何が合うのかを、保護者は手探りしている。

こうやった方が食べてくれるな、とか、これがあればこの子は落ち着くんだなとか。そういう気付きから、先行研究(医師の意見や先生の助言など)にアレンジを加えてみたり、我が子に合ったやり方ができるように既存の教材・玩具を作り替えてみたり…とにかく試してトライアンドエラーの毎日を送っているんですね。

研究・臨床の場から新しい発見が生まれるように、現場からも実践を通してアイディアが生まれていく。これはごく自然なことと思います。

こういった積み重ねの中で

(他の子がそうなのかはわからないけど)
この子にはこれが合うようだ

という一つの答えが出てきたりします。


保護者にとっては、

目の前の子どもの変化がなによりも説得力のあるエビデンス

で、もはやそれに勝るものはないだろう

と思うのです。

もちろん、(攻撃したいからではなくて)純粋にエビデンスを求めたくなる気持ちも分かります。育児は不安だから。間違えたくないから。子どもを大事に思っているから。

だからこそ、納得できるひとつの答えに縛られずに、色々知識を集めて、実際に試して、探ってみるのがいいと思うのです。

誤解してほしくないのですが、ここで伝えたいのは、エビデンスにとらわれないでということではなく、世の中には論文の数だけ研究があり、学者の数だけ理論があり、もはやエビデンスだらけだということです。

だからこそ、
極論にはなりますが、

あなたのお子さんにとっての
一番確かなエビデンスは
目の前のお子さんが教えてくれるはず。

私はそう思うのですが、いかがですか?


※ 情報が溢れているので、ソースを知りたいと思うのも無理はありませんし、その気持ちを否定したいわけではありません。私も知りたいと思うことは調べられる範囲で調べます。
誰だって騙されるのは嫌だし、悪に加担するのも御免です。宗教や詐欺(お金をとられる)にも気をつけた方がいいのは確かです。そこは人を見る目を養ってほしいというところで、今回の話とはまた別の話だと思っています。


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