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プレゼント

去年のクリスマスは、私の実家で過ごした。両親の家に、私たち家族(夫、娘、息子)、弟と彼女、家族ぐるみで付き合いのあるご夫婦が集まり、総勢10人で一緒に楽しく食事を共にした。家族や気のおけない人たちと過ごすクリスマスのひとときは、なにものにも変えられないクリスマスプレゼントだと感じた。

しかし、そのクリスマスの食事会の席で、思いがけず、モノとしてのクリスマスプレゼントもいただいたのだ。家族ぐるみで付き合いのあるご夫婦が、私たちがイギリスから久しぶりに帰ってくるということで、プレゼントを用意してくださっていたのだった。事前に、私の母を経由してそのご夫婦から、息子と娘はなにが好きかと尋ねられていたので、こどもたちに用意してくれているのは知っていたけれど、私と夫、弟と彼女、そして両親へと、全員にプレゼントを渡してくださった。本物のサンタがここにいる!フィンランドではなくて、日本の大阪に本物のサンタが来た!とそのとき本気で思った。

全く予期していなかったプレゼント。私がいただいたのは、寒くて暗い冬の鬱々とした気持ちに、ぱっと灯りがさすような、目の覚める真っ黄色でふわふわのストール。正直、自分では選ばない色味とデザインだった。けれど、素直にいいな、嬉しいな、と感じた。自分では選ばないものなのに、どうしてそう思えたのか。それは、デザインとか色味とか、そういうことではなく、その人が、私のために、私に何がいいだろうと考えて選んでくださったそのプレゼントが、素直に嬉しかったのだ。

日本滞在中、そのストールは私ではなくほとんど娘が使っていた。娘が私からそれを奪い取って(いや、一応「貸して」とは言ってたか)、嬉しそうに首に巻いていたので、私がそのストールをようやく使い始めたのは、今週から。というのも、帰国してから先週末まで、ロンドンは割と暖かい日が続いていたので、ふわふわのストールは出番がなかったのだ。しかし、今週からまた少し寒くなってきたので、ようやく出番が回ってきたというわけ。そして娘の学校は服装の規則が厳しく、指定色(紺、青、白、黒)以外の色のものを身につけてはいけないことになっており、娘は学校につけて行きたくても行けないのである。

私の上着は真っ黒で膝下まであるダウンコート。そして大体、濃い色のデニムか黒スカート、黒レギンスを履いていることが多いので、私の出で立ちは全身真っ黒が多い。そんな黒子スタイルに、この黄色のストールを巻くと一気に明るく華やぐ。いわゆる差し色ってやつですね。しかも、かなり主張激しめなやつ。しかし、その激しめな主張が、私好みで気に入っている。イギリスの暗い冬に春の訪れを告げるダフォディル(黄水仙)みたいでもある。自分では選ばない色とデザインが、こんなに気に入るなんて。選んでくれた人がおしゃれな人だから、というのはもちろんなのだけれど、“しょうこ(私)のために”と選んでくださったものだから、私に合うのだろう。

私には黄色のストール、息子にはサッカー日本代表の南野選手と同じデザインのスパイク、夫には落ち着いたえんじ色のマフラー、そして娘へのプレゼントは、黒いニット帽だった。
プレゼントをくださったその人は、娘へのプレゼントを選ぶのが一番難しかった、とおっしゃっていた。なぜなら、事前に「(娘は)何が好き?好きなキャラクターとかある?」と聞かれた質問に対して、「とにかく本が好き。本以外に特に欲しいものはないらしい。好きなキャラクターも特になく、でも自分の身につけるモノに対しては割とこだわりが強いから、服とかも選ぶのは難しい」と答えていたので、そんなことを言われれば、そりゃあ選ぶのが難しいのは当然で。そういう場合、「何が欲しいのかわからないし、お年頃だし(娘は11歳)、無難にAmazonのギフトカードにしておこうかな」と思う人は多いだろう。実際、最近はそういう風潮が高まっているようだ。しかし、その人は、そこで諦めなかった。ギフトカードに妥協することを自分自身に許さなかった。あれこれと悩んだ末、「もし気に入ってもらえなかったとしてもええわ!自分のインスピレーションで決める!」ということで、最終的に選んでくれたのが、黒いニット帽だったのだ。よくある三角形っぽい形のものではなく、円柱型に近い形で耳当て付きの、いわゆるコサック帽のようなデザインのもの。それを見た娘は、その場ですぐに頭に被り、満足気な表情を浮かべていた。彼女は、気に入らないと露骨につまらなさそうな顔をするのですぐにわかる。しかし、その時の表情はそうではなく、ニコニコしていたので、どうやら気に入ったようだった。その顔を見て、贈り主であるやっさん(ここで初めて名前を披露)は「気に入ってくれた?よかった〜」と安堵して、こちらもニコニコ嬉しそうだった。
ちなみに、娘は外出時に髪型が乱れることを嫌うので、結局、その帽子をあまり被っていない(帽子を脱ぐと髪がペタっとなったりボサボサになるから)。けれど、気に入っていることは間違いなく、たまに部屋で被っていたりする。

プレゼントを選ぶ、贈ることは結構難しい。あまりよく知らない相手に贈る場合や、うちの娘のようにこだわりが強い人に贈る場合は尚更だ。そうして悩む人が多いから、ギフトカードが広く受け入れられているのだろう。気に入らないモノを贈って部屋の片隅にほったらかされるくらいなら、お金やギフトカードを渡して気に入るものを自分で買って貰えばいい、と考えるのは、まぁ当然といえば当然の流れではある。しかし、やっさんがギフトカードに妥協したくない、と言っていたように、私も相手のためだけのプレゼントを選びたいと常々思っている。

プレゼントを選ぶには、相手のことを想う、考える時間が必要だ。普段はその人のことをあまり考えることがなくても、プレゼントを選んでいるその時間には、何にしよう、どれがいいだろう、何色が好きだったかな、と自分の中にある相手の情報を総動員して、その人のことを考える。その時間が、私は好きなのだ。そして自分がもらうプレゼントも、そうやって選んでくれたものだと嬉しい。プレゼントそれ自体というよりも、自分にかけてくれたその時間が嬉しい。例えばそれが、私が欲しいと思っているモノや、普段私が選ぶモノではなかったとしても、相手が選んでくれたそれを見て、「何がいいのかわからない。わからないけれど、とにかく何か使えそうなもの、持ってなさそうなもの、手に入らなさそうなものを」などと考えてくれたんだろうな、と思うと、それだけでそのモノに対して愛おしさが湧いてくる。

そして、そのモノを使うとき、それをもらった日、受け取った日のことを思い出し、贈り主の顔を思い出す。その瞬間が、私はまた好きなのだ。私が誰かに贈ったプレゼントに対して、相手がそう思ってくれているかはわからないし、相手に対してはそれを求めているわけではない。ただ、私自身は、人からいただいたモノを使うときには、そのモノに付随して相手のことを思い出す。そして、元気かなぁ、会いたいなぁ、今なにしてるかなぁ、なんて、その人に想いを馳せる。

そう、私にとってプレゼントというのは、ただのモノではなく、相手のことを思い出させ、想わせてくれるキッカケ装置のようなもの。今は目の前にいない相手のことや、もらった日のことは、過去のことだ。しかし、プレゼントを使うことで、その人やその日のことを思い出す。そして、その人の今を想う。
ある意味で、プレゼントというのは、過去を今に引き寄せるもの、とも言えるかもしれない。英語のpresent には、“ギフト、贈り物”だけではなく、“今、現在”の意味もあるのは、そういうことなのかもしれない。完全なる私の勝手な解釈だけれど。

The clock is running.
Make the most of today.
Time waits for no man.
Yesterday is history.
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift.
That’s why it is called the present.

時計は動き続けている
精一杯 今日を生きよう
時間は誰のことも待ってはくれない
昨日は過去
明日は未知
今日という日は贈り物
だから("今"を)プレゼントというのだ

Alice Morse Earle
拙訳:カリアゲしょうこ

これは、アメリカの歴史家兼作家であるアリスモースアールの言葉である。英語のオンラインレッスンで、時間についての格言を学んだ際、教材に載っていたもの。私のプレゼントの解釈とは異なるけれど、彼女の言葉もまた、胸に留めておきたい。