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娘と2人旅〜グラストンベリーでのリトリート③〜


丘から下りるにあたり、「靴を脱いで裸足で下りようよ。昨日も裸足で芝生の上を歩いたら気持ちよかったでしょ」と娘に提案をした。しかし娘は「イヤ。今はまだ朝露で濡れているから冷たそうだし」と言うので「それがひんやりして気持ちいいんでしょうが。朝露とともに余計なケガレも流したらいいじゃない」と答えると「ただでさえ私の足は冷たいのに、これ以上冷やす必要ないし」とまた反論してきたので、「じゃあもういいよ。お母さんは裸足で下りるけどね!靴を入れるためにビニール袋もちゃんととっておいたもんね!」と昨晩テイクアウェイしたカレーが入っていたビニール袋を自慢げに娘に見せた。なんの自慢にもならないが、その時にはなぜかそのことが誇らしいことのように思えていたのだ。「へー、よかったね」と全く気持ちのこもっていない声が返ってくるのを聞きながら、私はスニーカーの紐をほどき、五本指ソックスから一本一本指を抜き、裸足になった。そして、自慢のビニール袋の中に靴下と靴を入れて歩き出した。

やはり芝はまだ朝露に濡れていた。冷たいけれど、耐えられないほどではなかったので、日当たりのよい場所を選んで歩いていれば、問題なく歩けるレベルだった。朝上ってきたのとは反対側の斜面にあるメインルートを下って行った。舗装された坂道、階段があるのだけれど、裸足になった私はその道ではなく、芝の上を選んで歩いた。野ウサギや犬の糞を踏まないように気をつけながら、時折、濡れた草で滑って転びそうになりながら、一歩一歩、地面を掴んで歩いた。

裸足で歩くとき、私は小さい頃に読んだ絵本『ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ』の表紙を思い出す。ひたすらまっすぐ歩いていけばたどり着くはずのおばあちゃんの家。しかしその途中には丘や小川があったり、美しい花や蜂の巣に出会ったりして、なかなかたどり着かない。小さな男の子の大きな冒険のお話。その表紙の絵が、裸足で両手に靴を持った男の子のイラストだったのだ。確か、林明子さんのイラストではなかったか。私はまっすぐ歩いたわけでも、冒険したわけでもなかったが、少年のどきどきわくわくする気持ちに、ほんの少しは近づいていたのではないかと思う。少なくとも、裸足にならなかった娘よりは、私の方が彼の気持ちに近かったはずである。

坂の途中で、丘の上の塔を振り返った。緑の丘の上に青い空に向かってそびえ立つ塔は、やはり異質なものとしてそこにあった。異質だけれど、違和感はなかった。塔の入り口に両手を広げて立っている人影が見えた。さっき、塔の中でトランペットを吹いていた男性だった。そのシルエットが美しかったので、私はスマホを取り出して写真を撮った。彼は私がスマホで撮影をしていることに気がついているのだろうかと思い、親指を立てて「いいね!」をして見せたら、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。やはり彼から私の様子は見えていたのだ。

“両手を合わせてお辞儀をする”というのは、欧米人がアジア人に対してよく見せる動作だ。欧米人の中の“アジア人ステレオタイプ”として定着しているのだろう。侮蔑的な意味を込めてそれをする人もいれば、挨拶として、敬意を表するつもりとして、それをする人もいる。たしかに、タイでは“ワイ”と呼ばれるそのようなお辞儀の作法があったし、私たち日本人がインド人をイメージするときに、手を合わせて「ナマステ」と言っている姿を想像することがある。しかし、私たち日本人は、手を合わせてお辞儀をすることはほとんどない。手を合わせるのは社寺仏閣でお祈りをするとき、もしくは割と親しい関係にある人にお願いごとをするときや誤ったりするときであって、挨拶をするときにとる行動ではない。なんてことを彼に説明しても仕方がないし、そもそも私と彼の距離はすでに遠く離れてしまっているので、大声を出しても聞こえない(そして私のブロークンイングリッシュでどこまで伝わるのかと言う問題も)。先ほどの彼のトランペットの演奏は、素人的に聞いても上手な演奏なのだろうと感じたし、音に嫌な感じもなかったので、きっと彼は侮蔑的に手を合わせているのではなく、敬意を表してその行動をしてくれている側の人間だろうと勝手に判断し、私も彼にお辞儀を返した。先ほど、丘の上で彼のすぐ近くにいたときには言葉を交わさなかったのに、すいぶんと距離が離れてから無言のやりとりを交わしたことが、なんだかおかしかった。コミュニケーションとは奥が深い。

影になっている場所の湿った草の冷たい感触、日に干され乾いた草のこそばゆい感触、石の固い感触、普段、靴を履いていては感じられない温度変化や質感の違いを味わいながら、「ここはやっぱり若草山に思えるね。さっき上ってきたルートは、短いけれど春日山遊歩道からの道で、今下っているこのルートは、有料の若草山登山道だね」とまた娘と言い合っていた。
安倍仲麻呂は「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に いでし月かも」と詠んだけれど、私と娘は「グラストンべリー 登ってみれば春日なる 若草山に 歩く我かも」とでも詠みたい気分だった。懐かしい奈良を想う気持ちは、1200年以上前の仲麻呂も、令和を生きる私と娘も、変わらぬものである。

丘を下り切り、私は足を拭いて靴下と靴を履いた。靴を履いた後もまだ、しばらく足の裏には芝の柔らかくふわふわした感触が残っていた。柔らかいものに触れていれば柔らかくなるのは、体だけでなく心も同じだろうか。とにかく、心地の良い感覚だった。私は芝生がと切れるところで靴を履いたけれど、前を歩いていた男性は、道路に下りてもまだ裸足のままだった。さすがに痛いだろう、と思ったけれど、彼の足の裏はものすごく固いのかもしれない。

丘を下りてすぐのところに、湧き水が流れ出ている場所がある。そこの蛇口から出ている水は飲むこともできるということで、多くの人がその水を求めてやって来る。しかし私たちが訪れたのはまだ10時過ぎだったこともあり、2人の先客がいただけだった。彼らの後に続いて、私と娘もその蛇口から水を汲んだ。前日に飲んだペットボトルの水とジュースの空き瓶、そして先ほど山頂で飲んだジュースの空き瓶の3つそれぞれに満杯まで入れた。「お父さんは『変なお土産とかいらないから無駄遣いするなよ』っていってたけど、お金をかけすにタダでいただいたこのお水をお土産にすればいいね」と娘と話した。その場でも、手にすくって少し飲んだ。特別に美味しいという味ではないが、ありがたい味がした、ような気が、した。娘は手を洗っただけで、その場では水は飲まなかった。

“水は記憶を持つ”と言われているが、その土地に沸く水を飲んだということは、私自身の体内に、この土地の記憶を取り込んだということになるのだろうか。その記憶をなんらかのきっかけで思い出すようなことはあるのだろうか。その時、私はそれを自分自身の記憶として思い出すのだろうか。それとも、水を飲んだ後に汗や尿として流れ出てしまったら、その水の記憶も一緒に流れ出ていくのだろうか。水の流れる音を聞いていると、ふとそんなことを思った。

水を汲んだ後、ひとまず宿に荷物を取りに戻った。朝、宿を出るときにはホストのヒラリーに挨拶できなかったので、今度は会って挨拶できるといいなと思って彼女の部屋を外から覗くと、彼女はそこにいたけれど、仕事中のようだった。ガラス越しに頭を下げ、思いっきりthの口を強調しながら口パクでThank youを伝えた。彼女はそれに手を振って応えてくれた。

私たちは玄関ポーチの荷物を取り、前日も朝も座ったベンチに再び腰を下ろして荷物の整理をした。その後の予定について、ひとまずバス停の場所と出発時刻を確認してから街へ行き、カフェへ行こうと娘と話し合った。結局、ヒラリーには挨拶できないまま失礼することになりそうなので、鞄にしのばせてあった折り紙で鶴を折り「Thank you, ありがとう」と書いて玄関に置いておくことにした。こういうとき、折り紙ってよいツールだなと思う、鶴だけに。

時間はまだたっぷりあったし、出発準備ができても、しばらく私たちはそのベンチに座っていた。するとヒラリーが出てきて「どうしたの?何か忘れ物でもあった?」と私たちに尋ねた。「いえ、ただ休んでいただけです。どうもお世話になりました。とても静かで清潔な部屋だったので、ゆっくりとリラックスして休むことができました。ここからの眺めも最高だし、また来たいです。ありがとうございました」と伝えると、「グラストンベリーで得るべきものを得られたようでよかったわ。また来てね」と笑顔で答えてくれた。ヒラリーはさっき私が玄関先においた折り鶴に気がついていなかったので、私が足元を指差すとそれに気づき、「あら、素敵。ありがとう」と言って拾い上げた。最後に「さようなら」と挨拶を交わして、私たちは別れた。

道路へと続く階段を下りようとしたら、右側にある緑の葉っぱが目に留まった。紫陽花だった。紫蘇のようなギザギザの葉っぱの上に何かが乗っていた。つがいのカメムシだった。命を繋ぐ営みの最中のようだった。虫は好きではないけれど、こういう小さきものの生命の営みを見つけると、つい見入ってしまう。カメムシが交尾している(であろう)姿を見るのはこれが初めてだった。上に重なったりするのではなく、おしりとおしりをくっつけていた。「これがほんとのおしりあいってやつね」というと、娘に「いや、そういうことじゃないでしょ」と突っ込まれた。突っ込んでくれる相手がいるというのはいいものだ、と関西人の私はしみじみ思うのであった。

前日上ってきた緑の小径、狭い路地裏の道をくだり、バス通りへ出た。前日にバスを降りた場所の向かいあたりにあるバス停の場所と時刻表を確認して、街へと出向いた。前日にはほとんど閉まっていた店も、その日は開いていた。カフェを2軒見つけて、どちらのカフェに行きたいかと娘に尋ね、彼女の行きたいと言った方の店に入った。店内座席の半分以上は埋まっていたけれど、レジ前の席が空いていたので、私たちはその席を確保した。娘はブラウニーとソーダ、私はチャイラテを注文した。娘に「まだちょっと寒いのに温かい飲み物じゃなくていいの?」と尋ねたら、「熱いの飲んで熱くなって、また鼻血が出たらイヤだから」とのことだった。しょっちゅう鼻血が出ることに慣れているとはいえ、やはり面倒くさくて鬱陶しいことではあるのだ。かわいそうだなと思う。

ブラウニーもラテも、特別美味しいというほどではないが、私は温かいものを求め、娘は甘いものを求めていたので、双方の欲求を満たすには十分だった。食べながらこれからどうするかを話し合った。「帰りは、16時半にブリストルからの電車に乗ってロンドンに帰る予定。ブリストルからロンドンへの電車のチケットは変更可能だったと思うから、早めにロンドンに帰ることもできる。ここからブリストルまでは行きと同じ路線バスだから、1時間半から2時間弱くらいかかるし、渋滞とかでぎりぎりの時間になっても困るから、14時頃までにはグラストンベリー発のバスに乗りたい。グラストンベリーでもう少しぶらぶらしてもいいし、早めにブリストルに行ってブリストル市街をちょっと観光するでもいいし。今は11時過ぎで、乗ろうと思えば11時半頃にここからすぐのバス停からブリストル行きのバスに乗ることもできるよ」と私は娘に提案した。「別にロンドンに早く帰りたいわけじゃない。でも、この街でほかにまだ行きたい場所があるわけでもないし…ブリストルには何がある?」と娘が聞いてきたので「ブリストルも街中にはそれこそカフェとかギャラリーとか公園とか、観るところはいろいろあると思う。ただ、電車に乗る駅(ブリストルテンプル駅)から観光地まではちょっと距離があったと思うから、2~30分歩くか、バスで移動することにはなると思うけど」と応えると「うーん…わざわざ行きたいってほどでもないしな…」とあまり気乗りしない様子。「じゃあ、まぁ急いで11時半のバスに乗るほどではないから、もうちょっとこのカフェでゆっくりしてからお昼前後のバスに乗ることにしようか」と提案すると「まぁそれでいいよ」と娘は頷いた。

私たちはレジの目の前の席に座っていたので、見ようと意識しなくても出入り口からレジへと流れてくる人の動きや、客がレジで注文する様子が見えた。「現金で払う人、結構多いね」と娘が言った。確かに、何人か続いて現金で支払っていた。ロンドンではほとんどの店がキャッシュレス化、コンタクトレス決済となっており、現金を使う機会が非常に少なく、現金払い不可の店も多い。しかし、地方都市では、ロンドンよりも現金払い可能な店が多いイメージだ。この店もそうだった。私も、前日に「もしかしたら現金払いのみの店もあるかもしれないから」と念のためいくらかの現金を下ろしておいたのだけれど、結局使うことはなかった。

若い男性3人が入ってきた。みんなおしゃれな雰囲気をまとっている。しかしよく見ると、そのうちのひとりの男性が着ていたのはポケモンのTシャツだった「あのキャラなんだっけ」と娘に尋ねたら、「名前忘れたけど、イーブイの進化したやつ」との答えが返ってきた。ポケモンは、イギリスでも大人にもこどもにも、どこへ行っても人気があってすごいコンテンツだなと思う。しかし、私自身はというと、ポケモンに興味を抱いたことが全くと言っていいほどないため、なにがそんなに魅力的なのかは、よくわからない。

次に、若いカップルが入店してきた。2人でメニューを見ながら何にしようかと話し合っている。ふと見ると、男性の背中、肩甲骨の下あたりに小さな鳥の羽が1枚ついていた。男性が着ていたのが茶色いセーターだったので、白い羽の色が際立って目立って見えた。「今レジの前にいる人、天使かな。片翼だけの天使」とひそひそ声で私が言うと、娘もちらっとそちらを見た。私が何を言わんとしているのかすぐに理解したようで、あきれたように笑ってい「いや、天使ではないと思う」とごく当たり前の答えを返してきた。「わかんないじゃん。だって天使じゃないって証拠もないよ」「それを言うなら、天使だっていう証拠ももちろんないけどね」と、何の意味もない会話を交わす私と娘。だいたい私が夢見がちなことや理想論を言って、娘が現実的な返答をするというのが私たちのパターン。つい夫の愚痴をこぼしてしまったときには「相手に期待するからだめなんだよ。期待しなきゃいいんだよ」と娘に諭された。これじゃどっちが母でどっちが娘なのかわからない。きっと、母親がしっかりしていないと、娘は、この人はあてにならないから自分がしっかりしなきゃ、と感じるのだろう。そうやってバランスが取れるようにできているのだ、と自分に都合のよいように言い聞かせている。

ふと思い立ち、私は娘に「せっかくこういう街に来たんだから、自分のお金で自分のためのものを買ってみたら?昨日お母さんが買ってあげたアロマオイルと、今から買う自分のものをお守りにして、これから先、またちょっと元気なくなったときとかにその香りをかいだり、それに触れたりして、今日のことを思い出す。人間ってさ、すぐにいろんなこと忘れるでしょ。だから、今日のことも日々の生活の中で忘れていくだろうけど、モノと香りがあれば、思い出せるでしょ。思い出すための装置。置物とかでもいいし、パワーストーンでもいいし」と提案してみた。「うーん、そうね、特にほしいものはないけど、石くらいならいいかな」と言うので、「よし、決まり。ここを出たらパワーストーンを探しに行こう。それがグラストンベリーでの最後のミッション。で、それを買ったら、ブリストルに向かおう」ということになった。

店を出て、パワーストーンを売っている店を探した。というか、探さなくてもその辺にある店はほとんどが、‟そういうグッズ”を売っている店なので、反対に、どこの店にするかを決める方が難しくらいだった。前日に少し覗いた店もあったけれど、また違う店を覗いてみようと思い、細い路地に入った。狭い路地の奥に、小さな石屋があった。特別にその店が気になったというわけではないのだけれど、入口を覗きつつの店の前を通り過ぎようとすると、「ほとんどの商品が20%OFFだから見てみてね」と店員さんに声をかけられた。その人の笑顔がかわいかったので、私はその声に導かれるまま店内へと入り、娘もそれに続いた。

小さな店内に並べられたたくさんの石。白、黒、ピンク、紫、青、緑、さまざまな色と形。原石そのままのものもあれば、磨かれ加工されたものもあった。それぞれ手に取って見ていたら、後ろから店員さんが「きれいな黒髪ね」と言った。「私たち、日本人だからね」とよくわからない答えを返してから私は娘に「え、今、髪の毛きれいって言ってくれたんだよね?」と今さらな質問をし、娘は「え?他に何の話だと思ったわけ?」とそっけない答えをくれた。英語力ではもはや、娘に圧倒的にかなわない。ここでも母娘の立場は完全に逆転している。イギリスに来たばかりの頃は私が教える側だったのに、丸3年、熱々の英語環境にどっぷりと浸かった娘に、ぬるい足湯に片足を突っ込んだだけの私が教えられることは、もはや何もない。

薄緑色の石を見つけて、「この石きれいじゃない?好きそう」と娘に差し出した。「あぁ、そうね。きれい」と言って受け取ってしばらく眺めていたものの、すぐにまた違う石を見始めた。ときどき、店員さんが「それは○○○」と言って石の名前を教えてくれるのだが、なんせよく聞き取れないので、適当に相槌を返すものの、それらの石の名前は3秒も私の記憶にとどまらないのだった。
「その棚の石は2for1,2つでひとつ分の価格です」と店員さんが教えてくれた棚の上に、三日月形の水色の石を見つけた。少しマーブルがかったその石は、娘の好きそうな色だった。「これも好きそう」と手渡すと、「あぁ、うん、好き」と言って受け取った。私は棚の下の方にある石が目に留まった。黒く輝く、鋭利な形にに成形された石だった。「これって黒曜石かな?」と私が娘に尋ねると「そうかもね」とこたえた。店員さんに「この石は何ですか?」と尋ねると、やはり「Obsidian(オブシディアン)」とのことだった。縄文時代に重宝されていたという黒曜石に、私は以前から興味があったのだ。「お母さんはこれにしようかな。あなたはどれにするか決めた?」と問うと、「さっきのこれにしようかな」と言って、先ほどの三日月形の水色の石を手にした。そちらの値段は15ポンドで、私が見ていた黒曜石は5ポンドだった。私は娘に「それとこれとで2for1にできるのかな?ちょっと聞いてみて」と頼んだ。娘は店員さんに「これとこれは違う棚にあったけれど、2for1で買えますか?」と尋ねてくれた。「できますよ」とのことだったので、「じゃあそうしよう。あなたが自分の石の分を自分で払って、お母さんの石はあなたから私へのプレゼントってことで」ということになった。娘が自分のカードを鞄から出し、支払おうとすると「まぁ、自分のカードを持っているのね」と店員さんは娘に微笑みかけた。娘はちょっと照れ臭そうだった。私たちは店員さんにお礼を言って店を出た。笑顔のかわいい人だった。

「ありがとう。あなたがお母さんに初めて買ってくれたものだから、大事にするね。もしお母さんが死んだら、この石は◯◯(弟)にあげてね」と私は娘に言った。「なんで死んだときなのよ」と娘が言うので「〇〇(息子)も黒曜石、黒曜石って言ってた気がしたから。でもせっかくあなたがお母さんに買ってくれたんだから、今はまだあげられない」と答えた。娘はわかったようなわかってないような表情をしていた。

グラストンベリーでの最後のミッションを終えた私たちは、細い路地から大通りへと戻った。時計を見ると、12時半前だった。「もしかしたら12時半のバスに乗れちゃうかも」と言って、バス停に向かって坂を上った。坂を上る途中に、後ろからバスが来やしないかと振り返ったが、そんな気配はなかった。バス停に着いたとき、バスの出発予定時刻を2分過ぎていた。もう出発してしまったのだろうか。そのままバス停で待ってみることにした。「もしさっきのバスが出発してしまってたとしても、次のバスももう30分以内に来るはずだし、このままここで待っていよう」と娘に伝えた。頷いてバス停のベンチに腰掛けようとする娘に「そこ、けっこう日差し当たってるけど大丈夫?また鼻血出ないように気をつけてね」と声をかけ、私はバス停のすぐ近くにあったアンティークの店を覗いてみたり、前にあった店の写真を撮ったりして、落ち着きなく過ごした。15分ほどして、ブリストル行きのバスがやってきた。12時半のバスが遅れて来たのか、13時前のバスが早めにやって来たのか、どちらなのかはわからなかった。バスに乗り、2階席へと腰を落ち着けた。

前日に車窓から見たのと同じ景色を、巻き戻すようにして見た。前日にはだんだんと大きく見えたグラストンベリートー(塔)が、今度はだんだんと小さくなっていった。どこまでものどかな風景が同じように続いていた。途中、往路でも停車した大きなバス停があった。ウェルズ大聖堂という大きな教会のある街だった。きっと、この大聖堂を訪れる人が多いのだろう。「もし、次にまたバスでグラストンベリーに来ることがあったら、今度は途中ここで下りてあの大聖堂を見てもいいね」と娘に問いかけると「うん」とさほど興味なさそうに答えた。またいつか、娘と一緒にここを訪れることはあるのだろうか。

ウェルズ大聖堂のバス停を出発し、しばらくして娘は寝てしまった。私はしばらくスマホでブリストル市内でブラブラできそうな場所を検索したりしていたが、電池の充電が減っているのが気になり、スマホを使うことをやめた。帰りの電車のチケットはオンラインチケットなので、万が一スマホの電池が切れると、電車に乗れなくなってしまうこととを心配したのだ。そして、娘と同じように、私も午睡に落ちていった。

ブリストルの街に着く30分ほど前に私は目が覚めた。前日に見た覚えのある街並みだった。私の住んでいる町と違って、坂の多い場所だった。ここに住んでいる人は毎日大変だろうな、と思ったけれど、そういえば、私が育った町も、坂の多い場所だった。町の雰囲気は全然違うのに、坂が多い、という共通項が地元の景色を思い起こさせた。いつも立ち漕ぎで自転車を漕いでいた小中学生だった頃の自分の姿を想像した。人の記憶というものは、ふとしたきっかけで蘇るものなのだろう。

到着10分前頃に「もうすぐ着くよ」と娘に声をかけた。娘は頷きつつも、まだ目をつぶっていた。「どうする?ブリストルの市街観光するなら、駅で降りるのじゃなくて、このままバスで街中に行ってもいいんだけど」と尋ねると「特に見たいものがあるわけじゃないからなー」とつれない答えが返ってきたので、「じゃあとりあえず、お母さんはトイレに行きたいし、一旦は予定通り駅でバスを下りよう。トイレを探してトイレに行って、それからどうするか考えよう」ということになった。バス停からブリストル駅へ行く途中、ハンバーガー屋さんがあった。娘がそれを見ながら「ちょっとお腹すいたなー」と言うので「とりあえず駅まで行って他にもなんかないか見てから考えよう」と声をかけそのまま駅へと続く坂道を上った。ブリストルの駅はとてもかっこいい外観だった。ロンドンのキングスクロス駅(『ハリーポッター』にも出てくる駅)よりも、こちらの方がカッコよく思えるのは、旅行中というフィルターがかかっているからだろうか。どちらにせよ、イギリスの古い駅舎は日本にはない雰囲気がある。レンガ造りの重厚な建物、尖塔、大きな時計、‟外国の駅”のイメージそのものを見せてくれる。駅にたどり着き、あたりを見回してみたが、トイレは見当たらず、コンビニ以外の飲食店も見当たらなかった。残念ながら、チケット売り場と改札しかなかった。

仕方がないので、さっきのハンバーガー屋に戻ってなにか食べつつトイレを借りようということになった。もと来た道を戻り、ハンバーガー屋へと入った。ほとんどの席は空いていた。その中で居心地のよさそうな席を見つけて、私たちは席についた。ひとりひと皿ずつ食べるほどにお腹がすいていたわけではなかったので、2人で半分こすることにした。娘はメニューの一番上にあった一番スタンダードそうなハンバーガーを選んだ。私はレジへ行き、ハンバーガーとポテト、デカフェの紅茶をそれぞれ一つずつ頼んだ。レジの人は、ハワイアンのような風体で大きな体をしていたが、声が高く、失礼だけれども、なんだか見た目のイメージとちぐはぐな感じがした。番号の書かれた札を渡され、席に戻った。私はそれを娘に託し、トイレへ行った。私は割とトイレが近い、そして娘は、あまりトイレに行かない。トイレを済ませて席に戻ると、娘がにやにやしていた。どうしたのかと尋ねると、「レジの方を見てたんだけど、店員さんがレジに置いてあったチップス食べてるのを見てたら目が合っちゃって、ウインクされた」とのことだった。さきほどの声の高い彼だった。この国の人たちは働きながらスマホもいじるし、売り物のチップスも食べるし、自由でいいなと思った。

ハンバーガーが運ばれてくるまでの間、これからどうするかを話し合った「食べてからちょっと街に出てみてもいいし、電車の時間早めて帰ってもいいしどうする?」と私が尋ねると「わざわざ街に出たいってわけじゃないんだよね。まぁ早い電車で帰ってもいいけど、早く帰りたいってわけでもないし。チケットって無料で変更できるの?」と娘が聞いてきたので、「じゃあ今からお母さんは駅のチケット売り場に戻って、チケット変更可能か確認してくるわ。それでタダで変更できそうなら1時間早い電車でロンドンに帰ろうか」ということになったので、私は娘をその店に残して、ひとりで再び駅へと向かった。チケット売り場に行き、係の人に「16時半発のロンドン行きのチケットを持っているんですが、早い時間の電車に変更はできますか?」と尋ねると、「席はまだ空いているけれど、変更するのに2人分24ポンドかかりますよ?」と言われた。思っていた以上に高かったので「じゃあいいです」と答えてチケット売り場を後にし、娘の待つハンバーガー屋へと戻った。

駅からハンバーガー屋まではほんの数百メートルの距離だが、たくさんの人とすれ違った。白人、黒人、アラブ系の人、インドパキスタン系の人、ヒジャブを被った人、ターバンを巻いた人、緑色の髪の毛のおばさん、坊主頭をピンク色に染めている青年、ピアスだらけの女性、超ミニスカでお尻が見えかけているギャル、バスの運転手、新聞を読んでいる老人、サンドイッチをほおばるイケメン、スマホとにらめっこしている男の子、駅舎を背景に自撮りをしているカップル。聞こえてくる言語も、英語だけではない。駅ではたくさんの人が行き交い、すれ違いながら、同じ場所と時間を共有している。にもかかわらず、ほとんどの人が目を合わせることも言葉を交わすこともなく通り過ぎていくだけ。何かひとつのきっかけがあれば、もしかすると一生モノの出会いになりうる相手だっているかもしれないのに、多くの場合、そのようなきっかけは見過ごされている。私はいつも、駅や空港のような人の集まる場所では、どこかに小さなきっかけは落ちていないかと気にしてキョロキョロしているのだけれど、なかなか見つからない。しかし、毎回きっかけを探して、それを拾いに行っていたら電車や飛行機に乗り遅れてしまうだろうから、それでいいのだろう。さみしいような気もするけれど、人との出会いとはそいうものなのだ。だからこそ、出会うことができた、かかわりを持つことができた人とのご縁は、大切にしたいと思うのだ。

ハンバーガー屋に戻ると、娘は本を読んでいた。「何読んでるの?」と覗き込むと、阿刀田高の『アラビアンナイトを楽しむために』だった。読む本がなくなってきたと言う娘に、私が貸した何冊かのうちの1冊だった(ちなみに私自身はまだそれを読んでいない)。「おもしろい?」と尋ねると「うん、まぁ」とのことだった。相変わらず気のない返事ばかりだけれど、まぁそういう年頃なのだから仕方がない、と自分に言い聞かせた。
「ロンドン行きの電車、席は空いてるからチケット変更はできるけれど、24ポンドもかかるって言われたから、結局変更しなかったよ。まだ2時間くらいあるけど、ゆっくり食べて、この店でゆっくり本読んで待とうよ。席はいっぱい開いているから、店を追い出されることもないだろうし」と娘に伝えた。「それでいいよ」と娘は答えた。

ほどなくして、注文していたハンバーガーが運ばれてきた。真ん中にグサッとナイフが突き刺してあった。なんだか物騒なハンバーガーだなと思っていたら、「お母さん、そのナイフで刺さないでね」と娘に言われた。「そんなことするわけないでしょ」と言いながら、ナイフを掴んで睨みつけた。「いや、似合い過ぎて本気で怖いんですけど」とさらに責め立ててくる娘。まったく、どうやって育てたらこんなことを言う娘になるのだ、と思ったが、彼女を育てたのは私なので、どう考えても私のせいでしかないのだった。「じゃあナイフ握ってる姿、写真撮ってよ」と言って娘にスマホを渡し、撮ってもらった写真を見たら、我ながら完全にヤバイ人だった。

2人で半分こしようと言ったものの、きれいにふたつに分けられそうにもないタイプのハンバーガーだったため、上下別々にナイフで切り分けて食べるのがよかろうということになった。しかし、別々に切り分けるにしても非常に難易度の高いゴロゴロとした具材だったため、結局、バンズと具材をそれぞれ切って口に入れて、口の中で合わせて食べるというスタイルになった。食べにくさ満点だったけれど、とても美味しいハンバーガーだった。飴色に炒められたのちにフライにされた玉ねぎ、甘辛く味付けされたチキンとジューシーなビーフパティ、パサついていないバンズ(パッサパサでまずいバンズを出す店も多い)、ひとつひとつが美味しく、それぞれの良さを消し合わないマッチングだった。「このハンバーガー、美味しいね」と言いながら2人で分け合った。しかし、そのハンバーガーよりも何より私と娘が気に入ったのは、サイドのフライドポテト(イギリスではチップスと呼ぶ)だった。ブーメラン型というか、くの字型とでも言おうか、ゆるいカーブ状に切られたポテトがサックサクに揚げられて、塩気もちょうどよい。「このポテト、めっちゃおいしい」とこちらも2人でぱくぱくと食べた。娘はもともと肉や揚げ物好きだけれども、ここしばらく体調不良のため、がっつり肉、揚げ物、といったものは控えていた。というか本人もあまり欲していなかったが、ようやくしっかり肉も揚げ物も食べられるようになったことが、私は嬉しかった。「美味しくお肉が食べられるようになってよかったね」と私が言うと、娘は「ふふん」とニヒルな笑いを浮かべて親指を立てた。

ハンバーガーとポテトを食べ終えても、電車の出発時間までにはまだ1時間以上あった。隣のソファ席に座っていた女性が店を出ていき、その席が空いたので、私たちはソファ席へと移り、それぞれ本を読み始めた。こういう時、お互い読書が好きな者同士でよかったと思う。もし、この時一緒だったのが娘ではなく息子だったら、「つまんない~。マミ~しりとりしよう~トランプしよう~」などと静かに一人で過ごせない息子に付き合わねばならなかっただろう。しかし、娘はこういう時、本さえあればいくらでも時間を過ごすことができる。だから私も、心置きなく自分の本を読むことができた。

私はパウロ・コエーリョの『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』という文庫本を読んだ。昨年末に作者の存在を知り、気になっていたところ、今年初めに古本で見つけて購入し、積ん読していた本だ。私は幼い頃から、これといって信仰している宗教はなかったし、家には神棚も仏壇もなく、宗教色の薄い環境で育ってきた。そのせいか、非常に宗教色の強いこの作品の登場人物に感情移入する、作者に共感する、というようなことはあまりなかった。しかし、ある信仰に基づいて育てられた人間が、成長とともに信仰を失い、世の中との折り合いをつけていき、そして様々な経験を重ねた上でまた信仰を取り戻していく、というプロセスは、信仰を持つ多くの人が通る道なのだろうなということが想像できたし、学ぶことがあった(ちなみに、本を読み終えたのはこの時ではなく、ロンドンへ向かう電車の中だった)。

電車の出発時間が近づいてきたので、私たちは2時間近く滞在したハンバーガー屋を後にして、駅へと向かった。改札を通り、ロンドン行きの電車が到着するホームへと移動した。ホームにはカモメがいた。ブリストルは(ロンドンも)海に面した街ではないけれど、カモメをよく見かける。駅のホームにたたずむ姿は、なんだか絵になるなぁと感心して眺めていた。電車は定刻通りに到着し、私たちはブリストルからロンドンへ向かう帰路についた。流れていく車窓の景色を眺めながら、「今日は曇り気味だけど、昨日はきれいに夕焼けを見られてよかったね。この2日間、基本的にずっと晴れていたし、全ての予定が順調だったし、良かったんじゃない?」と娘に声をかけると、「はっはっはー」といって満足げに親指を立てた。「そういえばあなたは雨女だったけれど、今回で雨女の汚名返上できたかもね」と言うと、自慢げな笑みを浮かべていた。その後、私と娘はそれぞれ、先ほどの店で読んでいた本の続きを読み、チョコレートを食べながら、ロンドンまでの移動時間を過ごした。

電車はあっという間にロンドンに着いた。往路がバスで時間がかかった分、余計に短く感じたのかもしれない。見慣れたパディントン駅で電車を降り、在来線に乗り換えた。その車中、「道に迷うことも、落とし物・失くし物をすることもなく、無事に帰ってこれたね。お父さんの心配は無用だったね」と娘とお互いをたたえ合った。というのも、出発前に夫から、私は「あなたはすぐに道に迷うから、娘についていくように」と、娘は「あなたはすぐにものを失くすから、気をつけるように」と言われていたのだった。2人で誇らしげに見つめ合った。娘の顔には少し疲れも見えていたけれど、前日の朝、出発する前の表情より、ずいぶんすっきりしているような気がした。

家に着いて「ただいま」と玄関を開けると、「おっかえりー!」と騒がしく息子が迎え入れてくれた。息子のこのひと声で、私と娘の静かな母娘2人旅は、終わりを迎えた。