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娘と2人旅〜グラストンベリーでのリトリート②〜

翌朝、目が覚めたのは朝の4時半頃だった。カーテンの向こう側、窓の外もまだ暗いし、娘もまだ寝ているようだった。私はトイレに行くために起き上がり、廊下に出た。当然、廊下もトイレも真っ暗だったが、トイレで電気をつけて灯りを見てしまうと、それで目が冴えてしまいそうだと思ったので、暗い中で用を足した。そして部屋に戻り、もう一度目をつぶった。

次に目が覚めたのは、7時前だった。今度はカーテンの向こう側が明るくなっていた。私は7時半と8時にスマホのアラームをセットしていたのだが、そのどちらももう必要ないので設定を切った。ベッドで横になったまま、しばらくスマホを眺めていた。ロンドンに残してきた夫や、息子を預かってくれている友人からなにか連絡があったりはしなかったかと確認したが、何もなかった。何もないのが一番なので安心した。特にあてもなくSNSを開いたり、前日に撮った写真を見返したりして、なんとなくダラダラと時間をやり過ごした。その日のグラストンベリーの天気予報を確認すると、昼頃までは晴れマーク、午後には雲が広がる予報となっていた。朝の気温は8℃、そこから徐々に上がり、昼には15℃くらいになるようだった。この後、丘を登る予定にしていたので、晴れ予報を見て安心した。朝のうちはまだ少し寒さもあるけれど、日差しがあれば問題ないだろうと思った。

前の晩寝る前に、娘は7時頃には起きるかな、と勝手に思っていたのだが、起きる気配はなかった。まぁ朝は何時に起きて出発しよう、と約束していたわけでもないし、そのまましばらく起こさずにいた。外出したのが久しぶりだったし、その割には遠いところまで来てしまったし、疲れたのだろう。
8時になっても起きる気配がないので、娘のベッドのうしろにある窓のカーテンを開けてみた。けれど、それに反応を見せることもなく、娘は寝息を立て続けていた。
窓の外にある階段に、一匹の黒猫が座っていた。突然、視界に見慣れないやつ(私)が現れたので、黒猫は少し驚いたような表情をしていたが、窓を隔てているという安心からか逃げることはなかったので、私はそのまま黒猫を見つめていた。しかし彼(もしくは彼女)は私に興味はなかったようで、関係ない方向を見つめていた。

黒猫から視線を外し、私はケトルでお湯を沸かした。毎朝、家では電気ケトルではなく、鉄瓶とガスでお湯を沸かしているのだが、電気ケトルで湯を沸かすのはこんなにも速いのか、と改めて驚いた。沸騰したお湯とハーブティーのティーバッグをマグカップに入れた。そして「おはよう。8時15分だよ。そろそろ起きたら。お母さんはちょっと外のベンチにいるから、着替えて顔を洗ったらあなたもおいで。別に急がなくていいけれど」と娘に声をかけた。彼女は眠そうな目で「うん」と一言だけ答えた。
私はティーバッグを取り出したマグカップを持って外へ出た。朝の空気はひんやりとしていたけれど、寒いと感じるほどではなかった。玄関横のベンチに座り、朝の空を眺めた。雲は出ているが、良い天気だった。目の前の風景を鳥が横切っていく。せわしなく羽をばたばたさせて飛ぶ鳥、気持ちよさそうに風に乗って飛ぶ鳥、“飛ぶ鳥”といっても全然様子が違う。もしも来世で鳥になるならば、ばたばた飛ぶ鳥より、風に乗って飛ぶ鳥になりたい。

10分くらいして、外に娘も出てきた。改めて「おはよう」と声をかけると「おはよ」と短く答えた。「まだ眠い?」と尋ねると「ちょっとね」と返事をしながら私の横に座った。まだ目が覚めきっていない顔に風を受けて、髪の毛が乱れていた。「荷物を片付けて、朝のうちにグラストンベリーに登っちゃおう。その方が人も少なくて静かだろうから。部屋は10時までしか使えないけど、荷物は玄関に置いててもいいって昨日ヒラリーが言ってくれていたから、荷物は置いて。朝ごはんは丘の上で食べよう」と提案すると、彼女は「オッケ」と静かにうなずいた。

部屋に戻り、荷物を片付け、ベッド周りを整えて、「お世話になりました。ありがとうございました」と挨拶をしてから部屋を出た(私は自宅以外のどこかに宿泊するとき、いつもそうするようにしている)。ホストのヒラリーと猫のジャスパーに挨拶しようとしたが、どちらの姿も見当たらず、静かに声をかけても反応がなかったので、もしかしたらまだ寝ているのかもしれないと思い、そのまま玄関に荷物だけ置いて、私たちは宿を後にした。

グーグルマップで宿からグラストンベリートーまでの経路を確認すると、宿の裏手の住宅街を抜けて行くルートが表示されたので、それに従うことにした。土曜朝9時前の住宅街は静かで人の気配がほとんどなかった。どの家も素敵な家族が住んでいそうに見えた。きっと、それなりの収入がある層の人が住んでいるのではないだろうか。
娘に「あなたが将来この辺住んでくれたらいいのになぁ。できたらお母さんも一緒に住みたいなぁ。孫の世話はするから、一部屋だけくれる?」と尋ねると、「ここに住んだらお母さん、毎日あの丘に上りそうだね」というので「そうね、きっとそうするね。日本でもほら、毎日、三輪山とかご神体の山を登拝する人もいるっていうし、そういう感じ、いいね。健康のためにも」と答えた。
前日、娘と話をしていた中で「将来なりたい職業とか、やってみたいことはある?」と尋ねたら「特にこれというのはないけれど、舞台の仕事とかはおもしろそうだなって思う。演じる側じゃなくて、音響とか照明とか、そういう裏方の仕事」と言っていたことを思い出し、「グラストンベリーでは毎年、世界最大規模の音楽フェスがあるから、ここに住んで、それの仕事やったらいいんじゃない。ほら、もう将来設計完璧!」と私が言うと、「なんで勝手にお母さんが決めてるのよ」とあきれ笑いを浮かべていた。しばらくして娘が「電線のある風景、なんか久しぶり」と言ったので見上げてみると、空に電線がかかり、そこに一羽の鳥が止まっていた。ロンドンでは電線は地下に埋められているため、電線のある風景はあまり見ないのだ。

住宅街を抜けると、林へと続く道路へ出た。道の両側に大小さまざまな木が生えている。上を見上げると、葉が空を覆って影を作っている。その隙間から木漏れ日が差す。美しい。少し歩くと、根っこがあらわになった大木を見つけた。おそらく、地滑りか何かで土が崩れ落ち、根っこが露出してしまったのだろう。半分むき出しになってもしっかりと地面を掴んでいる様は力強かった。その根っこの間から、小さな緑の芽が出ていた。大きなものに抱かれた小さきものの姿もまた、力強かった。
その道を歩きながら、「若草山の原始林道を歩いてるみたいだね」と娘と会話を交わした。昨日の夕焼け空に奈良の景色を見ていた私たちは、ここでもまた、奈良の景色を重ね合わせていた。自分が感じているものと同じイメージを誰かと共有できるっていいな、と感じた。

森の道を抜けると一気に空が開けた。開けた空に、目指す丘の上の塔が見えた。「ほら、見えた!もうすぐそこ!」と私が言うと「えー、でもまだ結構遠くない?」と言う娘。「すぐすぐ!ほら行くよ!」と気持ちの乗り切らない娘を励ましながら先へと進んだ。視界に牛の群れが現れ、反対側には羊の群れが見えた。THE 牧歌的風景。道のわきの灌木に、ロビンがとまった。ロビンは美しい声で鳴く小鳥だ。そのロビンも美しい声で朝のさえずりを聴かせてくれた。金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」を思い出した。「みんなちがって、みんないい」とみすゞは詠んだけれど、自由に飛べる上に、鈴のような声で鳴けるロビンは、私よりも鈴よりもいい存在のような気がした。

フェンス越しに羊の群れに近づいてみると、たくさんの子羊がいた。小さくてもこもこしてぴょんぴょん跳ねていて、かわいいをぎゅっと詰め込んだ生き物だった。そのかわいいの権化が、母親の体の下に頭を突っ込んでミルクを飲んでいた。その少し横には、子羊ばかりが集まっていた。「こひつじ幼稚園」と名付けたいような様子だった。そういえば、娘たちが通っていた幼稚園の未就園児クラスは「こひつじクラス」だったな、なんてことを思い出した。

羊の群れを横目に進んでいくと、ようやく塔のある丘の麓へとやってきた。どこからか音楽が聞こえるなと思っていたら、ヒッピー風のカップルが焚火をしていた。彼らと笑顔で挨拶を交わし、先へ進むと、丘から女の子が一人で下りてきた。娘と同い年くらいだろうか。ひとりで朝からこんなところに来る子もいるんだなぁと思っていたら、さっき通り過ぎてきたヒッピーカップルのところに合流していたので、あぁそういうことか、と勝手に一人で納得した。

私たちが歩いていたのはメインの登頂ルートではなかった。大通りから上ってくるルートはもっとなだらかでその分、距離も長い。私たちのルートは、距離は短いもののその分、結構な急勾配だった。娘は「え、めっちゃ急じゃん…」と少し気持ちが折れかけていたけれど「急だけど、その分短いからすぐすぐ!なんなら走って上る?」と声をかけると「絶対ムリ」と言って、彼女のペースのままゆるゆると歩いていた。一方の私は、なんだか気分が高揚していたので、早足で急斜面を上った。娘より先に丘の上にたどり着き、のろのろ歩く娘のビデオを撮った。娘の向こうには、広い空と牧草地帯が広がっていた。後ろを振り向くと、塔だけが、その空間の中の異質なものとして、そびえ立っていた。

丘の上には、既に何人かの先客がいた。皆それぞれに、周囲の景色を楽しんでいた。日差しはあるものの風が強く、少し肌寒かった。そんな中で読書をしている女性がいた。なにもこんな場所で本を読まなくてもいいんじゃない?と思わないではなかったが、どのように過ごすかは人それぞれだし、もしかするとこの場所で読むことに意味があるような内容の本なのかもしれない。
私と娘は、丘の頂上にある塔の中のベンチで腰を落ち着かせた。娘は少し疲れた顔をしていたが、顔色は悪くなかった。持参した水とジュースを飲んで喉を潤した。美味しい。登山とまではいかないが、やはり頂上で最初に口にするひとくちというのは、特別な気がする。
ベンチから上を見上げた。屋根がなく吹き抜けになっているので、空が見える。四角く切り取られた空。時折、その四角い空を鳩が横切る。その度に、糞を落とされやしないかと少しひやひやした。壁に開けられた細長い窓は、人の形に見える。この場所が修道院として使われていたとき、この窓から差し込む光を見て、人々は神の姿を見ていたのだろうか。
しばらくそこに座っていたが、日差しが恋しくなったため、塔の外に出た。そして芝生の上にレジャーシートを敷いた。ハローキティ柄の小さなレジャーシートは、私が保育園の頃から、つまり35年以上は使っている、年季が入っているにもほどがある、というほどに長く使っているもの。もちろん、娘の幼稚園や小学校の遠足でもこれを持たせていた。キティちゃんも、まさかこんなに長く使ってもらえるとは思わず、しかもイギリスの片田舎にある丘の上で広げられることになろうとは思ってもみなかっただろう。私はすぐにものをなくしたり、ダメにしてしまうことも多いのだが、このシートとは並々ならぬご縁があるということだろう。
そんな35年来の付き合いのキティちゃんの上に座り、娘はバナナとクロワッサンを、私はバナナとフラップジャックを食べた。吹き抜ける風を頬に感じながらバナナを頬張っていると、「奈良公園だと落ち着いてお弁当食べられないんだよね、鹿のせいで」と娘が言った。彼女は丘の上でもまた、奈良の景色を見ていた。「この辺にも羊やら野ウサギやらはいるけど、お弁当取りに来たりはしないから安心して食べていいよ」と答えると「うん」と頷きながらクロワッサンをかじっていた。
食べている後ろでトランペットを吹く音が聞こえた。誰かが塔の中で演奏しているようだ。力強い音が辺り一帯に響き渡っていた。中学校に入ってからフルートを始めた娘に、「あなたも持って来て吹けばよかったのに」というと「いやだよ。わざわざ人のいるところで練習したくない。あのトランペットの人みたいにうまくないし」とつれない答えが返ってきたので、「じゃぁ人に聞かせられるくらいうまくなるために、もっと練習しないとね」というと、返事は言葉ではなく鋭い睨みとして返ってきたので、それ以上は何も言わなかった。トランぺッターが練習を一度中断し、塔の外に出たので私はひとりでまた塔の中に入り、ベンチに座った。鳩がせわしなく小枝や草をくわえては塔の上部に運んでいた。巣作りをしているのだろうか。その姿を見ていて、急にあることを思い出した。

去年の夏、家族でエイブベリーという場所にあるストーンサークルを訪れた際、不思議な集団を見かけた。10人ほどの人たちが何かを手に持ってゆっくりと歩いていた。よく見てみると、彼らが手にしていたのはダウジングロッドだった。それを見て私は「あれがほしい!私もやってみたい!」と言ったら、家族みんなに白い目で見られた。しかしその年のクリスマスの朝、クリスマスツリーの根元に、こどもたちへのプレゼントと一緒に、私へのプレゼントとしてダウジングロッドが届けられていた。あのとき家族は白い目で私を見ていたけれど、サンタさんはそれを忘れずに聞き入れてくれていたのだった。
クリスマスプレゼントとしてもらったものの、冬のイギリスはいつも天気が悪く寒い。そんな中でダウジングをやる気にはなれず、そのままずっと放置していたのだけれども、今回、イギリス随一のパワースポットであるグラストンベリーを訪れるにあたり、この場所こそ、ダウジングしてみるべき場所だ!と思い、ロッドを鞄に忍ばせていたのだった。
そのダウジングロッドを鞄から取り出している様子を見た娘が「え、お母さん本気でそれやるの。やめてよ」というので、「別にお母さんひとりでやるだけだから他人のふりしてたらいいじゃん」というと、「今ここにいる人たちはさっきからずっといる人たちだもん。私とお母さんが一緒に来てるってこと、もうみんなわかってるもん」と反論してきた。「だとしても、別に誰も気にしてないし、ここは“そういう場所”なんだから大丈夫!」と私は応え、嫌がる顔をした娘をよそに、ひとり意気揚々とダウジングロッドを組み立て、手に持ち、歩き始めた。

L字型の棒を両手にゆるく持っていると、勝手に棒の先がぐるぐると動く。こんなにも勝手に動くものなのかと驚きつつ、ゆっくりと歩を進めた。棒は一瞬並行になったと思ったらすぐに左右別々の方向を向いたり、好き勝手に動き続けていたのだが、私が塔の入り口の前に立った時、その動きが止まり、左右に大きく開いた。偶然かと思い、再び歩き出すとまた棒は別々の方向を向いた。塔の入り口以外の場所で立ち止まった場合、棒の動きが止まることはあっても、左右に開くことはなかった。そして再度塔の前へ行くと、やはり左右に大きく開いたのだ。それが何を意味するのか、私にはよくわからない。その下に水脈があるということなのか、エネルギーの集まる場所なのか、ただ単純に私が無意識に棒の動きを止めていたのか。しかし、その場所でだけ動きが違ったことは確かだった。それを娘に伝えに行くと、「やっぱり変な目で見られてたよ」と冷めた顔で報告された。「あっそ、いいよ別に気にしてないから。それより当の入り口でグワって棒が開いたの!ちょっとあなたもやってみて!」というと「え、絶対イヤ」とあっさり断られた。仕方がないので「じゃあやらなくていいから、お母さんがこれ持ってる写真撮って」というと、それもまたイヤだと言われた。しかしそれくらいはやってよと強引にお願いし、写真を撮ってもらった。それを見せてもらうと、確かに我ながら怪しいおばさんだった。でも、満足だった。

もう少し風が弱ければそのまましばらく頂上でのんびりしていてもよかったのだけれども、なんせ風が強くてじっとしていると寒いので、私たちは丘を下りることにした。