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位置について、よーい、ドン!

静まった競技場のトラックに入る。スターティングブロックの位置を自分の指で測って調整する。一度、立ち上がり、後ろへさがる。「位置について」で再びスタート位置へ。さっき確かめたスターティングブロックに足を置き、両手をきっちりとスタートラインに添わせる。
ふぅっとひと息。
「よーい」で腰を上げ、間もなく鳴り響くはずの音に、全神経を研ぎ澄ませる。「パンッ」というピストルの音が静寂を破ると同時に、私は飛び出す。
あの頃の私には、向かうべき明確なゴールが目の前にあり、そこに向かって全力疾走していた。

私が中学で陸上部に入ったのは、小学生の時、みんなより走るのが速かったから。
速いと言われること、運動会のリレーの選手に選ばれること、1番にゴールテープを切ることが、単純に嬉しかったから。
でも、中学に入ったら、私よりも走るのが速い子は同じ学校の中にもたくさんいて、大会に出ればもっともっと速い子はもっともっとたくさんいて、あぁ、私が1番だったのは小学校の中だけの話だったんだ、と自分のレベルの低さと、外の世界の広さを初めて感じたのは、もしかするとその時だったかもしれない。

でも、その後も中学でも高校でも陸上競技を続けた。自分は誰よりも速いわけではないと知ってもまだ、平均よりはちょっと速い、という捨てきれないプライドと、他にやりたいことがなかったからだ。つまり惰性だ。

noteを毎日書くと決めて、2ヶ月が過ぎた。とりあえず、なんとか毎日続いている。けれど、それを続けた先にある、明確なゴールはない。どこに向かって飛び出しているのか、自分でもわからない。それでも、毎日書き続けている理由はやはり、捨てきれないプライドと惰性なのだ。

今まで、何ひとつ長続きしなかった私が変わるためのきっかけが、noteにあるはず。noteを続けることを、そのきっかけにしたい。私でもやればできると信じたい。その、自分はやればできるはずなんだという、捨てきれないプライド。
とりあえず、毎日続けていれば何かが変わるはず。何かを変えたい。でも、その何かは明確ではない。目標があいまいなまま、ただ続けている。惰性。

私を動かしているものが、その二つしかないなんて、なんだか情けないけれど、それでも、続ける理由があるだけ、いいじゃないか。どんな理由でも、そこにあるならそれを頼りに進めば、続ければ、いいじゃないか。

さぁ、どこに向かって走ろうか。
その先にある、まだ見ぬ世界へ
位置について、よーい、ドン!