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無価値感を手放す


昨日用事があったので両親のとこに行ってきたとき、幼少期に母親がよくヒステリーを起こしてた話になり、それをつい指摘したら
「それは、あなたが遅刻してたからでしょう」と言われました。

(遅刻する私はまだ6才くらいだったと思うし、その頃の母は28くらい。
学校や教師のいいなりじゃなくて、なぜ、私が遅刻をしてしまうのか寄り添って話を聞いたり味方になってほしかった。
学校に行きたくない理由があったかもしれないし。)
と今この瞬間なら思うのですが、昨日のあの場では「ああ、そうか…私が悪かったんだ」と自動思考してしまったのだから、人間の心理、脳って、一度思い込むと、その考えが染み付いてしまうんだなぁと実感しました。

昨日は家に帰ったら(なんか調子が悪い。ああ、両親に会ったからかなぁ)と思っただけで
自分の異変に気がついたのは今朝です。

今朝、起きたら、ヤル気がでない。

瞑想をして、自分の中の声を聞いたら
「わたしなんて価値がない。ダメだ」
小さい私が泣いていました。

それでまたインナーチャイルドワークをして自分を取り戻しこの記事を書いている私です。

表面に出てくれたから
癒やせるわけですが。

そう、私をずっと苦しめていた
無価値感は幼少期に植え付けられて
ずっと私の中にいたんですね。
(母親や父親にも背景があるのはひとまず置いといて)

自分には価値がない、生きる価値がないという
ことを無価値感といいます。

この無価値感はいろんな場面で行動を阻んできます。

例えば何が品物をネットで売ろうとしても
「あの品物に価値ってあるのかな?」
と思ってしまったら?
品質に自信がない場合、売るのを辞めてしまうかもしれません。

品物に自信があれば高い値段をつけてやる気に満ちてすぐに出品できると思います。

私達も例えば就職活動や恋愛、何かを人に頼んだりするときも同じで、自分に価値がないと思っていたら、行動できなかったりします。

まずは、そんな自分がいるなぁって思うこと。
そんな私はダメでもなんでもなく、必ず自分を取り戻すことができるのです。
むしろ、なんだかおかしいなって気づけた人は
感性も鋭く、生命力に満ちていてラッキーなんです。

だから、今日も少しずつ自分の好きなことを選択して、自分のことを抱きしめてあげましょう。

瞑想音楽を聴きながら、瞑想している間自分の身体(腰とか胸とか)そっと手を充てるのもオススメです。

今日も心地よい一日を過ごしてくださいね。

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