人生が変わる時
我ながら、妙な出会いの多い人生だと思う。見知らぬ人、初対面の人に意味深なことを言われる事が多すぎる。
そのひとつ、就職して二年目の秋、友人と赤羽駅で待ち合わせをしていた時のこと。
不意に作務衣を着たおじさんが目の前に立ち止まり「あなたは、自然と都市機能が融合した人だね」と言い去って行こうとした。
「シゼントトシキノウ」という普段使わない言葉、普段見かけない服装、諸々にあっけに取られつつも「あの、どういう意味ですか?」と問い返せたのは、きっと編集者になって取材する時の勇気を得たせいだと思う。
「…だって、そうでしょう?」と言って、一枚の名刺を渡すとおじさんは再び去って行った。
名刺には「自然 実(じねん みのる)」とルビがふってあった。
待ち合わせた友人に話しても「何それ?」と、この辺りの名物おじさんという訳でもなさそうだった。
娘が生まれて数ヶ月目のこと。
その日は夫の誕生日で、赤ちゃんに優しい宿とうたう千葉の温泉旅館に一泊した。ベビー用品の数々がそろっていて、スタッフの方々の心配りも行き届いていた。バウンサーの動きに喜ぶ顔を見たのは、この時がはじめてで、私たちが一足世界を広げると娘の新たな顔が見えることを知った。
部屋に夕食のお膳が出てきて、下げてもらえて、温泉があって、窓からは海が一望できる。こんな至れり尽くせり、産後はじめての体験。
夫は素早く食事を終えて、ゆっくり食べて、と娘を抱いてあやしてくれていた。
けれど窓からの景色に気がとられてしまう。
夕食時にも関わらず、ごめん、ちょっと行ってくるね、と目の前の海に走って行った。
とにかく、娘から片時も目が離せなかった時期。いや、目を離したくない、がきっとより当時の心情に合っている。ずっとずっと眺めていたかった。自分が人間だということさえ忘れて。
打ち寄せる波が岩に水しぶきを浴びせて、ドップン、ドップンと音を立てる。
ただよう水の中で砂が舞い、水面の泡を乗せて波は引いていく。シュワシュワと消えてまた、再び波は押しよせる。そんな間断ない様子に、新鮮に歓喜する自分を感じていた。
「あぁ。」
なんて素晴らしいんだろう。
などという言葉さえ、その瞬間はない。言葉にもならないため息のような音がこぼれる。
波の一定のリズム、生命そのものの抑揚に心おどる感覚がたまらなく心地よく、こどもの頃に戻ったようだった。ああ私って、こういう人だった。そのままずっと、海辺の景色の中に溶け込むように、いつまでもいつまでも佇んでいられそうだった。
部屋に戻ると、娘をあやす夫がいた。見慣れた光景だけれど、場所が違うせいかなんだかスペシャル感がある。
「ありがとう。海、よかった!」と言って、私は改めて人の作る夕食を心ゆくまで堪能した。
自然が好きだと思っていた。
いや、今でも自然は大好きだ。
けれど近所の公園では物足りなくて、人工的な音が何もしない静寂の中で呼吸したいと思うことが時々あるのは、田舎育ちだからかな、などと思っていた。
いつか友だちが言っていた、モンゴルの平原では自分の呼吸音しか聴こえないくらいの静けさに浸れる、という話を思い出しては、そんな場所があるなら行ってみたいと思うのだった。
けれどそれは、自分のルーティンな思考にハマった時に感じるのだということに気づき、私が求めていた自然とは「しぜん」ではなく「じねん」のことであったのだということも、後になってわかった。
自然の「自ら然る」そのありよう。
山や海や星々の、その本元に宿る力に響きあう自身の命を感じる時。感じて、その大いなる意志の織りなす美しさに、感動し歓喜する。
不完全でありながらも生まれ出た以上、関係しあう存在が確実にある揺るぎない真実。私たち個々の、そして全体の集合によって成り立っているそれはおそらく、寸分の狂いもなく完璧だからだ。植物も動物も、命はその命を分かち合い繋がりの中で生きている。変化し進化し続ける完璧さに、呼応していたい。そして思うのだ、ああ私は生きている、と。
人間なのに、人間に備わる欲求を忘れて生理的な安全を失う時、本能や感性を不自然に歪めてしまう時、べき的な思考で自分の感情や行動を制限してしまう時。そんな時、私は安心して私でいる事を忘れてしまう。そして何か「やらされている」かのように錯覚したり、頼まれてもいない役割や肩書きに刷り込まれたイメージの中を生きてしまう。
それは過去の居場所に求められていた役割であったり、女だから大人だから◯◯だからとその枠組みに囚われて、幻想のような「あるべき姿」を演じようとする。見事に自動的に、無意識のうちに。
そして求め出す。
私をあるがままの私に戻す自然を。
袖擦れ合う仲も多生の縁、一期一会のおじさんは、今どこで何をしているだろう。
さくらももこさんの『そういうふうにできている』を昔、出産した親友に勧めた理由も、改めて自分の中で納得がいく。
すべては、そういうふうに、できている。
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