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「アラサー」って言うのやめようかな。

「『アラサー』を使って一文を作ってください」
と言われたら、どんな文章ができるだろうか?

・もう立派なアラサーだ。
・もうじきアラサーになってしまう。
・アラサーなのにそれはイタい。
・アラサーになって初めて経験した。

ご存知の通り、『アラサー』とは和製英語のaround thirtyを略した言葉で、30歳前後の人を指す。

でもなぜだろう?
アラサーと聞くと、どこか自虐的でネガティブな要素が含まれているように感じるのは、わたしだけだろうか?

本来であれば、“30歳前後の人”というただそれだけの意味であり、そこにネガティブもポジティブもない。

しかし、アラサーという言葉を使うときは、「もう」とか「なのに」などという言葉が一緒についてきたり、ついてこなかったとしても、意味として含まれることが多い気がする。

あたかもアラサーは、“なりたくないけどなってしまう”もので、“こうでなくてはならない”という理想像があるかのような印象を与える。

でも、わたしは30歳ってすごく憧れる。

たしかに、世間一般的には、もう「若者」という括りではないかもしれない。(政界などは40代でも若者だったりするが…)

だけど、石原さとみだって田中みな実だってどんどん綺麗で魅力的になっていくし、松坂桃李だって三浦翔平だってますますかっこよくなって魅了されてしまう。

見た目だけでなく、何か確固たる芯が備わってきたような、それでいて新しいことにも貪欲に挑戦していける、そんな印象を受けるのが、わたしから見た30歳前後の人たちだ。

それなのにわたしは、自分が30歳に近づいてきた途端、「アラサーだ」と言っては、今の自分を無意識に自虐してしまっている。

世間一般の印象に自分を収めることで、どこか卑下して謙遜しているつもりなのだろうか、そこら辺は自分もよくわからない。

でも、アラサーだからと言って自分を蔑んだり何かを諦めたりするのは違うと思う。

憧れの30歳に向かっているのに、『アラサー』という言葉ひとつでネガティブになってしまうなら、わたしはもう自分のことを『アラサー』と呼ぶのはやめる。

わたしはわたしの、カッコいい30歳を目指して、やりたいことをやっていくんだ。


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