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大切な人たちを亡くして、「今」に向き合った29歳の1年を振り返る。

今年はわたしにとってどんな年だったかな。
そう振り返ったときに、頭にふたつの言葉が出てきた。

「死」と「今」だ。

わたしは29歳にして初めて、
人の「死」に直面した。

わたしが生まれたのと入れ替えに父方の祖父が亡くなっているが、産まれたてのわたしは当然その記憶はなく、物心ついた頃には父方の祖父がいない、という事実だけが残っていた。

それ以外の祖父母はみんな元気だ。
90歳を過ぎて、それ相応の老いや病気を抱えているものの、3人ともピンピンしている。

それ以外にも身の回りの人が亡くなるということがないまま28年間過ごしてきたので、テレビや本で見る「人の死」というものが、いまいち自分ごとにできない人間だった。

今年の2月。

父親からのLINEで、大切な人の死を知った。

その方は、わたしが幼少期に住んでいた家のご近所のおばさんで、本当に可愛がってもらった方だった。

両親は共働きだったので、わたしが風邪をひいた時には家で面倒を見てくれたり、週末はおじさんのクラシックカーに乗せてドライブへ連れて行ってくれたり、まるで第三の祖父母のように、わたしたち家族を見守ってくれていた。

わたしが小学生の時。
排水溝に家の鍵を落として泣きながらおばさんの家に行ったことがあった。
それなのに、強がったのか、子どもながらに遠慮したのか「自分で拾う!」なんて言っておばさんの家を飛び出し、わたしはひとりで排水溝と格闘していた。
おばさんは、こっそり懐中電灯と長い棒を持って近くまで来てくれていて、ひとりでは無理だと諦めて助けを呼びに戻ろうとしたわたしと目があった時、ちょっと気まずそうに引き返そうとした。
「拾えなかった」と弱音を吐くわたしを見ると安堵したように、持ってきた棒で鍵を拾ってくれた。

そんな小さくて温かいエピソードが、わたしの心にはたくさん詰まっている。

あんなに良くしてもらったおばさんに、結婚する姿も、子どもも見せることができなかったな、とも思い、本当につらかった。

おばさんはパンフラワーのアーティストだったので、小学校6年生の誕生日に、ピアノを習っていたわたしをイメージして、世界にひとつだけの作品を贈ってくれたことがある。

その作品は今でもわたしの狭い1Kの部屋に飾ってあって、毎日わたしを見守ってくれている。


わたしにとって大切な人がもうひとり亡くなったのは、今年8月のことだった。

以前も記事にした、同級生の死に直面した。


こんなに早く友人という存在を亡くすことになるなんて、全く想像できなかった。

いつもは年末年始に、高校のクラスメイト何人かと集まる予定を立てていたが、今年は誰も声をあげていない。

結婚した人たちが多いというのもあるが、個人的には彼女が亡くなってしまった今、集まるひとつの理由がなくなってしまった、と思っている。

それくらい、わたしたちにとっては大事な、中心的な存在だった。

奇しくも彼女の告別式は、わたしの誕生日の1週間前だった。
翌週の自分の誕生日、この日を迎えられることが特別に感じた。

わたしにとって、とても大切で、大好きだった人をふたり亡くして気づいたことがある。

「今」を後悔なく生きたい

という当たり前のことだ。

どこかに行く
誰かに会う
何かに挑戦する
欲しいものを買う
言葉にして伝える

どんな粒度でもかまわないから、とにかく「今」の自分の感情に正直に生きたい。

なぜなら、ひとはいつ死ぬかわからないから。
それは自分も他人も。

今年1年を振り返ると、本当にいろいろとやってこれたと思う。

・引っ越した
・仕事を変えた(ずっとやりたかった仕事に手を挙げて異動した)
・仕事でちゃんと成果を出した
・2年ぶりに彼氏をつくった(すぐ別れた)
・国内旅行しまくった(ほぼ毎週都外にいた)
・美味しい食事にお金をかけた
・美容にもお金をかけた(SK-Ⅱやまつパ)
・イメコンを受けた(今度記事にします!)
・地域活性化のプロジェクトも参加した
・会いたい友だちと会った
・15年の片想いにケリをつけた

30歳になる前に、やりたいことはやり切るぞ!という想いもあったけれど、そう強く思えたのは、やはりふたりの死が大きく影響していたんだと思う。

今年一年を振り返ったときに、
わたしは心から「幸せな一年だった」と思っている。

※激しい失恋と2回ほどあったが、もう完全に乗り越えて清々しい!!

来年はどんな年にしようか。
今すでにやりたいことがたくさんあるので、また新年の抱負にでもまとめたいた思う。

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