水面に夜明けて
揺らめく水面(みなも)が夕陽と溶け合うように、はたして僕らは、他者と溶け合うことができるだろうか。
人と人が、心の奥底で通じ合うことのできない空しさ。
笑顔で同じ食卓を囲むこともできない世の中で、関係性がとろけるとは思えない。
誰かと深く通じ合った時の記憶。
あの記憶が、僕らの心を滲ませてゆく。
その際に抱いた感情が「喜び」であれ、「痛み」であれ、「憂い」であれ。
他者の心を自らの心に映そうと、試みたあの時間。
…その時に流れる涙ほど、青く滲むものはない。
他者と"水明"のような関係を築くには、『記憶』が必須だ。
まるで、空から降り注ぐ陽の光を水面が記憶し、その光景を共に眺めた僕らの思い出が深まってゆくように…
だからこそ、子どもたちが大切な記憶を刻んでいくその機会を、大人が奪ってはいけないと思うんだ。
他人の気持ちが分からず、分かろうともしない関係性なんて、侘しいから…
外は綺麗な夕陽が差しているのに、家の中に独りで、友達と遊んだり、身体感覚を共有することができない…
そんな、誰とも通じ合えない記憶はなるべく減らしたい。
1人でしなきゃいけないことは多々あれど、独りでしなきゃいけないことは、そう多くないから。
独りだったからこそ生まれる表現もあるけれど、独りきりで闇夜をさ迷い続ける人の方が多いから。
「多様」な社会を流れゆく中で、他者と溶け合い、「単一」な関係になれたら、それはとても美しいこと。
多様から単一へ。
そしてまた、単一から多様へ、共に社会を流れゆく。
この移り変わりが、僕らを豊かにする。
溶け合った記憶がないと、見栄えのする色に容易く染まり、単一の中へ入り浸ってしまう。
一度染まった色を落とすのは難しい。
もっと多様な波が押し寄せた時に、混ざり合えず、圧し流されてしまう。
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『入り浸る多様性』と『溶け込む多様性』
方々で多様な個性に染まり、「この色もスキ!あの色もスキ!」と、己のフェチを多様化させる。
それが、入り浸るような多様性。
一方で、1人の内側に多様な色の個性を見つけ、そこへダイブし、混ざり合い、新たな色を共に作る。
それが、溶け込むような多様性。
…どっちが良い悪いもない。
赤く染まった水面に惹かれ、入り浸り、沈まぬ夕陽を願うこともあるだろう。
それはそれで、泡(あぶく)のように価値あるひと時だ。
祝い事にシャンパンを開けるようなもの。
ただし、、、
水面に映る夕陽の移ろいを、静かに受容するような心持ちを、忘れたくない。
他者の心の行く末を、自らの心へ映したくなったその機会を、逃したくはない。
それは、己に潜む心の水面が、夜明けを迎える準備ができた時だからだ。
決して、夜明けに流されてしまわぬように。
水面に映った感情の奥に潜り込み、そこで見つけた光を、他者へ向けられるように。
スキを通じて見つけた光は、大切な人を照らすためにあるのだから。
共に、夜明けを迎えたい。
朝陽を待ち侘びて。
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他者の日常を想像し、共に、非日常を創造したい。
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『孤独な夜が明け、いざ朝を迎えようとしている君へ。』
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