やさしさの定義とは?#91
「だれにでも情をかける人は、薄情になる。」
と、所属するコミュニティのコルクラボに来てくれた朝倉祐介さんが、話してくれた。朝倉さんは、スタートアップを立ち上げ、mixiの建て直しも行った方。
なんとなく喉元に深く残ったこの言葉からつながって、やさしさの定義を、はじめて考えた。
やさしさって、
「差別が一切なく、人に対等であること。」
だと、ぼくはずっと履き違えていた。対等に食べ物を取り分け、対等に給料を払い、対等に話しかけるような感じ。でも、それは違ってた。やさしさはたぶん、きっと、2つの要素からできてる。
ひとつめは、
「かたより。」
たとえば、社長が全員の社員にかたよりなく対等に接するとしたら、それはやさしさじゃなくて、「平等」とか「公平」なのだと思う。
でも、一人一人社員の能力は違う。貢献する度合いも違う。会社への愛着も違う。だから、平等なだけで会社が傾いたとしたら、だれも救えない。差別するとかじゃなくて、シンプルに誰かにかたよる覚悟が必要なんだろうな。
かたよるからといって、結果的に他の社員に不親切になるということはない。でも、かたよりは人との間に差分を産み出すから、かたよることで生まれる差分に、腹をたてたり、文句を言う人も出てくる。
その軋轢を引き受ける覚悟がないんだとしたら、まだ、やさしさが足りない。
二つ目は、
「踏み込み。」
かたよった自分の感情がこぼれ落ちて、相手の感情と混ざり合うところまで踏み込まないと、やさしさにはならない。
どれだけ自分の発言が正しくても、どれだけ合理的でも、相手の一部に踏み込んでいって、混ざりあったものでなければ、それはただの尊敬ぐらいで、とどまって終わる。
やさしさを傾けようとすると、自分のいる領域から相手がいる領域に、一歩踏み込む必要がある。ぼくは自分のいる領域からしか相手に声をかけていないから、いつまでたっても、それはやさしさには変わらなかった。
「かたよって、踏み込んだとき。」
に、やさしさが生まれるんだといまさら知った。
「そんなこと、知ってるよ。」
なんて言われてしまいそうだけど、今までそんなこと、だれにも教わらないままだったから、知らないままだった。
かたよらず、踏み込まず、自分のいる場所からいつも遠くを俯瞰して見ていた自分は、公平だったかもしれないけど、やさしくはなかったのだと、今さら知った。
読んでくれた方、ありがとうございます。やさしさの定義を知って思い知ったのは、自分がやさしくはないってことだったけどさ。
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