憲法に守られていたんだなあと、心から感じる2年間
自民党の茂木幹事長、参院選後の「憲法改正」について言及されましたね。
こういう流れになるであろうことは、ずいぶん前から言われていましたから、やっぱりかという感じです。とはいえ、今のこの国の状態で、政権与党の要職にある方の口から聞くというのは、かなりこたえるものがありまして、しばし放心状態になりました。
初めて日本国憲法を読んだとき(中学の公民の授業だったと思います)、すごく感動した覚えがあるんですね。前文だけでも、すごいじゃないですか。難しい言葉が使われていることもあってか、荘厳な感じがするし、言ってることは壮大だしで、とにかく「すごい!」と思った記憶が鮮明に残っています。憲法は国家権力を縛るものだと習ったことも、忘れてはいません。それが、月日は流れーー
まさかの権力者が、憲法を変えようとする事態になるなんて。そんな動きがありながら、安倍政権下の選挙、自民党はなんだかんだいって強かったですね。
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ここまでで、もうお分かりかと思いますが、私は、憲法改正に反対というスタンスで、区分けをするならば、いわゆる護憲派です。これまでは、こんなこと人様に言わなくてもといい(言うべきじゃない)と思って生きてきましたから、こうして書いている自分にすごい違和感を覚えます。でも、書かずにはいられなくなって。このときのような気持ちでしょうか↓。このときは、コロナ・ウクライナ戦争の報道に対して感じることを述べました。
「一方向しかないような報道が」という部分が、ここでは「憲法を変えようとする権力者たちが」になるでしょうか。
私は、この憲法がたとえ押し付け憲法だとしても(私自身はそうは思っていませんが)いいものはいいでよくない?と思うんです。理論的じゃないと言われようと、単純すぎると笑われようと、いいものはいいと思う。
まあ、逆もまた然りですから、悪いものは悪いという人たちがいるのも理解はできます。ただ、こんなに理論的ではない私から見ても、それはちょっと違うんじゃないかな?と思うような発言を、いわゆる改憲派の人はしている気がするんですね。皆が皆というわけではないと思いますが。
たとえば、9条。「憲法9条では国を守れない」というのを、けっこうな頻度で見聞きします。そういうときのシチュエーションは決まって「攻め込まれたら」なのですが…
そもそも、憲法って権力者が守るべきものですよ?攻め込まれたらというシチューエーション、何か9条と関係ありますかね?
9条は、権力者が暴走して他国へ攻め込まない(戦争を仕掛けない)ようにするためのものです。ちなみに、攻め込まれた場合は自衛権が認められていますよね。
なので、「積極的に他国へ攻め込んでいきたい」「自衛権だけでは心許ないから、もっともっと軍事力を強化したい(=軍隊を持ちたい)」ゆえに9条がいらない、ということなら分かります。そして、そこまでいうのなら、国のカタチから変えましょうよという話だと思うんです。
けれど、今やろうとしていることって、意外とみみっちくないですか?勇ましいことを言うわりには、結局アメリカに守ってもらうことが前提になっている気がするのですが。最近では、完全にアメリカの犬ですよ?(犬、ごめんね💧犬は大好きです)
と、9条に対して思うことを述べましたが、私は長らくこの9条が改憲の本丸だと思っていたんですね。しかし、違いましたねえ…
緊急事態条項の創設、そして97条の削除。これが本丸だったんだと気づいたときには、なんともいえない絶望感に襲われました。
改憲後の世界を想像すると、真っ暗闇しか見えません。すごく怖くなります。
そんなとき、ある種の逃げなのかもしれませんが、今だけを見つめてみるんです。すると、こう確信します。
今の憲法があるから、このおかしげな2年間を過ごせた。
つい、改憲されたら…と悪い方にばかり考えてしまう憲法が、やっぱり私にとっては希望で。
この憲法を守ることは、私だけの希望ではないとも思うのです。
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