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喫煙所

本文

「マサオと喧嘩しちゃった。どうしてあんなこと言っちゃったのだろう」

 山尚幹夫は独(ひと)り言(ご)ちた。
 彼の端正な顔立ちは空を向き、その瞳にはぼやけた月しか映っていない。

「いったいった。逝くのはだれだ? ハイ俺さ」

 そのぼやけた映像は、瞳の泉をこぼさない彼の努力によるものだけではなかった。
 風に吹かれて揺れる月。雲に見えたそれには彼の鼻腔を苦く甘く焼き続けていることに不意に気づいて振り返った。先ほどの独白に返事があったことにも彼は驚いていた。

 背中の摺りガラスには街の灯を受けて人の影がある。彼もしくは彼女の煙草の煙がどこからか漏れていたのだろう。


 今どき煙草なんて吸う輩にろくな奴はいないと父も母もいう。
 しかし、幹夫は父母の言うことを信じる素直さと、自分で見たものを正確に判断して比較する知性を持っていた。
 正しく、愛されて育ったという圧倒的な自信は万の才能に勝る。


 その幹夫の整った顔を飾る皮のジャンバーや膝丈のパンツ、ロングスパッツは彼の中性的な魅力を高めているが、同時にこのようなメッセージを周囲に放っている。


『この子に手を出したら、金の力でひどい目にあわせるぞ』


 折しも今日はハロウィン。
 ヒーローマスクをつけた男たちが『あいつは何処に行った』と叫んで走り回り、格闘家が多数在籍する某警備会社員が警察と共に群衆に呼びかけを行っている。


 幹夫はその呼びかけをまるで聞いていなかった。
 街中に残された埃とゴミが積もった喫煙所。


 その中にいる影の主が彼に話しかけてくれた。
 彼の孤独に寄り添ってくれた。


 それは幹夫の思い込みにすぎなかったのかもしれない。
 しかし、彼はなぜか先程の意味不明なことばによって救われたのだ。

『言葉は意味を失った時、声になる』

 誰かがそう教えてくれたっけ。幹夫はその作品を思い出そうとする。今どき本を読むのは少数派なのだが幹夫はその例に漏れた存在である。


「ねえ。さっきの、なんだって」

 期待せず、声をかけてみる。相手はただ携帯電話で知人と会話していただけかもしれない。
 しばしの沈黙。恥ずかしくて青かった幹夫の頬は少し赤らむ。

「なんだって? 喧嘩した? 大変だ。なんとかかんとじゃ意味がない」

 驚いた。うれしかった。

「無理だよ」

「無理なんてないのだ!」


 埃がかったガラス戸が開き、ハロウィンらしいピエロのコスプレをした痩身の中年男性が顔を見せる。
 血まみれ。そして泥まみれ。有名な殺人デュランの姿をした彼に幹夫は思わず吹き出す。


 何故なら彼は股間の窓から手を伸ばして飴を差しだしてきたからだ。

 どうやら彼の右腕はよくできた詰め物で、幹夫を励ますために下品なジョークをやってくれたのだろう。 
 その腕は血に染まり、よくよく見ると機械のそれは時々出鱈目な動きで刃物のおもちゃを天に振り回している。

 ピエロの姿をした彼はその義手をぽいっと気前よく棄てた。
 ゴミ箱にストライク。


「友達と仲直りしたいのに、勇気がわかない」

 月を眺めながら幹夫は独白する。

 沈黙。

 不安になって横を向くと長々とした紫煙を吹く彼が見えた。

 彼の視線を追うと、町の人々が見える。

「ゆうき? 幽鬼? 誘起! いう気がない?! それはおかしい」
「そうだね。おじさんに話しているのだもの。おかしいよね」


 二人は沈黙し、狂態を示す人々をじっと眺めていた。

海外から来た人々同士が喧嘩をして、互いが川に落ちた。本物のC級ヒーローたちが救助に当たっている。

「お疲れ様です!」
「はは。だよね。おじさん」

 素っ頓狂におどける彼に笑って応える幹夫。
 おじさんは適当といった様子で彼自身の手の甲で火を消した。

 皮膚の焼ける香りに幹夫は苦笑い。よくできた手品である。

「キズナ! 気渦(きうず)な、窮鼠(きゅうそ)な!
 それが俺たちの空条(くうじょう)だから! へいわけんぽう万歳!」
「うん。なんとなくわかるよ。だれかがいて、ぼくがいるのだもの」


 大人たちの言葉は常に空虚だということを幹夫は知ってしまっている。
 彼らが行うアドバイスは後悔と自慢に入り混じった自分語りだ。

 だから、意味のない、あるいは頓珍漢なアドバイスが返ってくるのだ。
 幹夫は大人にあまり期待していない。でも愛情はわかる。わかるのだおじさん。


「そうだね。僕はマサオにひどいことを云っちゃった。言葉は戻ってこないけど、僕が何かをしたからってマサオの家が裕福になるわけでもマサオのママが優しくしてくれるわけでもないだろうけど……」

「マサオ? まぞお! まったくもって嘆かわしい!」
「うん。僕は無力だ。だけどやれることがまだある気がするよ」

 男らしく、例えばデュランに挑むヒーローのように勇気を振り絞って。
 それは多分、暴力の怖さを知らない彼には単純な暴力にさらされるより想像の上では恐ろしいのかもしれない。


 あの時、彼を助けてくれたヒーローの女性二人は、C級だった。
 ヒーローというよりヒロインかもしれない。
 彼女らは幹夫たちが通っていた塾を襲撃した物理無効化能力を持つデュランに敢然と立ち向かってくれた。

 そんな二人はもともといじめっ子だったと後で聞いて『人間は善悪で割り切れるものではない』と幹夫は知ってしまった。

 平気で楽しみで人を傷つけ、その手で誰か弱いものを守るべく敢然と挑むこともある。
 そして都合のわるいことはスコンと忘れて、いまの街にはびこる大人たちのように明日を生きていく。

 あ、あのお姉さんゲロ吐いて寝た。
 あ、よかった、ヤクザっぽいおっちゃんが助けた。
 早く早く救急車。
 警備員たちと共にキャッチぽいお兄さんたちも交通整理に協力。


「ね、おじさん」

 紫煙は月に伸びていく。
 喫煙所から出てきた中年男性と幹夫は共に街の狂態に瞳を向けて、その心はお互いに向けて呼びていく。
 今、二人は確かに手をつなぐより確実に心を通わせている。そんな妄想を幹夫が信じる程度には。

「池! 行け! やりあえ! 絆だから!」
「うん。僕やってみる。それに、マサオといっぱい勉強しなおしてみる。
 マサオ、勉強めっちゃ嫌いなんだよ。でもうちにいたら少しは……マサオのママも良くなるかもしれないし、酒臭いけどたまにマサオを強く抱きしめてあげるんだ。あの人」


 幹夫は後にその日は新月だったことを知る。

 幹夫はその日、殺人ピエロの姿をした大物のデュランが暴れていたことを知らなかった。狂気に祝福されたデュランの彼には争いこそがヒーローたちとの友情の証なのだと幹夫が知ることは今後もない。


 幹夫はマサオと助け合い、共に大学を出て今の地位にいる。


 幹夫もマサオも子供のころ憧れたヒーローにもデュランにもなれなかったが、世の為に少しでもなるよう、書斎を近所の子供に開放したり、なんとなく始めた子供食堂が上手くいったり、法律相談など副業は順調。こちらの方が有名なくらいだ。


 今日は本業における大口取引先との折衝があるが、マサオと一緒なら何も恐れることはない。

「マサオ、月がきれいだな」

「おい、しっかりしてくれ社長。今日は新月だぜ」


 いや。
 幹夫は苦笑いした。


「ぼくには、見えるんだよ。今日も綺麗な月が出ていることが」

 煙草は吸わないけど、ぼくらにはこれからも、ずっときっと。 

イマジネーションの元

 カッコいい。めちゃくちゃ。はづKingさん事後報告にも関わらず、寛大にも使用許可してくださりありがとうございます! 

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自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生