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【小説】片腕の兄弟


 急にふらっと見知らぬ街に出かけることがあった。学生時代に始めた遊びで、通学定期券内の一度も降りたことのない駅に適当に降りるのだ。そしてふらふらと散策する。観光名所はあってもなくてもかまわない。特に店にも入らない。歩き疲れたときに喫茶店で休むくらいのもの。ただ街自体を見て回るだけ。これが結構楽しかった。

 社会人になってからでもその小旅行の楽しみは続いた。見知らぬ街で電車を降り、ただふらふらと散策する。自由になるお金が増えたこともあり、少し遠出もするようになった。休みの日に電車に乗り、適当な駅で降りるのだ。そして半日から一日かけてあてもなく街を歩く。腹が減ったらその辺の店で食事をとる。手っ取り早く非日常感と自由さを味わえるのが快感なんだと思う。

 しかし、やがてその小旅行もやらなくなってしまった。私は今や三十代になり、生活に追われ、自由な時間はほとんどなくなってしまった。出かけるのには目的が必ず付随し、パートナーとの行動が増え、義務と責任がまとわりつき始める。「一人で気まま」というのがぜいたく品だったと気づくようになる。

 だから、ふと昔のことを懐かしく思い出すことがある。次に語る物語も、そういった若かりし自由な頃の話である。ただ私にはこの物語が何を意味しているのかいまだに図りかねている。しかし、この出来事が私を変えてしまったのは間違いなく、だからこそ何かの度に思い返してしまうのだ。私にできることはその事実を認め、受け入れるだけである。



 そのとき私は二十五歳で、新卒で入った不動産会社の営業の仕事にうんざりしていた時期だった。眠れない日々が続き、ついには休職するにまでいたった。クリニックに通い、カウンセリングを受け、頭がぼんやりする薬を処方された。簡単に言うと、人生の袋小路に迷い込んだ時期だった。

 そして、交際していた女性と上手くいかなくなってしまった時期でもあった。彼女とは知人の紹介で二年前に知り合った。私より二つ下で、地方銀行に就職が決まり、新しい人生のステージを歩み始めた時期だった。社会人としての希望を胸に生きる彼女との間には次第に距離ができつつあった。私は方向性を失い、深い森の中でさまようような日々を送っていた。そんな時にあの出来事は起こったのだ。

 あの夏、私は久しぶりの小旅行に出かけた。行先は千葉県のK市。古い街並みが残る観光地だ。旅に出ることに決めたのは前日の夜だった。突発的な衝動と言っても良いだろう。

 早朝に江戸川区のアパートを出て、K市に着いたのは昼前だった。観光名所は川沿いにあった。古い家屋が建ち並び、売店が並んでいた。訪れている客は老人ばかりだった。観光地はそれほど広くなく、一時間も歩けばすべてを見ることができた。そば屋で昼食をとり、店を出ると午後二時になっていた。

 日差しが強く、私は涼をとるために近くの神社へと向かった。川沿いの道を進むにつれ、次第に観光客の数が減っていった。みな名所以外には行かないのだろう。観光地から少しでも外れると、K市はただの田舎町だった。古い情緒ある街並みは消え、普通の家並みが現れた。昭和に建てられた、ただ少し古い家々。

 長い階段を上って神社へとたどり着くと、境内では社の改修工事が行われていた。境内に土木作業用のトラックやショベルカーが停められていた。しかし、人の姿は見当たらなかった。参拝客もおらず、私はその神社を独り占めすることができた。周囲は林に囲まれており、生い茂る木々が熱い太陽をさえぎってくれている。

 社へと通じる道には、トラ柄模様の工事用フェンスが建てられていた。そのフェンスの中に何か動くものがあった。何だと思って近づいてみると、それは丸太だった。台車にのった丸太がゆっくりと社に向かって動いているのだ。台車は地面にひかれたレールにそって動いていた。そして丸太の両脇には二人の男がいた。

 二人の男は全く同じ顔をしていた。双子なのだろう。背はあまり大きくないが、体つきはたくましかった。黒いTシャツを着ており、筋肉ではちきれんばかりになっている。髪は天然パーマで、顔は日に焼け赤黒い。大粒の汗がしたたっている。目はうつろで、魂が抜けたかのようだった。

 そして何よりも特徴的だったのは、彼ら二人ともが片腕だったことだ。一人は右腕がなく、もう一人は左腕がなかった。まるで二人を合わせると一人の人間になるかのように。彼らは丸太の両脇に立ち、自分が所持している方の手で(つまり右手がない方は左手で、左手がない方は右手で)丸太を押していた。

 ゆっくりと。とてもゆっくりと。

 その光景は、なぜか私の心をとらえて離さなかった。私はその場に立ちつくしていた。

 どれほどの時間が経ったのだろうか。不思議なことに、気がつくとすでにあたりは夕暮れになっていた。そして片腕の男たちは消えていた。丸太は社の前で停止していた。腕時計を見るとすでに午後六時を回っていた。

 一体何が起こったというのだろうか? つい先ほどまでは昼すぎだったはずだ。意識が数時間分なくなっている。この数時間、私は何をしていたのか。ずっとこの場所に立ち続けていたのか。そんな馬鹿なことがあるのだろうか。今までの人生でこのような出来事は初めてだった。私には夢遊病の経験などなかった。貧血で意識を失った経験すらなかった。アルコールには弱かったが、それでも意識を喪失したことは一度もなかった。

 私は携帯電話を確認したが、なぜかバッテリーは切れていた。仕方なく私は神社をあとにした。K市から自宅までは二時間近くかかる。帰りの電車の予定時間はとうに過ぎている。

 私は駅の方へと向かった。しかし、どういうわけか道に迷ってしまった。来る時と見える景色が違うため、どこかで曲がる場所を間違えたようだった。私は方向感覚に優れた人間ではなかった。小さいころからよく道に迷うことがあった。地図を読むのも苦手だった。車の免許も持っていないのだ。

 その通りには古びた蔵が建ち並んでいた。蔵はコンクリートでできており、かわら屋根の二階建てだった。二階にはひさしのついた窓があり、一階には木の扉がついていた。窓の上には蔵ごとに番号が書かれていた。一階と二階部分のあいだに裸電球がつらされていた。それ以外に装飾のようなものはなかった。のっぺりとしたコンクリートの壁が連なる姿に圧迫感を覚えた。

 私は足早にその道を歩いた。何となく居心地が悪かったのだ。すると、急に蔵の壁につるされていた電球に明かりが灯り始めた。パチパチと音を立てて次々に灯っていく電球を私は呆然とながめていた。かわら屋根の向こうの空が、青黒い夜の闇を帯びていることに気がついた。腕時計を確認すると七時になっていた。

 おかしい! さっきまで六時を回ったばかりだったのだ。それからすぐに神社を出て、駅に向かってわずかに歩いただけである。時間にしたら十分くらいしか経ってないはずだ。何かが私の身に起こっている。意識喪失の症状。

 私は深呼吸をした。そして両手を閉じたり開いたりした。幸いなことに手は思い通りに動いた。大丈夫、意識はしっかりしている。しっかりしているはずだ。とにかく私は人通りのある所に出ようと思った。一刻も早く日常の空間に身を置きたかったのだ。

 私は川沿いの道に出た。するとそこには着物姿の人々が歩いていた。私は人の姿を見てホッとするとともに奇妙な感じを受けた。着物の人々が私の知っている人々とはどこか違うのだ。それは微妙な違いだった。例えば欧米の人から見るとアジア人はみな同じ顔に見える。しかし私たち日本人には中国人、韓国人、そして日本人の違いはどことなく分かるものだ。私が受けた奇妙な感じはそういった微かなものだった。

 私はこの違いがどこからくるのか突き止めたいと思い、彼らのことを観察し始めた。まず立ち居振る舞いが違う。どことなく高貴に感じる。ゆったりとした足取り、穏やかな表情。そして、着物だ。着物が妙に彼らになじんでいるのだ。まるで毎日来ている日常着のように。そこまで見て取ったとき、なぜか私の脳裏に「大正時代の人」との思いが浮かんだ。大正時代の人々の亡霊が歩いているのだ。私は急に恐ろしくなり、今来た道を引き返した。とにかくその場から一刻も早く離れたかった。

 再び蔵が並ぶ通りを歩き始めたとき、目の前を暗い影が通った。何かと思って周りを見回しても誰もいない。しかし、蔵の壁には人影が写っていた。トレンチコートに山高帽を被った男の影だ。それも一人ではない。五、六人の男の影がコンクリートの壁に写っていた。影たちはせわしなく動いており、何かを探しているようだった。

 私は自分がこの影の男たちに追われているのだと思った。どうやら私は立ち入ってはいけない場所に入り込んでしまったのだ。しかも、彼らの雰囲気から察するに、謝って簡単に許してもらえる状況でもなさそうだった。

 私は思い切って走り出した。とりあえず神社まで戻るのだ。あそこへたどり着いた時から状況はおかしくなってしまった。そこから私は迷子になってしまった。いや、実際のところはわからない。もっと先の時点から私は迷子だったのかもしれない。

 神社の境内には再び片腕の兄弟たちがいた。彼らは目を丸くしてこちらを見ていた。その表情は、深い哲学的思索に陥っているようにも見えたし、何も考えてないようにも見えた。

「元の世界に帰してくれ!」

 私はなぜか片腕の兄弟たちにそんな言葉を発していた。でも、もしかしたらそれは思いこみで、単に心の中で発していただけかもしれない。今となっては記憶は定かではない。

 兄弟たちはしばらく黙っていた。それから何やらひそひそと話し始めた。やがて左手のない方が私に向かって何かを言いかけた。しかし、結局それははっきりとした言葉にはならず、彼は首を振り口を閉じた。

 私は兄弟たちとしばしのあいだ見つめ合った。そのうち右手のない方が、仕事は終わったとでも言わんばかりの態度で手を払った。私に向かって「行け」と合図しているように見えた。

 不思議なことにさっきまで私を支配していた不安は跡形もなく消えていた。何というか、憑き物が落ちたかのように私の心は解放されていた。私は二人に一応頭を下げて礼をし、神社を後にした。そして再び駅へ向かった。

 街はもう元通りに戻っているようだった。途中で携帯電話が鳴った。見ると彼女からだった。なぜかバッテリーは復活していた。私は電話に出ようか迷ったが、結局出ることにした。

「何度も電話したのにつながらなかった。一体何してたの?」

 彼女が言うには、今日の夕方から数回電話をかけたがずっとつながらなかったらしい。「誤って電源を落としてしまったんだ」と私は彼女に言った。それ以外に上手く説明できそうになかった。彼女に用件を聞くと、ただ急に話がしたくなっただけと言われた。その時、私はなぜかとても安堵したのを今でも覚えている。 



 私の話はここで終わる。その後、彼女とは一年の交際を経て結婚することになった。仕事にも復職することができ、私は再び真っ当な人生を歩み始めた。嬉しいことに結婚の半年後には子供を授かることにもなった。人生は順調だ。もちろん些細なトラブルはある。しかし、何とか乗り越えていける。私は責任と義務を背負い、またそれらを生きるエネルギーにかえ、日々を乗り越えていっている。何も問題はない。

 しかし、ときおりふと考えることがある。あの時あのまま大正時代の人々のところへ行ってしまったらどうなっていたのだろうかと。もちろんあれらのことは神経症だった私の極度な思いこみ、もしくは白昼夢のたぐいであろう。私の中ではそう片付けている。そうしなければ私は不動産の営業は続けられないし、結婚生活も維持することは出来ないだろう。それが責任と義務の人生におけるルールである。

 ただ、やはり私の心の片隅にはあのまま別の世界に行ってしまったらどうなっていたのだろうとの思いがあるのだ。この世界には別の世界につながる扉があって、それはふとしたきっかけで開くことがあり、そしてその扉はその時その瞬間にくぐり抜けない限り閉まってしまうのだ。今の私ではもう片腕の兄弟たちに出会うことはできないだろう。

ありがとう