旅人が僕の中で冒険者になって。いてらさんのnoteを拝見。(2020年6月分)

このシリーズです。3回目! 環さんはnoteの過去ログを読むことを「鬼読み」と表現されるのですが、スキボタン押して、通知うるさくしてごめんなさい……。

👆覚悟決めてマガジン作りました、ほんとすみません……。

アメリカに着いて、さっそく予定外の状況に放り込まれるいてらさん。どうしてこうなったから、強く影響を受けた先生の話に。

昨日まで知らなかった人々。
きっと二度と会うことのない人々。
ボナンザ・バスで乗り合わせただけの、
人生の中で一瞬、交差しただけの人々が、私の人生の一部になっていく。
https://note.com/itera/n/n0e99b1fab79a

引用した一節は、旅する生き方を選んだ人達に共通する、哲学に思えます。一期一会と重なる間隔だと思うけど、旅をしないと体感しにくいと思うのです。

日陰ばかり裏道ばかりを選んで歩く少女は、少しずつ癒やされていけると思う。
https://note.com/itera/n/n4dbb56527cbc

文章から浮かび上がるいてらさんと、いてらさんの自己認識は大きなズレが有る気がします。後のnoteでも、この話題はリフレインしますね。

いてらさんは青春に何を求めていたのでしょう。

タイトルに引っ張られて、TM NETWORK『8月の長い夜』が脳内で流れました。これ、親御さんの立場で読んだら悲鳴上げると思う……。異国の洗礼が恐ろしすぎるし、結果的に悪人では無い人を選べたから、いてらさんがこの世にいるわけですし。(悪人は避けたけど、困った人に当たりましたね)。

悟りを開いたあたりは、たぶん、『レオン』のマチルダの同じ目をしてた気がします。お疲れ様でした。国が違うとはいえ、「どういうことかな」と頭抱えますね。

いてらさんの日常が語られます。テントのデザイン素敵。ウグイスといえば、どんくさい子いません? 「ほーけけきょっ、けきょけきょ」みたいな感じで、ずっと練習中な子。あの子はちゃんと、恋の歌を披露出来たのかな。

9.11から20年経ちますね。会社から戻ってTVつけて、ビルの崩落を見ました。私の個人の考えなのですが、原理主義はテロに走りやすいから怖いです。日本人も日本赤軍とかテロリストいるけど、一般の人はテロを起こしたりしませんよね。でも、そんな理屈、通用しないだろうな。多民族国家で同じ人種がテロを起こしたら、立場なかったと思う。テロの被害者だけでなく、多くの人が日常を壊されたのでしょうね。

ああ、なるほど。このnoteを読んで、幼いいてらさんが何を気にされていたのか、分かった気がしました。私は、私が大人になるしかない環境だったので、子どもらしくないことで悩まずに済みました。でも、いてらさんは違った。

なるほど。気になったり感情移入したりしますけど、内心の自由というか、まったく害が無いので問題ない気がします。なんなら、小説の題材になさっても吉。

荷物を大きくせず、傘を持たせず、雨も降らせない。と、人ならいてらさんの苦手なことに気をつけられても、お天気は勝手に降りますもんね。海外と日本では文化も違うし。

留学して、お友達も出来てる。順調。

バックパッカー時代の、マレーシアでの出来事です。ご高齢で、おそらく一生背負ってきた方でしょうから、言葉が通じなくても悪意の有無くらい読み取る気がするのです。私がいてらさんの立場でも、驚いたと思う。善悪を論じてるのではなくて、反射的な行動って、ありません?

日本の「無宗教」って、宗教に対する無関心だと思うのです。自然崇拝・神道・修験道、仏教なら宗派たくさん。大抵お葬式は仏式ですよね。結婚式はチャペルで挙げる方もいるし、神社に初詣や七五三で行くし厄除けなどもお願いする。道祖神やお稲荷さんもある。クリスマスだって、もとはキリスト教由来です。昭和末期・平成初期にはハロウィン無かったのに、令和の今は昔からの伝統みたいな顔してお祭りやってますし。気にせず、闇鍋みたいに受け入れて、イベント化するのが日本の風土かもしれません。これ、他の文化圏の方に説明する自信無いです。

祈る姿は美しいですし、座禅するお坊さんも綺麗だと思います。もしかしたら、集中力の在り方に惹かれたのかも。

健全。影が濃いというより、自立心が高いのではないかなあ。自己形成する過程で、殻を割ろうと頑張ってる姿が描かれます。僕は思うのですけど、これ、青春じゃありませんか? 私になろうともがく姿、まっとうだと思うなあ。

バックパッカー編、ベトナムが舞台。「私が知らないかもしれない」という可能性を、いてらさんは大事にされているのですね。

幸運では片付かない、「何か」を感じられたのですね。「車に乗った」の時点で悲鳴上げてますので、よくご無事で……。6回引き金を引いたのに、リボルバーが故障して、ロシアンルーレットが成立しなかった感じというか。

日常エッセイ、結婚について。色々あるけど、続けられるのは何故か、いてらさんの視点。

こちらは、思い出エッセイですね。言葉で捕まえると安心しませんか? それとも、消えてしまわないように書き残したのかな。思春期あるあるかなって、受け止めました。

誰も居ない竹寺で、この時の私は完全無欠で満たされていた。
https://note.com/itera/n/nb62c3b9921ff

多感な時期とフットワークの軽さの掛け算かもしれないですね。台風だから家にいましょうという価値観だと、こぼれ落ちてしまうものだと思う。留学時やバックパッカーをなさってなくても、日常のあり方が「旅」の方だなと読みました。不思議なことに、アクティブだから「静と動」の動とは限らないこと。いてらさんは、両方バランスいいので。

いやいやいや、いやいやいや。4分て。「知らない人について行ってはいけません」て世界を生きていたら知らないまま過ごす物事ですね。強運というか、なんというか(絶句)

とはいえ、16歳で👆この修羅場を経験してる方だから、なんとかなったのかも。旅人というより、冒険者ですね。強い。場数が違う。

いてらさんの家族の物語。私は長子の長男なので、歳の離れたお兄様がいらっしゃるのが、少し眩しかったりします。9.11と留学が重なったことも印象的ですが、阪神淡路大震災の時に、お兄様は大人への一歩を踏み出されたのですね。

日本語で文化背景が近くても、結婚して家庭を持って、共通言語探して、そのお家の家風や文化を作るって難しい挑戦ですよね。我慢して耐えれば解決するわけじゃなくて、とても複雑だから。

国際結婚を選ばれたいてらさんは、ハードモードに挑戦なさったのかもしれない。でも、もしかしたら、僕の誤読かもしれないけれど、言葉や文化背景に縛られない普遍的な「共通言語」を、パートナーさんとの間に見つけたから、頑張れたのかもしれませんね。

リーマンショックは、お勤めされて社歴や実績のある方にも逆風だったから、よく歩き通されましたね。頑張られた。

blogを書くうちに、嘘ではないけど実態とズレが生じること、ありますね。変なことを言います。「惨め」も「明るい」も、私達は自ら定義し選ぶことが出来ます。時間は命が有る間だけ体験出来るものだから、時間は命とほぼ等しいと思います。喜びも傷つくことも避けて、時間を捨て続けることが、私は怖いです。人を傷つけることは、さらに辛いです。

私にとって「惨めさ」とは、理性や意識の力を適切に使えず、他人に攻撃性を向けることかもしれません。

いてらさんのnoteを拝見していると、ご自身から逃げないし、背負ったものの責任も引き受けてるから、尊敬することはあっても、私の価値観では「惨めさ」とは遠く離れた存在に見えますよ。惨めさの概念と縁がない感じというか。

「いい、みんな?
将来、あなた達の元に生まれる子は、赤毛かも知れないし、ブロンドかも知れない。両手があるかも知れないし、片手が無いかも知れない。男かも知れないし、女かも知れない。ストレートかも知れないし、ゲイかも知れない。あなた達にできるのは、受け入れることだけなのよ。」
教師は、ホワイトボードに「受け入れる」と書いて、大きな丸で囲んだ。
https://note.com/itera/n/n4e263a66ede3

令和の日本の高校生がどう習うのか、不勉強な私は知らないです。先生が教えても、聞いちゃいないのは日本もアメリカも同じですね。

自分で本を読んだり人から聞いて学ぶのと違い、すぐに心に染み込まなくても、各自の人生を生きてみることで時間が経ってから「ああ、こういうことか」と理解出来ることもあるので、「種を蒔く」ことは無駄じゃないと思っています。

時が流れて、自分の言動が無礼で許されないことを気づいたり、引っ越した先で良い出会いに恵まれるといいなあと、願っています。

よく見て考えて覚えてる。AかBかと見ることも出来ますが、AもBもという見方も出来ますよね。事情も出来ることも異なるけれど、どちらも大事。

誰も見たくないような、黒く渦巻く私や、ねっとりとへばりつく私や、つんざく様に尖る私。
https://note.com/itera/n/naa54fa4444ee

うーん。2つあって、1つは私といてらさんの尺度の違い。もう1つは、理性を通した言葉か否か。

私は半生を通じて事情のない人も問題のない人もいないことを学びました。自分の内側を見るタイプなら、見えて感じて不思議ないことだと思います。いてらさんは、内省的な人の中でも良く見えちゃうタイプかもしれません。私の尺度や価値観では、不思議なことは何もなくて、読めば分かるように書かれています。

「静けさ」と表現するのは理解出来て、激しい物を持っている方が、ダイレクトに叩きつけず、一度理性を通してくれているから、読んで苦しかったり、生臭く感じたりせず、済んでいます。

狂気は感じないし、健やかだと思うのです。闇とか影とかドロドロしたものって、見るか見ないかの違いだけで、誰にでもあるように、私は思うのです。私は「孤独」にそれらを含めて扱ってるかもしれません。

動物から人になって、理性や知性を得たことが、「孤独」の源だと思うから。客観視出来ることの、悲しさともいえるかも。

👆ヘッダーはコジさんからお借りしました。

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