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現代の寓話 : 心の見え方
心の中は見えません。
言葉は嘘も言えます。
けれど、例えばネットの性質を悪用した誹謗中傷は、倫理以前に、損得以前に、客観視と、日本の恥の文化で、問題があります。
心の中に無いのなら、なぜ匿名性を悪用して、サーバーなどにログを残し、訴訟リスクを負ってまで、するのでしょう?
母「たとえ、お母さんが気が付かなくでも、お前自身と神様が見ている」
僕「うん」
母「嘘は、嘘の上塗りが必要になるから、破綻する」
僕「はい」
特定の信仰ではなく、親は抽象概念で大いなる存在として用いています。
要するに、親の見てないところで悪さをするな、嘘は露見する、という家庭教育です。そこから、少年時代に決めました。陰口はよそうと。
逆に、いないところでその人の話題をするなら肯定的な話にしようと誓いました。陰口が本人に届く経路を通して、尊敬を伝えてもいいですよね。
文化が違うから、誹謗中傷をする方に意見するつもりはないです。けれど、僕は面と向かって言えることを探すことにしています。
Thank you for taking the time to read this.