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相対的貧困って?

みなさん、初めまして!
本日からエッセイストとして投稿をはじめる、カラスと申します。

突然ですが読者の皆さんは、「相対的貧困」という言葉をご存知ですか??

ニュースや新聞、ネット記事や学校の授業などで、耳にしたり目にしたことがある方もいらっしゃるでしょうし、全く知らないよ!って方もおられることと思います。
SDGsが注目されるようになって、ようやく議題の一つに数えられるようになってきた印象です。

おそらく読者の皆様は、
「貧困とついてるからとにかく生活が苦しいんだろうな。」
だったり、
「相対的ってことは、全体で見てちょっと貧しい低所得者のこと?」
といったような考えを抱いてるかなと勝手に想像してます。

結論から言うと、これらは正解といえば正解です。

一般的に定義されているものとして、
「世帯所得が、その国の所得の中央値の半分に満たない状態」があります。
簡単に言い換えると、ふつーの生活が収入などの関係でできないよーってことです。

でもこの記事は、相対的貧困の内情を詳しく知らない方にこそ、この記事を読んでいただきたいのです。
そしてこの「相対的貧困」が実はとても身近で、あなたも該当する可能性の高さがあることに、ある種の危機感を感じていただきたいのです。

ここでまたまた質問ですが、「人生はお金がすべてなのか」という永遠の議題について考えてみてください。

先に書いちゃいますが、私は「Yes.」です。
というか「大いに、絶対的に、なにがなんでもYes」です。

私は中学2年生に母子家庭になりました。
小学生から父親が出張や転勤で、家にいない時間が多かったため、
両親の離婚ですぐに変わったことは、生活が苦しくなったことと、母子家庭という枠組みになったことでした。

離婚調停により、慰謝料や養育費の支払いは命じられましたが、1円たりとも振り込まれたことはありませんでした。

それから少しずつ当たり前のように感じていたことはこの家庭からは消えていきました。
外食、家族旅行、誕生日プレゼント、お小遣い、新しい服を買うなどです。

私はお金というものは、都市や高度資本主義社会の中で生きる上で、必ず必要になってくると強く感じています。大層に言えば、息をするのにも過去に払ってきたお金が必要になっているのです。
そして今のこの身体や知識は、全てお金を使わなければ存在しないものだといっても、本気で過言ではないでしょう。

つまるところ、高度資本主義社会で生きる上では、こんな方程式が存在していると考えています。

【お金×時間=経験】
【経験×思考×行動=成功 or 成功しなかったことで得られる経験】


ここまでお金について少し書きましたが、お金に限らず、どの家庭にも悩みの種はあるものだろうと思います。
私と同じように、経済的に苦労してきた方もいらっしゃるでしょうし、
祖父母や父母の介護で苦労されてきた方、自身の持病に悩まされてきた方、ネグレクトや虐待、親族が受刑者である、部落出身であるなど・・・

ここでは到底書きつくせない程の悩みや苦労が付随してきただろうと思います。
また、全く苦労といえるほどのことはなかったよ、という方ももちろんいらっしゃるかもしれません。それはとても誇るべきです!

そんな中でも私のエッセイでは、相対的貧困世帯の親御さんが皆さんの知らないところでしている苦労や、そもそも考えもつかないところで行き詰まっていること、現在の社会保障制度の陳腐さへの怒りについて書いていきたいと思います。

(ちなみに、プロフィールに書いた御三家の良さや魅力みたいなのも書いていくので、本当に通りすがりの男の子が嘆いているとでも思って、気楽に見ていただけると幸いです!)


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