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映画『マイ・ブロークン・マリコ』感想 死が壊すもの

好きな原作の映像化って楽しむハードルが上がっちゃいますよね。
どうしても原作の体験と比べたり、原作との差異に目が行ったりしてしまって。
特に漫画やアニメの実写化だと顕著で、どれだけ原作の場面を忠実に再現したところで、漫画やアニメの描線と生身の肉体の演技には埋めがたい差が生まれる。むしろその描写が近いほど、その差は浮き彫りになる。

でもそれは良い悪いではなく単にメディアの違いでしかなくて、メディアミックスってそういう違いや変化を楽しむことが前提にあると思うんですよね。
原作至上主義でまったく改変を許さない人もたまにいるけど、結局は原作もその世界の切り取り方の一つであって、メディアが変われば別のアプローチがあって然るべきじゃないでしょうか。

・・・なんて行儀の良いこと言ってみたりしましたけど、それでもやっぱりそこに差がある以上、どちらが好みかという話はできてしまって、多くの場合先に体験してる原作が強いんですよね。特別な地位を与えられる原体験に対して、二次体験は圧倒的に不利なので。
でもメディアミックスって原作作品世界への入り口を増やす役割が一番重要なんじゃないのって思うので、それでいいんじゃんって気持ちもあるわけです。

で、その原則は今回の『マイブロークンマリコ』でも覆ることがなかった。
なかったんだけど、思ってしまった。
できることなら、原作の記憶を消してこの映画から先に見てみたい、と。
それほどこの映画は原作愛に満ちていたし、マイブロークンマリコの世界にもう一つ大きな入り口を作り出すことに成功した、見事な映像化だと感じました。

この物語に触れるのは単行本で読んで以来なのでおよそ2年ぶりですかね。
映画を見ながら、そういえば自分が特に好きだったのは死が奪っていくものの描き方だったな、ということを思い出しました。

死はその瞬間に生者を彼方に連れて行ってしまう。一瞬にして、手の届かないはるか遠くに。
でも、遺された者はそこからゆっくり時間をかけて喪う作業を始めていくことになる。曖昧なまま保留できた何かに区切りをつけることを強制される中で、その人に関する記憶のディテールが崩れていき、緩やかに、しかし確実に自分の中でその人が死んでいくことを確認する。
死はそうやって、当人の周囲の人間も巻き込んで色んなものを飲み込んであちら側に持っていってしまう。

シイノが必死に抗っていたのは、マリコから搾取し続けたくそったれな現実であると同時に、そんな死という荒波の暴力性に対してでもあったのかなと思ったり。

そう考えたときにちょっと予想外だったのが、この映画でのマリコの父の存在感なんですよね。尾見トシノリさんが演じた父の姿は、原作以上に生々しい人間としての存在感がありました。
彼が鬼畜外道であることに疑う余地はないけれど、実の娘であるマリコの死によって何かを奪われる立場にあることもまた事実。
もしかすると、シイノとは違う形で彼も死という暴力に抗っていたのかもしれない。(まあその苦しみの元凶は彼自身にあるので自業自得なわけですが……)
遺骨が奪われた時に彼が激怒するシイノにマリコを見たのは、そういう可能性も感じさせるなと。原作を読んだときは、シイノのマリコへの鬼気迫る思いがそう見させたように感じたんですけどね。
これは実写化がもたらした効果だと思います。
吉田羊さんが演じた後妻タムラキョウコの包容力のある存在感も、その感覚を補強していました。

この2人に限らず、シイノの会社の人間や居酒屋の老人など、原作では戯画化されて後景に甘んじていた人にもシイノとマリコと同じ次元の肉声が与えられていることが印象的でした。
原作ではあくまでシイノの主観に寄り添い、マリコとの関係に比べれば取るに足らないことだというようにデフォルメされていたけれど、この映画ではそこにリアルな重みを持たせていた。
ここはやっぱり実写の強みだなと思いました。

逆に、原作にあった向こう見ずな疾走感は、やっぱり現実世界を描く重さに引きずられて鳴りを潜めたなと。
個人的に特に気になったのがセリフで。
先程触れたシイノがマリコの父に叫ぶシーンなんか顕著ですけど、漫画で読むから成立する長台詞を、映像(それも実写)でそのまま言われると浮いた感じがするというか。
とても印象的で大切なセリフなので残したんだと思うんですけど、どうにか実写のフォーマットに馴染むセリフにできなかったのかなーと思ったりしました。

あとこれは完全に私の好みの問題ですけど、永野芽郁さんの声がしっくり来なかったのもずっと引っかかってましたね。イメージよりも随分可愛らしいなと感じてしまって。それがシイノの揺らぎというか、現実と折り合いつけきれないバランスに感じられたら良かったんですけど。
個人的には見た目とか佇まい以上に、声ってすごく気になるんですよね……。

そんな永野芽郁さんに対して、全体的にはイメージとかけ離れた役柄に対して見事に演じ切ってるなって印象を持ちました。
けど、いくら演技に問題がなかったとしても、観客側が勝手に気にしてしまうのはもうどうしようもないじゃないですか。イメージと役柄のギャップみたいなものが見えてこないか、不安がつきまとう。
私は序盤そこが気になってなかなか入り込めなかった……。
ほかの登場人物にはそういうイメージとの差みたいなのがほとんどなかったから、余計に気になってしまった感がありました。

でも、手紙を読んで涙するあのラストシーン。
あそこはほんとに良かったですね。
ああ、永野芽郁を起用して実写化したからこそ生まれた空気感だなって。
なんかそこまで来てようやく、この人に託したかったものが少しわかった気がしたというか。
監督はシイノのその部分に拘りたかったのかなって。

それでその後にかかるのがTheピーズの『生きのばし』でしょ。
そりゃあ文句なしに最高でしたよ。

映画は原作より疾走感が弱かったって書いたけど、代わりにこの曲がそこを引き受けてるような気がしました。



「死にたい朝 まだ目覚ましかけて 明日まで生きている」



無様に泥水すすりもって
どうしようもなくみっともないまま
死ぬのが怖くて今日も生きのびた。


そんな感じでいきましょうかね。

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